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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

原発マネーにまみれた自民党

2011-07-24 15:24:30 | 日記
 この記事は記録しておかなければならない。今日の『中日新聞』(『東京新聞』)の朝刊に掲載されていた。自民党がなぜ原発を推進してきたか。その背後にはカネがある。おそらく電力各社の組織的な寄付であろう。

 このように、日本の政治は、税金とは別途に政治家たちに渡されるカネで動くのだ。私たち国民は働いて税金を納めているのだが、その税金が、原発推進政策に費消され、それらが政治家たちの懐に入っていく。


電力各社役員 個人寄付 35年前から   2011年7月24日 朝刊

 東京電力など電力九社の役員・OBらによる自民党の政治資金団体「国民政治協会」本部への個人献金問題で、電力業界の役員による寄付が遅くとも一九七六年に始まっていたことが二十三日、共同通信の調べで分かった。献金額は三十五年前から各社とも役職別でほぼ横並びが固定化していた。電力業界は七四年に企業献金の廃止を決めたが、直後に個人での対応に切り替えた形になっており、個人献金に名を借りた組織的な政治資金拠出の構図が透けて見える。

 官報や有価証券報告書から、役員の献金が最初に確認できるのは七六年。当時の官報に記載された個人献金者は十万円以上が対象で、その氏名と電力各社の当時の役員を照合した。

 その結果、九社のうち東電、中部電力、関西電力、四国電力、九州電力計五社の役員が七六年に総額で千七百五十八万円を国政協に寄付。役職別では社長が三十六万円、副社長二十四万円、取締役十万円のケースが大半で、各社ともほぼ同額だった。

 企業としての献金廃止表明から五年後の七九年から十年ごとに推移を見ると、官報に記録が残る十万円以上支出した役員の献金額の合計は七九年が千七百八十八万円で、八九年二千三百三万円、九九年三千七百五十九万円と増加の一途だった。

 九〇年代前半からは九社の役員が足並みをそろえて寄付し、組織的な対応が広がった。

 電力九社は七三年まで、国政協の前身である国民協会に企業として年間数億円を献金。この年は計四億円ちょうどで、自民党派閥の政治団体などにも計千二百八万円を寄付した。しかし、翌七四年七月の参院選で当時の田中角栄首相に対する金権政治批判が高まったのを受け、企業献金廃止が決まり、その後に個人献金へ移行した。


 またこのブログの記事も見逃せない。日本の政治はこのように腐臭を放っている。

http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2011-07-24

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山本俊一『日本らい史』(東京大学出版会)

2011-07-24 15:06:30 | 日記
 「静岡県におけるハンセン病問題」について研究を始めている。その一環として、『日本らい史』を読んだ。この本は1993年に刊行されている。

 基礎的な文献になるとは思うが、時の流れが行ったり来たりしたり、史資料をならべて解説するという記述で、初心者としてはそれなりに学ぶことはあったが、表面的な記述に終わっている。おそらく著者は、ハンセン病の問題性についての認識をあまり持っていないのであろう。記述が鋭角的ではない。

 静岡県におけるハンセン病問題に関する語句・人名と言えば、神山復生病院、駿河療養所、飯野十造、そして明石海人、村越化石らがあげられる。

 この『日本らい史』を読んでいていくつか学んだこと。

 明治初期、浜松の普済寺に、起廃病院の分院が置かれていたこと、戦後、聖隷病院の創設者である長谷川保が国会議員時代、ハンセン病問題でいろいろ動いていること、これらを学ぶことができた。

 私としては、ハンセン病者の生の軌跡をまず学びたいと思っている。

 研究は始まったばかりであるが、被差別、在日コリアンなど差別に関する研究をしてきた私は、ハンセン病問題の研究をその集大成にしたいと思っている。

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自衛隊はアメリカ軍の傀儡?

2011-07-24 10:19:02 | 日記
 アメリカの属国である日本は、当然アメリカの戦闘機を買わなければならない。欲しい戦闘機ではなく、アメリカ国防総省が「これがいいよ」というものでないと、親分であるアメリカのご機嫌を損ねてしまう。

 何が何でもアメリカの言いなりの日本。


FX飛ばさず選定へ 防衛省 1兆円の買い物なのに… 

2011年7月24日 朝刊

 次期戦闘機(FX)の選定をめぐり、防衛省が実機による飛行審査を省略し、書面だけで決めようとしていることが分かった。未完成の米ロッキード・マーチン社のF35戦闘機に有利に働く可能性が高まり、関係者から「不公平だ」との不満が出ている。東日本大震災で巨額の復興資金が必要とされる中、不透明な選定により、巨額の税金を投入すれば「無駄遣い」との批判を浴びるのは必至だ。 (編集委員・半田滋)

 FXは老朽化したF4戦闘機の退役に伴い、約四十機の導入を予定している。総額一兆円の巨額な航空商戦となる。

 防衛省に正式に売り込みを提案したのは、F35のほか、米ボーイング社のF/A18、英BAEシステムズ社のユーロファイターの三機種で、年内に決定する。

 外国メーカーから購入する戦闘機の選定は、実際に飛ばして運動性能を比較検討してきたとされる。今回、飛行審査を外した理由について、防衛省幹部は「飛行審査で分かるのは操縦士の感覚的なもの。必ずしも行う必要がない」と強調するが、書面などで示されるデータだけでは、必要な運動性能があるのか確認できない。

 日米共同開発した航空自衛隊のF2戦闘機の場合、完成後に主翼の強度不足などの欠陥が次々に判明、机上のデータと実機の性能との落差が際立った。

 かつて航空自衛隊はレーダーに映りにくいステルス機のF22戦闘機の導入を追求したが、米議会が輸出禁止を決定。ゲーツ前米国防長官から「(F22後継の)F35はどうか」と進言され、今日に至っている。

 そのF35について米政府監査院(GAO)は今年四月、「飛行試験で能力の4%が証明されたにすぎない」と苦言を呈するほど開発が遅れている。

 他国での導入実績もある残る候補二機種を含めて、防衛省が飛行審査を選定条件にすれば、F35は脱落しかねない。そこで飛行審査が消えたとの見方が関係者から示され、「FXは出来レース」との批判が強まっている。
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こういう人が大臣!

2011-07-24 10:14:00 | 日記
 「朝日新聞」の記事。大臣ともあろう人がこういう発言をして良いものだろうか。経産省がやみくもに原発推進政策を進めてきて、さらに安全対策も怠ってきた結果の事故。海江田氏が率先して事故現場に行って陣頭指揮でもするのなら賞賛されるだろうが、過酷な労働環境であるが故に、せめて被曝量を管理して労働者の健康を維持するために労働安全法が制定されている。

 大臣は、労働安全法を遵守するような発言をすべき。海江田さん、あなたが線量計をつけないで現場に行ったらどうですか。


「線量計つけず作業、日本人の誇り」 海江田氏が称賛関連

 海江田万里経済産業相は23日のテレビ東京の番組で、東京電力福島第一原子力発電所事故後の作業に関連し、「現場の人たちは線量計をつけて入ると(線量が)上がって法律では働けなくなるから、線量計を置いて入った人がたくさんいる」と明らかにした。「頑張ってくれた現場の人は尊いし、日本人が誇っていい」と称賛する美談として述べた。

 番組終了後、記者団に対し、線量計なしで作業した日時は確かでないとしたうえで、「勇気のある人たちという話として聞いた。今はそんなことやっていない。決して勧められることではない」と語った。

 労働安全衛生法では、原発で働く作業員らの健康管理に関連し、緊急作業時に作業員は被曝(ひばく)線量の測定装置を身につけて線量を計るよう義務づけられている。作業員らが被曝線量の測定装置をつけずに作業をしていたのなら、法違反にあたる。厚生労働省は、多くの作業員に線量計を持たせずに作業をさせたとして5月30日付で東電に対し、労働安全衛生法違反だとして是正勧告している。
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地域の重層性

2011-07-24 08:02:32 | 日記
 静岡県下においては、市町村史の編纂は下火になった。もう長期間刊行されることはないだろう。

 私はいつも不満に思っていることがある。現在のようにグローバリゼーション、国際化だとかが叫ばれている時に編纂される市町村史のほとんどが、その視点を持っていないことである。特に近現代史がそうだ。

 前近代史、とくに戦国時代までは史料があまりないため、当該の市町村をこえて、県レベル、あるいは県を超えたレベルでの記述がなされる。ところが近世になると、史料の残存状態がいいので、地域にべたっとはりついた記述となる。しかし、江戸期の庶民は、他の地域と交流しなかったのか、そんなことはない。江戸期は商品の流通や国内市場がかなり発展していたし、人々は伊勢参りなどで他の地域に行っていたはずだ。
 もちろん、これとて史料がないと書けないから、何とも言えない。

 では近現代ではどうか。近現代では、地域は重層的な様相を呈しているはずだ。当該の地域を中心にするのは当然だが、その地域には国家の政策、国際関係などが入り込んできているはずだ。近代日本国家は中央集権的な制度を構築した。したがって、国策がどうなっているのか、それに対して地域はどう対応したのか、国策とおりにはならないのであって、その国策と地域の実情を踏まえた地域の対応との偏差が記述されなければならない(農業政策でも、産業政策でも、政府の政策を踏まえない記述ではまったく不十分である)。そしてその国策は戦争などを通して地域を国境から外に押しだしていく関係をつくるし、また人や物も国境をこえていく。

 残念ながら、近現代は史資料がかなりあるので、地域だけの史資料だけで書けてしまう。そうすると、古代中世よりも狭い範囲の記述になってしまう。

 地域はもっとダイナミックなものであると思う。そのダイナミックな動向が記述されない。それでよいのか。

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