政府も、東電も中電も、数字を明らかにしないで、節電、節電と騒いでいる。エネルギーを節約することは、基本的に賛成であるが、現在の節電推進策のウラに、原発必要の意識を醸成しようとする企みを感じる。
世の中の人は、国家(政府)や大企業など、権力をもっている機関や人に対して、疑うということをしないようだ。権力は常に腐敗するのである。権力に対しては疑ってかかること、これは正しい態度である。
政府も、東電も中電も、数字を明らかにしないで、節電、節電と騒いでいる。エネルギーを節約することは、基本的に賛成であるが、現在の節電推進策のウラに、原発必要の意識を醸成しようとする企みを感じる。
世の中の人は、国家(政府)や大企業など、権力をもっている機関や人に対して、疑うということをしないようだ。権力は常に腐敗するのである。権力に対しては疑ってかかること、これは正しい態度である。
佐藤優の『獄中記』は面白く読んだ。
しかし、その後、各所で彼が書いた文章を読むと、佐藤優という人物が理性的な思考をしている人とは思えなくなった。拝外主義的な言説、中東問題、沖縄問題に関する言説など、なぜこの人物を『週刊金曜日』や『世界』が重用しているのかわからない。『世界』は朝鮮問題の民主的・平和的な解決をもとめる言説を精力的に掲載しているにもかかわらず、日本国内の在日に対する拝外主義的言説を吐く人物をなぜ重用するのか。彼の言説は、民主主義とははるかに隔たっているある種独特の国家主義的なものだ。
今日届いた『週刊金曜日』の編集後記である「金曜日から」に、金光翔氏の闘いのことが載せられていた。金氏が「佐藤優現象」と闘っていることについての言及であった。早速氏の「私にも話させて」というブログにアクセスしたが、金氏の主張・批判は、納得できるものであった。
私は、佐藤優という人物は、国家主義的な思考に裏打ちされた「売文家」であると思っている。
http://watashinim.exblog.jp/m2011-07-01/
http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/7eb1a408480904e94e667a80c5a608e2
この問題、九州電力が謝罪し、テレビや新聞も大きく報道している。
しかしもともとこの説明会、最初から胡散臭いものであった。
一般メディアには開放せず、地元ケーブルテレビやインターネットでしか視聴できないこの説明会、「しっかり聞きたい、玄海原発」は、6月26日に行われた。悪名高い原発推進の国家機関のひとつである経産相省原子力安全・保安院、資源エネルギー庁の職員4人と大学教授が、国側が選んだ県民代表7人に安全性の説明や疑問に回答するというものであった。
国側が選び、非公開で行われたというところがおかしい。
九州電力がやらせたというが、経産省もからんでいるのではないか。ひょっとしたら、そちらが本家本元かもしれない。
この問題の関連ブログ。
http://ratio.sakura.ne.jp/archives/2011/07/07205327/
http://blog.livedoor.jp/nihonkokukenpou/archives/51597538.html
町田の住人から、今はもう亡くなられた藤岡次郎氏が書かれた書評のコピーを送っていただいた。『歴史評論』の301、302の二号にわたって書かれた長大な書評である。
書評されている本は、今永清二『近代中国革命史』である。この本の内容が、逐一俎上に載せられ検討される。もちろん藤岡氏も中国史の専攻である。
書かれている内容の矛盾(たとえば時間的順序の逆転)の指摘、引用の仕方(いかに誤読しているか、引用箇所の要約の間違い)の指摘、そして誤記。
誤記については、逐一反論の根拠となる文献をあげ、完膚無きまでに批評する。藤岡氏は、中国史のみならず、西欧の封建社会・、日本史についての該博な知識、そして中国語の文献、英語文献などの渉猟、それらを背景にしてきわめて正統的に批評する。しかしその該博な知識に驚きあきれる。
こういう書評を読むと、書く側はよほどしっかりと書かないといけないし、書評する際には真剣勝負でなければならないという気持ちにもなる。
学者といわれる人の中には、何のためらいもなく誤記し、平気で悪文を書く人もいる。藤岡氏に書評させたら、と思う。
もちろん自戒すること、この書評を読んで、もっとも感じたことだ。