遠藤雷太のうろうろブログ
何かを観たら、とにかく400字または1000字以内で感想を書きつづるブログ。




2018/11/14

・会場に入ると、舞台上に小さな箱。その中にお面の小人が入っていて、ずっと客席に向かって手を振ってる。

・男が、黒地の布にたくさんの白いお面のついたリアカーを引いている。

・大小さまざまな掛け軸が劇場の壁という壁を覆っている。どれも年季の入った紙質。どうやって集めたんだろう。

・赤い格子状の仕切り、その奥に卒塔婆が数本立っている。

・会場全体がアングラ一色。徹底している。

・開演すると顔白塗りの学ラン、セーラー服。踊り。

・日常から遠くはなれた見世物小屋感が楽しい。

・その見世物小屋で買われた母親と、実母を慕う息子の愛憎を描いた話。

・HP参照してあらすじ書いたけど、実際見てそういう話だったのかどうかは見終わってもよくわからず。

・「書を捨てよ~」のときに寺山修司は「言葉の錬金術師」と紹介されていたけど、個人的にはどちらの作品もビジュアルのほうが強く印象に残っている。

・言葉は「音+意味」の組み合わせだとして、「意味」の部分が全然拾えず、どうしても途中ウトウトする。

・舞台上、障子に台詞の一節書いて設置している。見た目もかっこいいけど、意味部分を補強する目的もあるのかな。

・ただ、作品において「意味」がそんなに大事なのかというとそうとも限らず、「音」と「見た目」でぐいぐい見せ場を作る。

・なので言葉がすごいというより声がすごいし音がすごい。リズムや声色。音楽ともちょっと違う。訓練の末の節回し。会話もあるけど、一種の語り芸なんだと思う。

・たぶん「意味」は根っこみたいなもので、自分は土の上に出ているそのほかの部分を楽しんでいる感じ。

・見世物小屋の女チームの着物が、時間が経つにつれてだんだんはだけていく様子が、時間経過の見せ方として生々しい。

・最後のシーンのビジュアルや、カーテンコールの見せ方も一捻り入っててかっこよかった。

・次はかでる27だそうだけど、会場設営どうするのか気になる。



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2018/11/11

・落語の三大噺の形式で即興一人芝居に挑み、優勝者を決める企画。1日2回公演のうちの夜の部を見る。

・札幌大会は2回目。今回はパインソーさんが全面バックアップしている。有言実行。

・今回の出場選手は12名。舞台役者、お笑い芸人の方々が中心。

・変わったジャンルだと、ラジオパーソナリティーの佐々木龍一さんも参戦。

・自分の書いたお題「五里霧中」であんなに苦労されると思わず、申し訳ない気持ちになる。

・四字熟語にしようとは思っていたので他の候補「朝三暮四」とか「五風十雨」とか書かなくてよかった。

・前回に比べて、まったくの表現未経験者(としか思えないような人)はほとんどいないので、明らかに困っていても、どうにかして場を持たせられる感じ。

・一方、みんな場慣れしているぶん、始まる前にお客さんの期待値を下げよう下げようとしている感じが不穏。

・どうしても自分だったら何をやるかを考えてしまうので、見ていてせわしない気持ちになる。

・即興のイベントで難しいのは、面白かったり、インパクトのある作品が後半にくるとは限らないこと。

・このあたりはスポーツ観戦感覚で楽しむのがコツ。

・印象に残ったのは、棒グラフを上手に使った熊谷嶺くんと、手がべたべたしてた亀井健さん、台湾に瞬間移動した幸田直機くん。ほとんど唯一といっていい、お題クリアのペースをきちんとコントロールしていた鶴くん。

・そして、昼夜総合でチャンピオンになったのは、氏次啓くん。ぜひともこの存在感のまま、道外に攻めていってほしい。

・オーギリングチームは活躍してたと思う。

・全体的に巧さより強引さがあったほうが盛り上がっていたけど、傾向がちょっと偏ってしまった感じ。事前準備をしない美学もあるのでバランスは難しいんだけど。

・司会は中内こもるさんと覚前遥さん。演者が多少停滞していても、うまく言葉を差し込んで大怪我しないように守ってくれる。伊達に場数を踏んでいない。

・そういう意味で、色んな即興イベントがある中でもかなり敷居が低く設定されているはずなので、次回はもっと色んなジャンルの人が参加したらいいのにと思う。



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2018/11/10

・青年が沖縄でおばあちゃんに出会い、その生い立ちを聞くことで彼自身のルーツをさかのぼっていく話。

・舞台中央にガジュマルの樹を模した布のオブジェ。広げたりねじったり「絞め殺しの樹」とも言われているそうだけど、たしかに雰囲気がある出来。

・「妖怪音楽×妖怪演劇」とあるように、音楽パートと演劇パートが結構きっちり分かれている。

・モノノケユースケさんの歌声はどれも優しくて、生演奏で楽曲が始まると毎度毎度聞き入ってしまう。

・音楽と演劇の対バン形式と強引に言えなくもないけど、ミュージシャンがまともに機能したら、演劇はなかなかに分が悪い。特に会話劇はたいへん。

・楽器を演奏している人の仕草はいちいち錬度が高く、機能美として完成しているから、中途半端な役者の存在感では太刀打ちできなかったりする。

・音楽が専門の人が見ると、見方が変わるのかな。

・歌や演奏の最中、役者さんは変に言葉や動きを足すより、静かにたたずんでいるほうが、よっぽど物語が見えてくるという不思議。

・そこにさらに映像あわせると、ミュージックビデオ感が強くなってよりかっこいい。

・基本的には音楽と演劇パートが分かれているけど、うまく重なったところは引き込まれるし、ちょいちょい擦れ違ってたところもあったような。

・そういうシーンがあっても、歌でなんとなくまとまった印象になるのはずるい。

・本作に限らず、生演奏の楽曲に演劇を合わせる場合は、言葉の情報量少なくしたほうが見やすいのかも。

・なので、最後のダンスシーンは最初のほうで見たかった。クライマックスだけでは勿体ない。

・妖怪演劇なので沖縄の妖怪が色々出てくる。

・相撲っぽい動きをする妖怪の、後転から再突撃までの動きがスムーズすぎておもしろい。

・ガジュマルの樹に宿る妖怪キジムナーと、若い頃のおばあちゃんの交流が、実質的な話の軸になっている。

・超自然的な妖怪と戦争や基地問題といった超現実的な社会問題を重ねていく試みだった。

・舞台上でほんとにチェーンソー鳴らしている作品見たのは初めてかも。大日本プロレス以来(舞台じゃない)。



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2018/11/9

・別役実の二人芝居を2作品。それぞれ大体50分くらい。結構なボリューム。

・演目は『招待されなかった客』と『トイレはこちら』。どちらも観客へのアナウンスみたいなタイトルで、掲示物を見ると一瞬身構えてしまう。

・『招待されなかった客』は、魔女の家に、破門された聖職者が尋ねてくる話。

・なぜか、そこにソートンワイルダーの『わが町』の設定が乗っかっている。

・たしかにあそこ魔女の箱庭感あるけども。

・不条理は元々苦手なジャンルで、特に一作目の序盤は、どこをどう面白がっていいのか距離感がつかめず。

・なんとなく、自分自身が不条理的な笑いを求めてしまっていて、作品の魅力を掴み損なった感じ。

・よりロジカルな話だったと思うので、不条理というイメージ自体も余計な先入観だったような気がする。

・せっかく役者さんは二人とも丁寧な演技で、堅実にシーンを作り上げていたのに。反省。

・『トイレはこちら』は、人気のないところで女性が首をくくろうとするところに、トイレ案内を仕事にしようとする男が通りがかる話。

・このあらすじで間違いないはずなんだけど、自分で書いててもなんだかよくわからない。

・一作目より不条理感が強くて、ちょいちょい笑えるところもある。

・「あんた何を言っているんだ?」と双方に問いただしたくなるような、雑で飛躍した論理で口論する二人。

・毒を持って毒を制すというか、めんどくさいクレーマー同士をぶつけた感じ。

・共倒れ必至の会話で、聞いていてクラクラする。

・首つりの輪っかに包帯をあわせる、感心していいんだかよくわからない工夫。

・総じて別役作品は、決して正解のない世界に、実力も経験もある演劇人がどう挑むのか、どこまで遠くにいけるのか、その振る舞い方が見どころになるんだと思う。

・先に脚本読んでおいたほうが楽しいのかも。

・面白いか面白くないかジャッジして終わるような見方をしてしまうとつまらないので、もうちょっと前のめりの姿勢で見るべきだった。



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2018/11/8

・木賃宿とその周辺で暮らす貧乏人たちが、お互いに足を引っ張り合っているうちにわずかな希望すら掴み損ねる話。

・舞台は薄汚れたベッドにテーブル、散乱する布切れ。

・コンカリのスペースを広く使って、ゴミゴミした、原作イメージどおりの「どん底」。

・そんな舞台が見た目以上に真価を発揮するのは、乱闘シーン。

・わんわんズと言えば殺陣のイメージ。ことあるごとにロシア民謡が流れて大乱闘が始まる。

・それこそ殺陣の合間に「どん底」が入るような序盤。

・殺陣のシーン自体は他団体でもそこそこ見かけるようになってきたけど、迫力で頭ひとつ抜けている。

・人数が多い。広い場所のあちこちで沢山の人々が乱闘する。それも時代劇のように、絶対的な中心人物が一人いて、モブが順番に切られていくような秩序のあるものではない、乱闘としかいいようのない乱闘。

・それをこのスケールで作れるのはほんとにすごい。

・そんな大人数が一気に暴れるので、瓶や缶、布っ切れが散乱するし、落ちるし跳ねるしで大変。

・結構リスキーなことをしていると思うけど、反面効果は絶大で、演劇であんなにモノが乱雑に飛び交うのは初めて見たかも。

・どうやって安全確保しながら作っているんだろう。

・テーブルを使った立体的な動きもおもしろい。テーブルから跳び蹴りを放つ、蹴られた勢いでテーブル上にぶっ飛ばされる。迫力。

・長流3平さんがわんわんズの面々と同じノリで動いているのもすごい。

・四幕芝居の幕間にショートコントみたいな寸劇が入る。もじゃキングはあんなに僅かな尺のためにあんなにめんどくさそうな着替えをしたのか。

・お話部分に関しては、序盤で流れに乗り損ねてしまって集中し切れなかった。

・見せ方の問題と言うより、自分のコンディションの問題だったので、申し訳ない気持ちになる。

・どん底だからこそ見える本当の幸福とは…という話。たぶん。

・もう一度見たいけど時間なく、とても残念。



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2018/11/8

・大正時代、盲目の春燕に仕える手曳きが、ある事件をきっかけに大きな決断をする話。

・一応、ぼんやりめに粗筋を書いたけど、原作は谷崎潤一郎の『春琴抄』なのでわかる人にはわかる展開。

・舞台は春燕の自宅。三味線の師匠として自立しているので立派な造り。重厚さが作品の雰囲気にも見合っている。

・正面奥の木調の曲線部分が好き。正式名称があるなら知りたい。

・そんな舞台装置も、登場人物の見た目も衣裳も美しいし、余計な茶化しも最低限に留めているので、耽美な空気に安心して身をゆだねることができる。

・タイトルの「手曳き」も介護人って言っちゃうと台無しだし、意味の通る範囲で、うまく聞き慣れない、味のある言葉を挟みながら話を進めている。

・各登場人物の演技も、台詞に声色や抑揚をつけたり、構図に気を使ったり、やや様式的な方向に寄せている。

・小劇場系の演劇はどうしても笑いを求めがちだけど、別の価値基準があることを実感できる。

・そういう耽美な世界なので、人の見た目の美しさも大事。

・そのど真ん中にいる春燕が実際美しい。

・今は美しさにも多様性が求められる時代で、そのあたりの正解は未だによくわからないんだけど、とりあえずありがたいありがたいと拝むようにして見る。演じているのは飛世早哉香さん。

・温水元さん演じる旦那の、お金持ちなのに軽んじられているところがかわいい。

・今で言うところの共依存の話だし、「お前がそうしちゃったら、誰が彼女の面倒を見るんだよ!」というツッコミは、野暮過ぎて絶対しちゃいけないんだけど、個人的にはどうしても言いたくなってしまう。

・それこそ、谷崎と同時代の小生意気な若手作家だったら「現実逃避した芸術のお遊びだ!」と言うと思う。

・そんな好みが語れる段階まで、ちゃんと巧拙の部分はクリアしていると思う。谷崎潤一郎の世界で、ここまで造りこむのはかなり大変そう。

・場転の見せ方楽しい。演出さんも楽しんでたと思う。

・事後の二次創作がはかどりそうな感じもするので、誰か「その後の春燕さんと佐助さん」というタイトルでかわいいタッチのマンガを描いてほしい。



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2018/11/7

・寺山修司『書を捨てよ、町へ出よう』を、マームとジプシーの藤田貴大さんが上演台本を作成し、演出した舞台作品。

・ウィキで見てみると、表題作の最初は評論集だし、著者自身でシナリオも書いているし、舞台にも映画にもなっているから、どのジャンルの作品なのかよくわからない。ジャンル分けの意味もあんまりなさそう。

・藤田貴大さんの演出作品は初めてだけど、経歴を見れば、現時点で日本の劇作家、演出家の中でも最先端にいる一人ということでいいんだと思う。

・小ホールに入って、舞台を覆うイントレのパーツにわくわくしながら開演を待つ。

・ただ、始まってからは、言葉がなかなか頭に入ってこなくてちょっとウトウトしてしまう。

・たぶん演出的に超絶技巧の部分だと思うけど、生演奏と役者さんの台詞のリズムの良さも、ウトウト方向に働いてしまったような気がする。

・はっきりした筋立てがなく、コラージュのようにシーンをつなげていくタイプの作品は、どちらかというと苦手。

・数学のテストみたいに、出てきた完成品(答え)よりも、途中の製作過程のほうがスリリングなのでは…と意地悪なことを考えてしまう。

・ビジュアルの強さは圧倒的で、縦横高さ、広い舞台を完全に支配している。演劇というより巨大なインスタレーションを見ている感じ。どのシーンを切り取っても、印象的な舞台写真が撮れそう。

・特に白い壁にウサギを映すシーンが問答無用にかっこいい。イントレ3つ横に並べて簡易階段で繋げるところも好み。

・セックスが大量生産の工場でモノ作ってるみたいな感じ。

・なんとなく寺山修司には挑発的というか、猥雑なイメージがあったのでつくりのオシャレさに戸惑う。

・それでも、強引に又吉直樹さん作のコントをねじ込んできたり、その又吉さんと詩人の穂村弘さんがスケボーで遊んでいる謎の映像を流してみたり、結構雑多なところも狙っている感じ。

・そのあたりも全体の高尚な雰囲気に吸収されていた。もっと笑いがおきてもよさそうなものなのに。

・教文小ホールが、わりと大きな会場で、かつキレイなので、オシャレな方向に引き寄せられていたのかも。

・大きな会場だからこそ、ここまで迫力のあるものになるだけど、小さなアトリエとか、テント芝居とか、毛色の違う他の会場ならどうなるんだろうと妄想して楽しむ。



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2018/11/3

別れ話の間、男がお気に入りのジョンレノンの逸話を披露しようとして、女にボロクソにダメだしされる話。

男女の別れ話は、とてもわかりやすい題材で、世の中で似たような話はいくらでもある。だからこそ力量が問われる。

逸話の真相と二人が別れ話に至った経緯、二本の軸が同時進行で進んでいく。

台詞が単なる話の説明ではなく、飛躍したり停滞したり擦れ違ったり、きちんと会話として書かれているし、その会話の全体を見ればちゃんと物語になっている。うまい。

こういう会話劇だと、誰がやっても面白くなりそうなものだけど、下手に演じるとちゃんと残念な感じになるもの。

そこに関してはイレブンナインの明逸人さんと澤田未来さん、二人の腕のある役者さんがきっちりまとめている。安心感がすごい。

アフタートークでもお話されていたけど、道外の劇団は作品の質に関わらず集客に苦戦するケースが多いので、こういう形式はもっとあってもよさそう。



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2018/11/6

・ある日、突然「無能者」として排除対象になった人たちが、殺されないように一週間逃げ切ろうとする話。

・高等過程なので、出演者はほぼ高校生くらいの年代、だと思う。

・もうちょっと年齢層に幅がありそうに見えたけど、どういう編成なんだろう。

・世界観も人物設定の説明もそこそこに、唐突にマンハントが始まる。

・正統派B級映画のノリ。題材選択が渋い。

・追跡者のビジュアルが出来上がっている。

・特に片腕マシンロマンスグレーおじさんが素敵。

・腕(特に手首から先)のマシン部分がかっこいいし、いかにも悪役然とした仕草も完成度が高い。

・同僚が殺されて動揺しているメンタルの弱さと、水ぶっ掛けられただけで死ぬモロさもかわいい。

・っていうか、雨の日はどうするんだ。彼。

・あとは鉄線巻き血染めのバッド持ちガールに、学ラン日本刀中二病ボーイ。

・無能者として狩られる対象になるのは、高校生チームと元小説家のホームレス、テレビ局のアナウンサー、政治家、元エリートなど。

・この少子高齢化の時代に高校生を殺すって、なんて悪い奴なんだ。

・いつの間にか仲間になっているチャイナドレスのあだ名がチャイナ。

・いくらそういうキャラだからって、語尾の「あるよ」率がとても高い。

・一体、世界観どうなってるんだ。

・衝動で話やキャラを作っている感じが若い。

・銀魂やBLEACHみたいな感じがしないでもない。

・メカや銃、日本刀などの武器を持つ悪役三人組に戦いを挑むのは、むき出しの角材にビニテを巻いただけのものを振り回す女子高生というのが熱い。

・読んだことないけど『彼岸島』の丸太って、こういうことなのかもしれない(たぶん違う)。

・人を狩る系は好き嫌い分かれるけど、もうちょい腹を据えてジャンルムービーっぽい感覚で作れたらもっと面白くなりそう。

・あと、少年マンガ的な雑多なかっこよさをどこまで信じて作れるのかが、たぶん大事なんだと思う。



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2018/11/3

・ごく平凡な母と娘が、あっという間に過ぎ去っていく人生にちょっとだけ抗う話。

・序盤。母親の周りの時間が、彼女を置き去りにして、暴力的な速さで流れていく。

・まるでそういう呪いにかけられてしまったかのように翻弄される。

・もちろん、それは人生の誇張された姿。

・光陰矢のごとしとは言うけれど、轟音をたてながら走る列車のように人生が過ぎ去る。抗いようがない。

・ただ、それでも娘は抗う。母親と全く同じ人生を繰り返しているように見えて、ほんの少しだけ違う。

・それは、ほんの少しだったとしても進歩とか希望とか言っていいんだと思う。

・「平凡な人生にも価値はある」と言うだけなら簡単で、本作は「こんな状況でもそれ言える?」という人生の否定から始まって、最後には「それでも価値はあるんだ」と肯定している。たぶん。

・結局、娘も同じように時間の流れに弾き飛ばされてしまうんだけど、息子なのか、更にその子供なのか、いつか、あのパートのおばちゃんコンビに一矢報いることを期待したい。

・「人はなぜ生きるのか」という根源的なテーマをこんなにわかりやすくておもしろくできるのはすごい。

・わかりやすくておもしろいと、客としてはそれで満足しちゃうんだけど、それだけじゃないことは強調しておきたい。

・生々しさといとおしさを両立している、奇跡のような認知症の母親。

・その母親役、おぐりまさこさんの表情変わる瞬間でいちいち泣きそうになる。何をどう準備したらあんな演技になるんだ。

・あと、おぐりさんが当たり前のように劇場の受付をやってて心底びっくりする。

・娘役の米山真理さんのガキンチョぶりが全力のガキンチョで笑った。

・ものすごい速さで二人の周りの時間が流れるわけだから、この母娘に共感すればするほど、ジェットコースターに乗っている感覚になるのもわかる。

・昼に見た『裸足のベーラン』は「人はどうしてムダにしか見えないことをやるのか?」と悩む話だったと思うけど、本作では「それは人生が一瞬で終わってしまうからだよ!」と喝を入れているように感じた。

・時間の流れに棹差すためのアイテムが、ある作品ではお人形だし、ある作品では野球だったりお酒だったり、もっと言えば日常の些細な出来事全部だったりする。

・だとすると、人生無駄なことなんか何もないというのもホントなのかもしれない。

※おぐりさんと言えば一人芝居『如水』。会場でもらった上善如水ステッカー。なんか気に入ったのでPCに貼ってみました。



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