日本の政治家のほとんどは、自己の欲望(権力欲、名誉欲・・・)などきわめて個人的な欲望のために政治家を志す。この地域からでている政治家も同様だ。とくに松下政経塾出身の政治家には、そういうものが多い。
ところで、松本復興大臣が岩手や宮城で、みずからの本質を端的に表現する言動を行った。これが日本の政治家の姿だ。「おれは偉いんだ」という虚構の自画像に依拠して、知事をはじめ国民、県民を見下す。こういう人物が大臣となる、いや政治家となって国会に入り込む。そして首相は、こういう人物を大臣にする。
こういう政治家を選出したのは、国民である。とくに福岡県の選挙民は人を見る目がないようだ。解放運動のリーダーであった松本治一郎。その後継らしいが、その志ではなく、地位だけを後継したようだ。
「世のため人のため」ということばがある。自己のためではなく、「世のため人のため」に身を捨てる覚悟をもった、そういう政治家はいないのである。
ところで、松本復興大臣が岩手や宮城で、みずからの本質を端的に表現する言動を行った。これが日本の政治家の姿だ。「おれは偉いんだ」という虚構の自画像に依拠して、知事をはじめ国民、県民を見下す。こういう人物が大臣となる、いや政治家となって国会に入り込む。そして首相は、こういう人物を大臣にする。
こういう政治家を選出したのは、国民である。とくに福岡県の選挙民は人を見る目がないようだ。解放運動のリーダーであった松本治一郎。その後継らしいが、その志ではなく、地位だけを後継したようだ。
「世のため人のため」ということばがある。自己のためではなく、「世のため人のため」に身を捨てる覚悟をもった、そういう政治家はいないのである。