雲が低く垂れこめた午前5時半。
雨は降っておりませんが、デッキは濡れてます。
気温はプラス9度で、日中の最高気温も16度。
小鳥のさえずりが耳に心地よい。
きのうはいい陽気でしたが、一転、きょうは肌寒い…
ところで、
週刊新潮5月23日号の記事「『寺山修司』に殴り込み『小林薫』宅には包丁で…看板俳優が明かす『唐十郎』武闘派伝説」にふむふむした。
唐十郎が設立した状況劇場の看板俳優のひとり大久保鷹さん(80)があれこれ明かした記事だ。
こんなエピソードも…
「僕と唐さんが新宿ゴールデン街のカウンターの奥で飲んでいると、ふらっと野坂昭如さんがいらしたんです」
「出入口近くしか空いておらず、野坂さんはそこに座った。焼酎を呑みながら本人がいるとは知らず、“最近、新宿にカラとかガラとかいうのが流行り出したな”~中略~“ガラっていうのはよく新宿に来るんだよな”などと言われ、唐さんは頭に血が上ってママに“出刃包丁貸してくれと”」
包丁を受け取った唐はカウンターに突き立て「さっきからうるせえけど、カラてのは俺だ」
ってことで野坂さんはバーッと逃げだした。唐さんも追いかけた。
しばらくして肩を組んで帰ってきたという。
天井桟敷の寺山修司さんとのバトルについても詳しい。
渋谷の警察署の並びに天井桟敷の事務所があり、渋谷で芝居があるというので紅(あか)テントは挨拶の花を送った。
返礼に届いたのが葬式用の黒い花輪で、これがきっかけで有名な大乱闘になったというもの。
実は以前、寺山さんが芝居を打った際、商店街のパチンコ屋からかっさらってきた花を届けたのだという。
これが伏線で「20人ほどが殴り合い」が真相らしい。
「並びが警察署だから捕まって紅テントが7人、天井桟敷が寺山さんを含め二人ぐらいかな。でも翌朝、唐さんと寺山さんは留置場で“よぉ”なんて挨拶している」とあった。
また映画監督の大島渚にアピールしたいと「彼行きつけのバーに推し掛け、たくわん石でボトルを破壊したことも。それでも後に大島の映画に出演することになるから不思議である」
また看板俳優の小林薫さんが退団を告げた際、唐は夜中に彼のアパートに行って説得を試みようとしたものの、小林は帰宅しない。
で、<出刃包丁を下の家から借りてきて座布団の下に入れ、その上にあぐらを組んだ>そうな。
結局小林さんはそれぐらいするとわかっていたので、遠方へ逃亡したそうだ。
そんなあれやこれやのエピソードに、ニヤニヤしてしまった。
同じ号の五木寛之「生き抜くヒント!」にこうあった。
「先日朝の新聞に唐十郎の死が大きく報じられていた。坂本龍一、小澤征爾、に続いて昭和世代のチャンピオンたちが一斉に退場していく」
そう、いよいよ「昭和も遠くなりにけり」ってこと。
おぢ世代が生きてきた、戦後の昭和、面白い時代でもありました…