10時の開店に合わせて出かけたが、レジ前は70人以上の行列。品切れは、昨日のまま。料金は震災前と同じ。人々は、震災前とは違って穏やかに譲り合っていた。「すみません」「ちょっと、ごめんなさい」「どうぞ」「あ、ありがとう」。そんな遠慮がちな言葉が多く交わされていた。
震災前は、どこにでもある大型スーパーだった。子どもはうるさく走り回り、母親は大声で怒鳴り、中年はモタモタした老人に舌打ちし、女子高生や主婦は携帯で人も無げに喋り笑い、店員は疲れた表情に無理矢理笑顔を浮かべ時計を見やる。買い物をするというより、慣性的な消費行動に見えた。「お買い物」の必要や楽しさなどは、瞬時も途切れない店内アナウンスによって指示されていた。
それが様変わりしていた。たとえば、カートを縦に、レジに向けて行列に並ぶと、通路をふさいで横切る人のカートや人が通りにくくなる。長い行列はレジ前から後ろ壁まで伸びて終わらず、蛇の尻尾のように曲がっているのだ。そこで、レジに平行するようにカートを横向きに置いて並ぶと、ずっと多くの人が一列に並べるし、通路のために空けるスペースが広がる。
「ほら、あなた、横にしたほうが」。妻が夫に小さな声でうながす。それを聴いて、見た傍の人が黙って習う。そんな調子だった。いつもより少ないレジの店員たちも、生き生きとした表情でカートをさばいていた。人の役に立っている自負が余裕を生み、大量の買い物に次々と手を伸ばしながら、お客の質問にテキパキと答え、「大丈夫ですか?」「イチゴと卵は別にしましたから、気をつけてください」と老人に話しかけたりしている。
おかげで、10時半からレジの列に並んで1時間半待ったが、さほど退屈ではなかった。ケンミンの焼きビーフンを買った。