元旦に熱を出してからほとんど声が出なくなり、インドア生活中です。なので今日は、年末に川辺さん(伊豆大島火山地質図の著者)に同行させてもらった時のことを、報告したいと思います。
嶋田も少しだけ書いていますが、山頂口~火口~樹海~温泉ホテルと一般的なルートを歩いて、沢山の発見がありました。いっぱい教えてもらって謎が解けたけれど、新たな謎も生まれました。
ではまず、教えてもらって「へえ~!」と思ったこと。
その1
「伊豆半島では、溶岩流の分布と同じ場所に町が発展している。」
一番わかりやすいのが、4000年前の噴火でできたと言われる“大室山”でしょうか?
溶岩の流れは広がって緩やかな斜面を作り、人間が住みやすい地面を作るとのこと。
元町も1338年の溶岩流の上にできた町…どこも同じなのですね。
ちなみに大島から船が往復している熱海は、100万年以上古い火山が崩れた場所の上にできた町なのだそうです。
その2
「縄模様の溶岩の丘は、1777年噴火の時の割れ目噴火の跡」
丘のような地形は、割れ目噴火だったのですね!
いつも見ていた風景が、急に特別なものに思えてきました。
その3
三原山の火口から出たものは、班しょう(白い粒)によって年代がわかる。
安永噴火は班晶が多く10%。1986年の噴火は6~8%。
見比べてみると確かに、白い粒の量が違います。
地下のマグマの状態はその時々によって実に多様なんですね。
川辺さんと歩くと、地層の色や形状をパッと見ただけで「いつ頃、どんな噴火で積ったか」がわかるので、毎回感動します。川辺さんにとって大島の地層は、親しい友人のような存在なのではないでしょうか?(私も地層と親しい友人になりたいのですが、物覚えが悪くて友人の顔を忘れちゃうんです…)
その4
「火口には年代の違う溶岩流が見えている。」
上が1986年噴火の溶岩流が固まったもので、その下が1951年噴火の溶岩流。
言われてみると確かに…。
今まで1段だと思って見ていたものが、急に2段に見えてきました。
その5
「樹海の大きな溝は溶岩トンネルの天井が崩壊したものではないか?」下の写真は半年前のものですが「壁に横筋が入っているのは、溶岩の流れを表しているのでしょう」とのこと。
後から赤色立体図と地形図を組み合わせたものに川辺さんのGPSデータをいれて、溶岩チューブでほぼ間違えないという連絡をもらいました。これでやっと、お客様に自信をもって説明できます。
その6
「温泉ホテル駐車場の地層の乱れは、木が倒れた跡ではないかと考えている。倒れた木の根が地面を持ち上げたのではないか?」
1000年以上昔、ここに生えていた木が何かの原因で倒れたかもしれない…そのことを想像すると、なんだかワクワクしますね。
この他、ほんとうに沢山のことを教えてもらいました。
「これは“コアドボム”といって、古い溶岩の周りを新しい溶岩がつつんだもの。」
「ここにも溶岩チューブ」
(初めて気づいた場所でした)
「神社の裏に、年代の違う溶岩流」
明らかに見た目が違うので、機会があったらぜひ、この向きからのぞいてみてください。
「白石山、二子山、中央火口丘に近い成層火山だったではないか?」
「スコリアと軽石の違いについて…大島の溶岩は粘りがないので気泡が大きくなり、くっつきあうので水に沈む(スコリア)。神津島、新島などは粘りのある溶岩なので気泡が大きくなれず、くっつきあわないので水に浮く(軽石)。」等々…。
こうして、今までの疑問がいっぱい溶けましたが、あらたに大きな大きな疑問が生じました。
噴火で植生がガラリと変わったと信じていた草地→樹高3~4mぐらいの森→樹高4~6mぐらいの森へと変化する1本道。それが森の変化の間には、植物に影響を及ぼすような噴火はなかったということがわかったのです。
樹高4~6mの森。
ここには、それまで見られなかったアオキという木が、たくさん生えています。
それまでと、まるで植生が違うのです。
こんな大きな変化が噴火以外で起きるのでしょうか?
だとしたら、いったい何が原因で、この違いができたのでしょう?
そういえば、舗装された遊歩道沿いにも、未だに全く植物が生えてこない空間があります。
ここも…
風のあたり具合に、それほどの差があるとは思えないのですが、いったいなぜ?
…この疑問が解決したら、この日新たに生じた「1本道の謎」も解けるかもしれません。
この先いつか、新たな疑問を解くためのヒントが見つかる日が来るのでしょうか?
いつかまた、謎解きだけのために歩きたいです。
(カナ)
嶋田も少しだけ書いていますが、山頂口~火口~樹海~温泉ホテルと一般的なルートを歩いて、沢山の発見がありました。いっぱい教えてもらって謎が解けたけれど、新たな謎も生まれました。
ではまず、教えてもらって「へえ~!」と思ったこと。
その1
「伊豆半島では、溶岩流の分布と同じ場所に町が発展している。」
一番わかりやすいのが、4000年前の噴火でできたと言われる“大室山”でしょうか?
溶岩の流れは広がって緩やかな斜面を作り、人間が住みやすい地面を作るとのこと。
元町も1338年の溶岩流の上にできた町…どこも同じなのですね。
ちなみに大島から船が往復している熱海は、100万年以上古い火山が崩れた場所の上にできた町なのだそうです。
その2
「縄模様の溶岩の丘は、1777年噴火の時の割れ目噴火の跡」
丘のような地形は、割れ目噴火だったのですね!
いつも見ていた風景が、急に特別なものに思えてきました。
その3
三原山の火口から出たものは、班しょう(白い粒)によって年代がわかる。
安永噴火は班晶が多く10%。1986年の噴火は6~8%。
見比べてみると確かに、白い粒の量が違います。
地下のマグマの状態はその時々によって実に多様なんですね。
川辺さんと歩くと、地層の色や形状をパッと見ただけで「いつ頃、どんな噴火で積ったか」がわかるので、毎回感動します。川辺さんにとって大島の地層は、親しい友人のような存在なのではないでしょうか?(私も地層と親しい友人になりたいのですが、物覚えが悪くて友人の顔を忘れちゃうんです…)
その4
「火口には年代の違う溶岩流が見えている。」
上が1986年噴火の溶岩流が固まったもので、その下が1951年噴火の溶岩流。
言われてみると確かに…。
今まで1段だと思って見ていたものが、急に2段に見えてきました。
その5
「樹海の大きな溝は溶岩トンネルの天井が崩壊したものではないか?」下の写真は半年前のものですが「壁に横筋が入っているのは、溶岩の流れを表しているのでしょう」とのこと。
後から赤色立体図と地形図を組み合わせたものに川辺さんのGPSデータをいれて、溶岩チューブでほぼ間違えないという連絡をもらいました。これでやっと、お客様に自信をもって説明できます。
その6
「温泉ホテル駐車場の地層の乱れは、木が倒れた跡ではないかと考えている。倒れた木の根が地面を持ち上げたのではないか?」
1000年以上昔、ここに生えていた木が何かの原因で倒れたかもしれない…そのことを想像すると、なんだかワクワクしますね。
この他、ほんとうに沢山のことを教えてもらいました。
「これは“コアドボム”といって、古い溶岩の周りを新しい溶岩がつつんだもの。」
「ここにも溶岩チューブ」
(初めて気づいた場所でした)
「神社の裏に、年代の違う溶岩流」
明らかに見た目が違うので、機会があったらぜひ、この向きからのぞいてみてください。
「白石山、二子山、中央火口丘に近い成層火山だったではないか?」
「スコリアと軽石の違いについて…大島の溶岩は粘りがないので気泡が大きくなり、くっつきあうので水に沈む(スコリア)。神津島、新島などは粘りのある溶岩なので気泡が大きくなれず、くっつきあわないので水に浮く(軽石)。」等々…。
こうして、今までの疑問がいっぱい溶けましたが、あらたに大きな大きな疑問が生じました。
噴火で植生がガラリと変わったと信じていた草地→樹高3~4mぐらいの森→樹高4~6mぐらいの森へと変化する1本道。それが森の変化の間には、植物に影響を及ぼすような噴火はなかったということがわかったのです。
樹高4~6mの森。
ここには、それまで見られなかったアオキという木が、たくさん生えています。
それまでと、まるで植生が違うのです。
こんな大きな変化が噴火以外で起きるのでしょうか?
だとしたら、いったい何が原因で、この違いができたのでしょう?
そういえば、舗装された遊歩道沿いにも、未だに全く植物が生えてこない空間があります。
ここも…
風のあたり具合に、それほどの差があるとは思えないのですが、いったいなぜ?
…この疑問が解決したら、この日新たに生じた「1本道の謎」も解けるかもしれません。
この先いつか、新たな疑問を解くためのヒントが見つかる日が来るのでしょうか?
いつかまた、謎解きだけのために歩きたいです。
(カナ)