世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
大きなドラマ
社会を語る時の視座を世界に広げるだけでも何年もかかりそう。
本来の社会と自然の関係を据えて語られるのは さらにその先何年もかかるだろう。
合わせて60年と見当をつけてはいるものの まどろっこしい。
それでも 行ったり来たりしながらも社会は確実に前へと進んでいるようで
元気が湧く。
パンデミックや温暖化の渦中にありながら 次のハイパーインフレが見え隠れしている。この3っつの難題は前記の2つの壁を越えずには解決しない。
こんな今日ではあるが、子孫に残せるだろう 出口へ向かう社会の確実な進歩 に励まされている。
誤算?
国会における オリンピック開催へ向け繰り返された首相答弁には 世界的視野が欠けていた。
世界の祭典に世界の視野を欠いた開催国の在り方は 世界には否定的に映ってはいないか。
コロナに依って
争いはなかなか止まないが、コロナが世界の現状認識を早めてくれたことは確かだろう。
世界の諸国際会議 特に今夏のオリンピック開催如何にそれを確認できないか。
共に状況認識の問題
地球資源の有限性から 世界経済が左右され 縮小に向かうことは国家の強弱を問わず明らかになりつつある。従って 持続可能な経済社会への転換は国家を越えた 世界的な至上命令と言える。
争いを伴う従来の競争社会からの脱却が世界的な課題だろう。
国際社会における米中対立はその典型であり、イデオロギーではなく状況認識に根差すことも明らかになりつつはある。コロナの役割は大きい。
日本問われているもの
今夏のオリンピック実施の可否は パンデミック下にある世界の問題ではあるが
実際上は日本の判断が左右する。
日本の国際感覚と生命に対する価値観が問われる。加えて あまりに時間が差し迫っては、オリンピックの企画力や責任そのものが問われれることになる。
ILOよりWHO
パンデミック下でオリンピックを実施するかどうかは 「世界の人の生命とイベント」の関係が問われる。結局は 人の生命に優るものは無いから、パンデミック宣言を下ろさない限りは実施できないだろうから、論理的にはILOよりWHO の判断が優先されることになる。
コロナ後
このパンデミックが収まったら 次の備えが必要になる。
持続できない社会や産業の構造を転換する作業を進めることになるんだろう。
あらゆる分野で、競争や争いから共生や協力への仕組み作りが求められるが、実際はどうなるか?
国際関係の認識が難しい
マスコミが伝えるニュースは 日・米・中・韓・ロ の国際関係で動いているかのような狭さを感じる。世界はもっと広い範囲のダイナミズムで動いているのではないか。これでは 現状認識や先々の予測が難しい。
自然の略奪
自然を社会の共有財産のように見立てる向きが多いが、
現代社会を「自然の略奪」との評するのを僅かではあるが目にするようになった。
この言葉は 徐々にではあるが、国の内外の力関係を変える目印になるのではないだろうか。
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