世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
社会からの自立
行き詰まっているのに 争いだけは絶えない。
自然破壊と争いは既に社会に組み込まれているかのようだ。
だとすると 個人は親からの自立だけでは足りなく 社会からの自立が必要になる。
命の重さ
世界はパンデミックたけなわ 日本は緊急事態宣言発令中
今は コロナ対策に専念すべきか オリンピックの準備と合わせて進めるべきか が問われてる。
結局は 人の命の重さの問題。
語られないマクロ経済
「マクロ経済」や「ミクロ経済」は言葉としては耳にする。
しかし、「マクロ経済」を視野にした政策も解説も ほとんど聞けない。
世界が こんなに長期にわたって経済不振に陥ってるのに 経済政策は与党も野党もジャーナリズムも政府も もちろん市民も 目先の話ばかり。
近視眼や刹那と即時即物とは異なる。
道理の無い経済政策
生産無くして消費は有り得ない。
自給自足生活が解り易いが 経済は生産と消費で成り立っている。今は 世界も日本も与党も野党も 国家体制の如何を問わず政策的に消費に偏っていないか。
これでは持続するはずがない。
政策は自然災害依存
人は元々一人では生きられない生き物なのに 共同体が壊れバラつきが目立つ現代社会は 自然から乖離し持続発展は難しい。経済はなおさらのこと。
結局 今回のパンデミックのように 大きな自然災害(人災を含め)の経験を通して 否が応でも自然への向き合い 方途を探ることになる。
難問に対して自然任せの消極的な人の姿勢が変わるには時間が掛かる。
見当違い
地球や自然が大変な事になっている今 急がなくちゃならないことは 何だろう?
争いだろうか 金もうけだろうか オリンピックだろうか 法律を変えることだろうか ちょっと違う気がする。 緊急だからこそ 違う!
彼我の関係を見ないで 何をみる!
意識は変わる
ふとしたことから 東西南北や国境の壁がスーと消えるような気がした。表面的には違いはあるものの 人々の暮らしや価値観などは ほとんどが共通している。
予期していなかったこの意識の変化は嬉しかった。確かに 条件が整えば意識は変わるんだ。
発展に幻惑
世界はデジタル化 AI化が進み、日本も遅れまいと対策を急いでいる。
一方「自然から離れた現代人」「壊れゆく人工的な これは最近新聞の社会面で見た見出しだが、世界や日本現状を物語っている。
調整の如何が問われているが、単に機械化の発展として捉え 調整しているようではない。
結局 現状の危惧をさらに強めることになり、時代に逆行しかねない。
デジタル化やAI化は良いのだが 全体の中での位置づけがより大切なはず。今の時代を招いたオートメーションの反省がない。
自然と恋(愛)
自然と人 自然とお金 と考えて来たが ついでに 自然と恋愛 も考えてみたい。
「命がけの恋」は歌や話では耳にするからあるんだろう とは思 う。
ここで考えてみたいのはそれにどんな意味があるか である。
存在(命)あっての愛であり 存在せず命を伴わない愛は 実体のない架空で空虚な愛になってしまわないか?
実際 「恋」で命を懸け 命を落とした人の話を聞いた人はいるんだろうか?
(経験も無く、一応今は 命あっての物種 自然主主義で「実体のある愛」が良い としよう。)
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