喫茶去

徒然に、日々の生活を書き留めたいと思います。喫茶去、まあ、お茶でも飲んで、のんびりしていって。

教林坊

2022-12-02 | 滋賀県の寺・神社・仏像

教林坊は西国第32番 観音正寺にあった十坊のうち
唯一残っている寺院。

昭和50年頃から無住になり
荒れ寺になっていたのだそう。

平成7年に24歳だった現住職の方が
就任され、自らも本堂などの改修に当たられ
平成16年4月、20数年ぶりに
一般公開の運びとなったお寺だそう。


















後方の岩は「聖徳太子説法岩」






掛け軸庭園


ご本尊の十一面観音像

背面にガラス戸が設けられ、
赤川観音を祀る巨岩が見えるようになっている。





苔の緑と深紅の紅葉、
紅葉も一色ではなく
今までこんな美しい紅葉を見たことがない。

まだまだ復興途上ということですが、
想像を絶するような荒れ寺を
よくぞここまで改修され、
こんな素晴らしい紅葉を見られるようにして下さったと、
感謝!感謝!

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長命寺

2022-12-01 | 滋賀県の寺・神社・仏像

聖徳太子没1400年の遠忌で
聖徳太子御姿軸が初公開されている西国第31番 長命寺
御開帳-長命寺9 (biwako-visitors.jp)

今から2000年ほど前に武内宿禰という人が
この地に来た際、



本堂の背後にある六処権現影向石に長寿を祈り
300年の齢(・_・;)を得ることができたそう。

しかし、何千年と落ちないところを見ると、
土に隠れている部分は倍ぐらい大きいんだろうね。

時代が移り、聖徳太子がこの地を訪れたとき、
夢で武内宿禰より観音さまを彫れというお告げを聞き、
柳の木で観音さまを彫って
寺院を建立し祀ったのが長命寺のはじまりとのこと。



ここから808段の石段を登り切ったところに本堂がある。

三度目の長命寺だけど、毎回8合目までタクシーで、
そこから100段の石段を登って本堂へ。

808段の石段を登れば長寿のご利益があるのだろうけど、
100段でもきつい。
808段も登ると、長寿どころか命が尽きそう。

長命寺の周辺はかって
琵琶湖最大の内湖である大中の湖と
琵琶湖に囲まれた大きな島で
船を使って参拝していたのだそう。

長命寺山(333m)の標高約250mの山腹に
琵琶湖を見つめるように









杮・檜皮の屋根の七堂伽藍が立ち並んで、
紅葉と相まって美しかった。





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長光寺

2022-11-30 | 滋賀県の寺・神社・仏像





5年前に御開帳で
長光寺に行っていた。

老蘇の森の仮宮で難産に苦しんでいる妃が
「無事に子どもが生まれたら、

お礼のために寺を建立しましょう」と
手を合わせて祈っていた時、
黄金に輝く光が飛来し、妃の口に飛び込むと
苦しむことなく皇子が生まれた。


皇子の誕生を喜んだ聖徳太子夫妻は
武河綱に命じ光の出所を探させ、
老蘇の森から三十丁ばかり離れた山の麓に
香木と五色に輝く霊石をみつけた。

報告を受け聖徳太子は喜び、
再び武に命じ寺院を建立させ、

当初、武に造らせた寺ということで、
「武作寺」と呼ばれていたが、
やがて、妃に降臨した霊光に因み
「長光寺」と呼ばれるようになった。

聖徳太子は香木にご本尊の千手観音像を刻み、
50年に一度だけ開扉される秘仏として祀った。

今回は聖徳太子没1400年の遠忌ということで
特別に開扉された。

霊石も本堂にお祀りしてある。





余った香木の枝を地に刺したところ

見る間に大木となったという「ハナノキ」の巨木。


二つの御朱印

一度行ってるのに、前記したようないわれの記憶が全くない。(・_・;)
同行して解説してくださったり、資料をいただくことで、
しっかり記憶に残りそうだ。

生きている間に2回も秘仏を見られるなんて

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秘仏とまみえる旅

2022-11-29 | 滋賀県の寺・神社・仏像



聖徳太子没後1400年の年で、
聖徳太子に縁のある寺が日本で一番多い
近江は
今、太子縁の寺宝が次々に公開されているのだそう。

近江の歴史文化の専門家である
大沼芳幸先生の同行で
随時解説もしていただけるということで、
休みも合って、即、参加。

近江八幡駅に10時集合で、
十数名の少人数、私含めて高齢者が多い。
落ち着いた雰囲気で、拝観時間も十分取ってあり、
秘仏とゆったりと対峙できたツアーだった。

まず最初に、聖徳太子が仮宮を設けて
膳部大郎女(かしわべの
おおいらつめ)と
新婚生活を過ごしたと伝えられる、
奥石(おいそ)神社へ。


拝殿

中山道沿いの老蘇の森内にあり、
拝殿の後ろにある本殿は
近くの安土城の天守と
ほぼ同時期に
織田信長が家臣柴田家久に命じて建てさせたのだそう。

華麗な装飾が施してあり、
当代随一の本殿建築だったようだ。

名前の由来は「奥の石」。
向かいの山にある観音正寺(西国三十三所第32番札所)の
奥の院の盤座(神が宿る石あるいは岩)を指し
信仰の対象で、人々は山上に出向き
その盤座に祈りを捧げていた。
その後、麓の村に山上の神が迎えられ、
神の住まいとして
奥石神社が建てられたということらしい。

難産だった妃が
奥石神社に祈願したところ、無事に生まれたことから、
また、伝説では、日本武尊を危機から救うために、
妃の弟橘姫命が身代わりになって荒海に身を投げたが、
そのとき懐妊していた妃は、波間に消える前に
自分は老蘇の森に留まって女人安産を守ると
言い残したといわれ、
この神社は安産の神様として、
広く信仰されているのだそう。

華やかな着物や羽織袴姿の、
姉弟で七五三という子どもたちや
お宮参りの参拝もあって、
温かい雰囲気が漂って、微笑ましかった。


もとは鎌宮と称され
大正13年に奥石神社と改称されたのだそう。

神社仏閣、古からの名称があるだろうに、
どういう経緯で名前が変わったんだろう・・・・・・。








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石馬寺

2022-10-31 | 滋賀県の寺・神社・仏像

約束の時間より少し早く友達の家に着いたので、
「生姜を掘ってる間に、石馬寺行っておいで」と。

石段を登りながら、
何だか来たことあるよなと。
2019年1月に友達に
石馬寺
連れて来てもらったんだった。
すっかり忘れてた。(・_・;)









来年は



70年ぶりの大開帳があるらしい。
また来なくっちゃ。( ^-^; )

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