言語化の試み

自然の重要さを説いた言葉は目にしているが 人と自然の存在の基本的な関係を説いたものは見た事が無かったので 私なりに言語化してみた。

 とにかく言語化され広まり社会的に認識されれば良いと思う。

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不明な法

自然が人類や社会にとって無くてはならないものであるならば

国連憲章や各国の憲法の前文か第1条に明記すべきだろうと思う。

 むしろ 内外にその運動の起きないことが 不明ではないだろうか。 

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取り扱い注意!

美味しかったり お笑いや大相撲のように面白かったり 小説や音楽のように私たちを夢中にさせたりして元気をくれる。

自然も力を与えてくれる。

違いは?

  前者は無くても私たちは存在出来るが 後者が無ければ存在出来ない。両者は全く性質が違う。

   取扱いを間違ってはいないだろうか?

 

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残るのは

人間はお金儲けに執着しているが 地球が壊れ物が無くなったら そのお金で何を買うんだろう?

  身をすり減らしてお金を儲けても これじゃあ ざるどころじゃない 残るのは 財産どころか すり減らした体と心だけ。ソンソン

  

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ちょっとしたら‥?

      

      確かに 人間社会では お金が重宝がられている。

                    お金と命の どっちを取るだろう?

       お金と尊厳の どっちを取るだろう?

                武力をもって殺し合ったり 平気で自然破壊しているのを見ていると分からなくなる。    
       ちょっとしたら やってることは自殺行為かもしれないが! 今は気が付かないだけ。

       (三木谷さんの「自殺行為」発言に触発されて‥)

 

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合理的な世界の問題解決

世界の安全保障や経済はアメリカを中心に回っているようだが、問題も多い。 

世界のことは世界を中心に回さないと問題の解決は難しいのではないか、 その方が合理的だと思う。 

 

 

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暴力と経済の逆走

人類にとって大地は壊れ痩せこけつつあるから 豊かさの相対的位置は変化しても、 全体的・絶対的には貧しさへの道を歩んでいることになる。

 過度の競争や暴力行為は 経済の逆走を早めてはいないか。最近、それを連想させる出来事が多い。

 

 

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もっとスッキリ

           物心がつく前はそうではなかったと思うが、

            傲慢さが染みつき無知の知を解せない自分をはっきり目にする。

   余生長くはないだろうが 出来ればもう少し綺麗にスッキリして往きたいものだ。

    

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時代が求める「無知の知」

 

 

   「無知の知」の根は「知」に限界が無いからだろう。

    知に対する謙虚さ無しに知を求めることは出来ない。

     権威主義が幅を利かす時代であるが故 「無知の知」が特別な意味を持つ。

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練習あるのみ

人は(自然の理)を無視して行動することは出来るが、(自然の理)を離れて存在することは出来ない。

だから自然を探索し「自然の理」に気付く他ない。

これは 全ての人間活動に言えることだが、それに気付くのが大変だ。練習あるのみ!

   (「汝自身を知れ」の(無知の知)を対話法で説く ソクラテスを思い出す。)

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