<金曜は本の紹介>
「佐賀のがばいばあちゃん」の購入はコチラ
この本を読んで、とめどとなく涙が出てしまい、不覚にも泣いてしまいました。今年1番の本かもしれません・・・
私にとっても、佐賀のこの地域はよく知っている場所なので、感慨深いものもあります・・・
この本は、漫才コンビ「B&B」で有名な島田洋七さんの父が亡くなり、小中学校時代に佐賀のおばあちゃんに預けられて育った時の話をまとめた本です。
ばあちゃんに預けられたのは昭和33年(1958年)の小学校2年生の時で、ばあちゃんは既に58歳ですが掃除婦を続け、貧乏ですが、いつもとんでもなく元気で、明るい人です・・・
ある夕ご飯の席では以下のようなやりとりがあったとのことです。
「ばあちゃん、この2、3日ご飯ばっかりでおかずがないね」
俺がそう言うと、ばあちゃんはアハハハハハハハ・・・・・・と笑いながら、
「明日は、ご飯もないよ」
と答えた。
俺とばあちゃんは、顔を見合わせると、また大笑いした。
それから知らなかったのですが、この題材は、講演、漫才、マンガ、映画、テレビドラマ、舞台でも表現され、映画は今もロングランで全国のどこかで上映されているようですね。確かにこれは売れると思います!とてもオススメな本です!とても癒されます!!
以下は、そのほか、面白かったくだりです。
・事態を飲み込んだら、今度は俺が泣き出す番だった。俺は、まんまとだまされたのだ。おばちゃんのお見送りなどと言って、実はかあちゃんに見送られるのは、俺だったのだ。俺の人生は、ほんまにかあちゃんに背中を押されて変わったんや!
・毎日、毎日、野菜などいろんな物が流れてきては棒に引っかかるので、ばあちゃんは、川のことを「スーパーマケット」などと呼んでいた。しかも、「わざわざ配達までしてくれると」「勘定もせんでよか」と、家の前で川を覗き込んでは笑っていた。たまに、棒に引っかかっているものがないと、「今日は、スーパー休みか」と残念がっている。
・広島でも貧乏だったが、俺はワンランク上のド貧乏になってしまったのだ・・・・・・。けれども、それは、普通では体験できない、ものすごく楽しい日々の始まりでもあった!
・俺は、息を切らして帰るなり、ばあちゃんにせがんだ。「柔道、習わせて。剣道よりお金もかからないって」「タダか?」「タダじゃないけど・・・・・・」「やめときんしゃい」何かやりたいという思いを必死でばあちゃんに伝えると、ばあちゃんは俺の話に耳を傾けてくれ、そして大きく頷いて言った。「分かった。それなら、いいことがある」「何?」「明日から、走りんしゃい」「走る?」「そう。道具もいらないし、走る地面はタダ。走りんしゃい。」
・「ばあちゃん、うちって貧乏だけど、そのうち金持ちになったらいいねー」しかし、ばあちゃんの答えはこうだった。「何言うとるの。貧乏には二通りある。暗い貧乏と明るい貧乏。うちは明るい貧乏だからよか。それも、最近貧乏になったのと違うから、心配せんでもよか。自信を持ちなさい。うちは先祖代々貧乏だから。第一、金持ちは大変と。いいもの食べたり、旅行に行ったり、忙しい。それに、いい服着て歩くから、こける時も気ぃつけてこけないとダメだし。その点、貧乏で最初から汚い服着てたら、雨が降ろうが、地面に座ろうが、こけようが、何してもいい。ああ、貧乏で良かった」・・・・・・・・・・・・・・・。「ばあちゃん、お休み」としか言いようのない俺だった。
・ばあちゃんは、俺に伊勢エビだと言って、ザリガニを食べさせていたのである。伊勢エビなんか食べたことのない俺は、すっかり本気で信じていたのだ。ちなみに、ザリガニもうち専属のスーパーマーケット(川)でよく獲れていた。これは、ばあちゃんが一度だけ、俺についた罪のない嘘だった。
・悲しい話は夜するな。つらい話も昼にすれば何ということもない。
・通知表は、0じゃなければええ。1とか2を足していけば5になる!
・人がこけたら笑え。自分がこけたらもっと笑え。人はみんな、こっけいだから。
・あんまり勉強するな!勉強すると癖になるぞ!
・毎年、毎年、俺の担任は運動会になると腹痛をおこし、弁当を交換してくれ、豪華な料理を食べることができた。かあちゃんが運動会に来られないという俺の話が、代々、職員室で担任に受け継がれ、せめて一年に一度、おいしい物を食べさせてやろうと先生達が練ってくれた策だったらしい。俺が先生の腹痛の意味を知ったのは、6年生になって、初めてばあちゃんにこの話をした時だった。本当の優しさとは、他人に気づかれずにやること。それは、ばあちゃんの信条でもあるらしく、その後も、俺は何度となくその言葉をばあちゃんから聞いた。そしてこの運動会の弁当の話は、今でも俺の心に深く残っている本当の優しさのひとつだ。
・佐賀での8回目の最後の運動会が迫っていた。「今年こそは、必ず運動会を観にきてください」と中学に上がっても、俺は毎年、必ずそんな手紙を母に書き送っていた。その年も、半ばあきらめながら書いたのだが、思いがけず、「今年は観に行きます。楽しみにしています」という返事が返ってきた。しかし、前日に来るはずだったかあちゃんが、待っても待っても来ないのだ。中学での運動会のメインイベントは、マラソン大会だ。男子のコースは7キロほどのハードなものだが、スタートラインに並んでも、かあちゃんの姿はどこにもない。遂に最後のマラソン大会が始まった。このマラソンコースでは、ばあちゃんの家の前も通ることになっている。もうじき家の前という時、俺は見るのが怖くてうつむいた。俺は、自分の足先だけを見つめて黙々と走った。「昭広、頑張って!」その時、俺の耳に、かあちゃんの声が聞こえた。これまで聞いたこともないような、大声だった。顔を上げると、家の前で一生懸命叫びながら、手を振っているのは、確かにかあちゃんだった。「昭広ー!頑張ってー!」その横で、ばあちゃんもニコニコと手を振っている。俺は、思い切ってかあちゃんに向かって叫んだ。「かあちゃーん!速かろうが!勉強ばできんばってん、足は速かろうがー!」かあちゃんも涙に声をつまらせながら、返して来る。「足はかあちゃんに似とっばってん、頭はとうちゃんい似とったい!」家の前を通り過ぎてしばらくすると、噛み殺したような嗚咽が聞こえてきた。みると、田中先生が泣いているのだ。バイクで先導しながら、「ウッ、ウッ」と声を押し殺して男泣きに泣いている。「徳永、良かったなあ。かあちゃん、来てくれて」一着でゴールインした俺は、2位の選手を200mも離していた。学校が始まって以来の記録だったと言う。
・中学を卒業して1週間後の朝、小さな手荷物をひとつ下げて、俺はばあちゃんの家を出て行こうとしていた。ばあちゃんは見送ってくれるでもなく、いつもの朝と同じように、川で釜を洗っている。俺は、ばあちゃんの背中に声をかけた。「ばあちゃん、俺、行くよ」「はよう、行け」「今まで8年間、ありがとう」「はよう、行けて・・・・あぁ、もう水が・・・・・・」背中越しに少し覗き込むと、ばあちゃんは泣いているのだった。大通りへと向かう曲がり角で、俺は振り返った。「ばあちゃん、元気でなーーーーーー」大きく手を振ると、ばあちゃんも手を振っている。「はよう、行けーーーー」仕様がないなあと思った。本当に強情なばあちゃんだ。2、30歩歩いただろうか。背後から、ばあちゃんの声が聞こえた。「行くなーーーーーーーー」
<目次>
プロローグ
第1章 背中を、おされて・・・・・・
第2章 貧乏から貧乏へ
第3章 ピカピカの転入生
第4章 由緒正しい貧乏暮らし
第5章 一番好きで、一番嫌いだった運動会
第6章 湯たんぽが運んできた幸せ
第7章 金は天下の拾いもの!?
第8章 かあちゃんと野球少年
第9章 ばあちゃんとかあちゃん
第10章 1万円のスパイク
第11章 0点のテストと、満点の作文
第12章 好きな先生、きらいな先生
第13章 佐賀の有名人
第14章 うどんと、みかんと、初恋と
第15章 最後の運動会
第16章 おせっかいと優しさ
第17章 バイバイ、佐賀
あとがき
文庫版あとがき
【特別付録】島田洋七を育てた!おさのばあちゃんの楽しく生きる方法語録
面白かった本まとめ(2006年)
面白かった本まとめ(~2006年)
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<今日の独り言>
2歳10ヶ月の息子と懐中電灯を持って、真っ暗な寝室を探検して、宝物?を拾ってくる遊びに夢中です^_^;)逃げろぉー!と叫ぶと急いで走り去ります^_^;)
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私にとっても、佐賀のこの地域はよく知っている場所なので、感慨深いものもあります・・・
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ばあちゃんに預けられたのは昭和33年(1958年)の小学校2年生の時で、ばあちゃんは既に58歳ですが掃除婦を続け、貧乏ですが、いつもとんでもなく元気で、明るい人です・・・
ある夕ご飯の席では以下のようなやりとりがあったとのことです。
「ばあちゃん、この2、3日ご飯ばっかりでおかずがないね」
俺がそう言うと、ばあちゃんはアハハハハハハハ・・・・・・と笑いながら、
「明日は、ご飯もないよ」
と答えた。
俺とばあちゃんは、顔を見合わせると、また大笑いした。
それから知らなかったのですが、この題材は、講演、漫才、マンガ、映画、テレビドラマ、舞台でも表現され、映画は今もロングランで全国のどこかで上映されているようですね。確かにこれは売れると思います!とてもオススメな本です!とても癒されます!!
以下は、そのほか、面白かったくだりです。
・事態を飲み込んだら、今度は俺が泣き出す番だった。俺は、まんまとだまされたのだ。おばちゃんのお見送りなどと言って、実はかあちゃんに見送られるのは、俺だったのだ。俺の人生は、ほんまにかあちゃんに背中を押されて変わったんや!
・毎日、毎日、野菜などいろんな物が流れてきては棒に引っかかるので、ばあちゃんは、川のことを「スーパーマケット」などと呼んでいた。しかも、「わざわざ配達までしてくれると」「勘定もせんでよか」と、家の前で川を覗き込んでは笑っていた。たまに、棒に引っかかっているものがないと、「今日は、スーパー休みか」と残念がっている。
・広島でも貧乏だったが、俺はワンランク上のド貧乏になってしまったのだ・・・・・・。けれども、それは、普通では体験できない、ものすごく楽しい日々の始まりでもあった!
・俺は、息を切らして帰るなり、ばあちゃんにせがんだ。「柔道、習わせて。剣道よりお金もかからないって」「タダか?」「タダじゃないけど・・・・・・」「やめときんしゃい」何かやりたいという思いを必死でばあちゃんに伝えると、ばあちゃんは俺の話に耳を傾けてくれ、そして大きく頷いて言った。「分かった。それなら、いいことがある」「何?」「明日から、走りんしゃい」「走る?」「そう。道具もいらないし、走る地面はタダ。走りんしゃい。」
・「ばあちゃん、うちって貧乏だけど、そのうち金持ちになったらいいねー」しかし、ばあちゃんの答えはこうだった。「何言うとるの。貧乏には二通りある。暗い貧乏と明るい貧乏。うちは明るい貧乏だからよか。それも、最近貧乏になったのと違うから、心配せんでもよか。自信を持ちなさい。うちは先祖代々貧乏だから。第一、金持ちは大変と。いいもの食べたり、旅行に行ったり、忙しい。それに、いい服着て歩くから、こける時も気ぃつけてこけないとダメだし。その点、貧乏で最初から汚い服着てたら、雨が降ろうが、地面に座ろうが、こけようが、何してもいい。ああ、貧乏で良かった」・・・・・・・・・・・・・・・。「ばあちゃん、お休み」としか言いようのない俺だった。
・ばあちゃんは、俺に伊勢エビだと言って、ザリガニを食べさせていたのである。伊勢エビなんか食べたことのない俺は、すっかり本気で信じていたのだ。ちなみに、ザリガニもうち専属のスーパーマーケット(川)でよく獲れていた。これは、ばあちゃんが一度だけ、俺についた罪のない嘘だった。
・悲しい話は夜するな。つらい話も昼にすれば何ということもない。
・通知表は、0じゃなければええ。1とか2を足していけば5になる!
・人がこけたら笑え。自分がこけたらもっと笑え。人はみんな、こっけいだから。
・あんまり勉強するな!勉強すると癖になるぞ!
・毎年、毎年、俺の担任は運動会になると腹痛をおこし、弁当を交換してくれ、豪華な料理を食べることができた。かあちゃんが運動会に来られないという俺の話が、代々、職員室で担任に受け継がれ、せめて一年に一度、おいしい物を食べさせてやろうと先生達が練ってくれた策だったらしい。俺が先生の腹痛の意味を知ったのは、6年生になって、初めてばあちゃんにこの話をした時だった。本当の優しさとは、他人に気づかれずにやること。それは、ばあちゃんの信条でもあるらしく、その後も、俺は何度となくその言葉をばあちゃんから聞いた。そしてこの運動会の弁当の話は、今でも俺の心に深く残っている本当の優しさのひとつだ。
・佐賀での8回目の最後の運動会が迫っていた。「今年こそは、必ず運動会を観にきてください」と中学に上がっても、俺は毎年、必ずそんな手紙を母に書き送っていた。その年も、半ばあきらめながら書いたのだが、思いがけず、「今年は観に行きます。楽しみにしています」という返事が返ってきた。しかし、前日に来るはずだったかあちゃんが、待っても待っても来ないのだ。中学での運動会のメインイベントは、マラソン大会だ。男子のコースは7キロほどのハードなものだが、スタートラインに並んでも、かあちゃんの姿はどこにもない。遂に最後のマラソン大会が始まった。このマラソンコースでは、ばあちゃんの家の前も通ることになっている。もうじき家の前という時、俺は見るのが怖くてうつむいた。俺は、自分の足先だけを見つめて黙々と走った。「昭広、頑張って!」その時、俺の耳に、かあちゃんの声が聞こえた。これまで聞いたこともないような、大声だった。顔を上げると、家の前で一生懸命叫びながら、手を振っているのは、確かにかあちゃんだった。「昭広ー!頑張ってー!」その横で、ばあちゃんもニコニコと手を振っている。俺は、思い切ってかあちゃんに向かって叫んだ。「かあちゃーん!速かろうが!勉強ばできんばってん、足は速かろうがー!」かあちゃんも涙に声をつまらせながら、返して来る。「足はかあちゃんに似とっばってん、頭はとうちゃんい似とったい!」家の前を通り過ぎてしばらくすると、噛み殺したような嗚咽が聞こえてきた。みると、田中先生が泣いているのだ。バイクで先導しながら、「ウッ、ウッ」と声を押し殺して男泣きに泣いている。「徳永、良かったなあ。かあちゃん、来てくれて」一着でゴールインした俺は、2位の選手を200mも離していた。学校が始まって以来の記録だったと言う。
・中学を卒業して1週間後の朝、小さな手荷物をひとつ下げて、俺はばあちゃんの家を出て行こうとしていた。ばあちゃんは見送ってくれるでもなく、いつもの朝と同じように、川で釜を洗っている。俺は、ばあちゃんの背中に声をかけた。「ばあちゃん、俺、行くよ」「はよう、行け」「今まで8年間、ありがとう」「はよう、行けて・・・・あぁ、もう水が・・・・・・」背中越しに少し覗き込むと、ばあちゃんは泣いているのだった。大通りへと向かう曲がり角で、俺は振り返った。「ばあちゃん、元気でなーーーーーー」大きく手を振ると、ばあちゃんも手を振っている。「はよう、行けーーーー」仕様がないなあと思った。本当に強情なばあちゃんだ。2、30歩歩いただろうか。背後から、ばあちゃんの声が聞こえた。「行くなーーーーーーーー」
<目次>
プロローグ
第1章 背中を、おされて・・・・・・
第2章 貧乏から貧乏へ
第3章 ピカピカの転入生
第4章 由緒正しい貧乏暮らし
第5章 一番好きで、一番嫌いだった運動会
第6章 湯たんぽが運んできた幸せ
第7章 金は天下の拾いもの!?
第8章 かあちゃんと野球少年
第9章 ばあちゃんとかあちゃん
第10章 1万円のスパイク
第11章 0点のテストと、満点の作文
第12章 好きな先生、きらいな先生
第13章 佐賀の有名人
第14章 うどんと、みかんと、初恋と
第15章 最後の運動会
第16章 おせっかいと優しさ
第17章 バイバイ、佐賀
あとがき
文庫版あとがき
【特別付録】島田洋七を育てた!おさのばあちゃんの楽しく生きる方法語録
面白かった本まとめ(2006年)
面白かった本まとめ(~2006年)
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<今日の独り言>
2歳10ヶ月の息子と懐中電灯を持って、真っ暗な寝室を探検して、宝物?を拾ってくる遊びに夢中です^_^;)逃げろぉー!と叫ぶと急いで走り去ります^_^;)