気付きを阻む壁






   
  マスコミはニューヨークの豪雪が伝えても 中東で野宿する難民の親子 親もいない難民になってしまった子供たちのようすは 伝えない。

    万事、マスコミが取り上げる情報の基準は恣意的で、本当に困難な目にあっている人は 常に脇に置かれて見えない。

    脇に置かれた多くの人の目に 世界が ウソと秘密に覆われ、動いているように見え、恣意的情報が権力と一体化して見えるのも やむを得

ないかもしれないし、脇に置かれた人に気付かない人が 情報を信じ鵜呑みするのも致し方ないだろう。

   壁を造りやすい時代にあって 壁を作りやすい人は 情報を鵜呑みにしていることにも気付きにくい。

    救いは 自然には壁が無い ことである。 

    

    
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 都会中心の社会では





閣僚の顔を並べて見ると どこかて似たところを感じる。

 都会的かもしれないが 素朴さではない。

   子どもと付き合うには 話の中身より表情が読めないと仕事にならない。そんな癖が付いたのか エライ大人に対しても
    
話す言葉より 表情 言い回しや声の響きなど で判断することが多い。

     正直さや誠実さは 見た目の言葉とは逆になることが多く、昔の人は「巧言令色 少ないかな仁」とは 良く教えたものだ。

      平たく言うと「口がうまい」と言うことか。自然感覚の弱まった都会人が増えているから これでも通る時代になったのかもしれない。
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読解力



   NHKは番組で「世界の警察 アメリカはどこへ行く」と 取り上げていたが、そうすると論理的には「日本は どこへ行ってしまったか?」になるのだろうか。そんな気がしないでもない。

    
とにかく内外とも 不確かな情報が多すぎて 現状認識が難しく 単一の情報の読解力より 情報と情報の隙間の読解力が必要になっている。
  
    
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始めたい 幕開けの準備




   世界は 親のいない子供だけの難民も26000人から出し難民をだ出し 戦火を広げながら 「大雪だ!」と大騒ぎし、コマーシャルと娯楽で耳目をふさいでいる。

NHKのBSは 朝にトランプさんの活躍を 夜は「どこへ行く?世界の警察アメリカ」を伝える。 

    お友達のような似たプレーヤーは あり余るほど揃ってはいるが 今は良いけど、 幕引きの役なら解るが そろそろやめて 


ローマ法王みたいに状況をわきまえ、それに合致した理念を持った 真に新しいプレーヤーは出てこないものか…。

     今は トンチンカンな舞台と そのお知らせ(ニュース)を見ているようだ。 
   
     

     

   


   


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それでも良いのかな






     【身体感覚】と【探索行動】…(適当な言葉が見つからず この言葉を勝手に代用している。)
   
     長いこと、仮説を立て実験してきたこの2つのことは 残したいが残せない、伝えたいが伝えらえない。
      
       他人から貰うばっかりでお返しも出来ないが、それでも良いのかな と思えるようになった。
    
       



       
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自然感覚喪失のもたらすもの


ヒトは生物だから個人や社会は自然とのバランスや調和が必要だが、人間活動によって地球環境を損なっている現代社会がバランスや調和を失しているのは当然とし、その環境下では個人の体内にある自然感覚は喪失易く、立場を越えて人格的に自然感覚を維持するのは難しい。

文化の発展は自然感覚(センス オブ ネイチュア) を土台にしているから この感覚の喪失は 異常気象ぐ

らいでは済まない。現代は それを抱えている。

  

   

 

  
  


   

  



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もらってばっかり




カラオケへ行ったら (北の国から)を田舎を思い出しながら歌うことにしている。

あの劇作家の倉本 聰さん(81)が 


「今は 都会が日本全体を動かしていると思い込み、食料をつくっている生産地はないがしろにされている。」

とし

(日本人そのものが卑怯になっている気がするんです。情けない日本人になってきた。



その怒りをこの作品にぶつけたい。)の心情を遺作覚悟で「屋根」に取り組んでいると言う。

 

(他人の悪口を言ってはいけない。)の教えもあってか 他人の人格を否定するかのような(卑怯)呼ばわりするよ



うな物言いにはためらいを感じていたが 上記のコメントを読んで 呪縛を解かれた気がした。

  
社会的に著名で権威を持った人であっても 目をつぶらないで、まっすぐ言葉を発するとき 偉そうに!」の言

葉が脇から聞こえて来るような気がしてためらっていた。

     出回っている権威ある情報には 事実と合致しないものも多いが 「ウソ」や「デマ」の平たい言葉は使いにきのだが、

倉本さんは 人格の否定と人格を議論するのは別だ と言ってるような気がする。 
  
     81歳の人から またもやこんなに力をもらった。 最近は もらってばっかりだ。
         
     
  
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こんな道もある





人間が 大自然の地上に世界があることを忘れ、国々がそれぞれ 競い争そってお金儲けに走ったら 世界の行く末はどうなるだろう? 
  
  地球を壊し 争いは絶えることなく 子供までが競争にかり出され煽られる今日の現状が その答えに近くないだろうか。

   誰もが知っている当たり前の≪世界≫と≪自然≫を忘れることなく  自らが作っているこの2つのハードルを越えることなく 平和も繁栄も無いのは自明だろう。
   

 地球規模の動きや変化によって それを乗り越えるんだろう。

  リーダーに その自覚が芽生えると良いのだが…

。 

   
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しょうがない 無いものねだり




   (世界)はあっても(世界を単位に考える指導者)は思い浮かばない。

    年頭教書のオバマさんや施政方針演説の安部さんからは(国家)に対するの意識は感じても (世界)や成立基盤の(自然)に対する自覚的な意識は感じない。 ここにいるヒトも 無いものねだりしてもしょうがない(おとなの立場)にいる。

   ここにいる人も 子供たちにワクワクするような話が出来れば良いのに!  出来ないな…

    



     
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おとなは 何を残す?






   子供たちには ながねん(あったことをありのまま書く)ように 日記の書き方を指導してきたが 教え子と同年齢の総理大臣の施政方針演説の原稿は 全く逆のようだった。

   美辞麗句を並べたてた 文字通りの(作文)。

    作文は作文で それなりの意味があることに気付かされた。現実と絵空事の乖離が 見事に社会の現状を見せてくれた。

   例えば 

①アベノミクスでそんなに景気が良くなっているのなら  増税したり社会保障を削る必要は無く 借金も返せるだろう?

   
   ②「日本を中心にした世界」と「世界を俯瞰する」は それぞれの意味と魅力を持った言葉だが 両者の論理的な違いや矛盾は

    一切お構いなしに並べ立てている。  


これでは 文を書く意味がないから 評価は 宿題を提出しただけの(3重丸) と言うことになる。

    子供たちと(五重丸)を目指してきたのに…これが「美しい」とは サッパリだ。 山中 恒さんを見た後だけに ギャップ

が特に大きかったかもしれない。   


 現状とは似ても似つかない良い事ずくめの作文に問われているのは 作文の出来では無く 読み手・聞き手(国民)の現状と照合 する読解力だろう。


「私たち大人が こんな困った社会を子供たちに残している。」と思っているのは 山中 恒さんだけではない。

    
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