浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

小論文を書く

2013-02-05 16:16:37 | 日記
 小論文を書かなければならなくなったときのことを少し書いておく。

 テーマを与えられたら、そのテーマに関する知識(情報)をきちんと集めることが肝要だ。それなしに、与えられたテーマについて書くことは出来ない。

 文を書くということは、今までに集積された知を総動員するということでもある。しかしその知は、漠然としたものが多い。ただ漠然としていても、当該テーマについて、どういうことが問題とされているのかは、案外掴みやすい。もちろん社会の動きを、関心を持って見つめていたときにのみ、それは言えることだ。無関心に生きていれば、テーマを与えられても、何を書いてよいかわからないだろう。だから、できるだけ社会の動きを見つめるために、たとえば『世界』や『現代思想』などの雑誌に目を通しておこう。
 
 社会的な関心を持って、いろいろな文献や資料、新聞などを読むのであるが、「これは!」と思った内容については、手元に置いておくようにしよう。文献そのものを置いておくためには、その文献を入手しなければならない。カネがあれば購入すればよいが、ない場合は、「これは!」と思ったところをコピーしておけばよい。ただしコピーや新聞の切り抜き、資料などはきちんと整理しておかないと、使うべき時にみつからないことがある。100円ショップにいけば、書類整理用のプラスチックケースがあるから、それに表題をつけて整理しておくのだ。

 文献や資料を読んで、すべてを頭に入れておくことは不可能なので、重要な部分については手元に置いておき、必要になったときに取り出して、確認しながら利用したり、引用したりすればよい。

 論文を書く時には、手元に関連する資料がないとなかなか書けないものだ。知というものは、頭の中に入れておくことだけではなく、手元にいつでも使える資料として置いておくことも考えるべきである。

 ボクは、文献やコピー、新聞の切り抜きなど、関連資料を問題ごとにまとめて置いてある(プラスチックケースの場合もあれば、紙袋にまとめて入れたりしている)。何らかのテーマに関して書かなければならなくなったときには、それらを取り出し、もう一度読んだり(といっても熟読することはない。さらっと見るのだ)して、それで書いていくのである。

 何を書かなければならないかは、その都度変わる(時代状況の変化や問題意識の変化などによる)が、資料が手元にないままに書くことはとても難しい。文学作品は思いついたことを書けばいいのだが、小論文はそうはいかない。客観的な事実を踏まえて書いていくのであるから、いい加減なことは書けないのだ。

 何を伝えたいかを基本に、説得力ある文にするためには、どうしたらよいかを考えてほしいと思う。



 文を書く時には、いい加減な材料を用いるわけにはいかない。
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品川駅で

2013-02-05 15:59:42 | 日記
 今日明日は、東京にいる。本当は車で行くつもりであったが、明日東京は大雪だという。関東に住む親族から、車はやめたほうがよいと言われたので、新幹線にした。

 品川駅のコーヒーショップで軽食をとりながら、品川駅構内を歩く人を見ていた。今の時刻、浜松駅周辺だったら、老人ばかりだろう。老人、すなわち多くは年金生活者だ。

 しかし品川は、若い人をはじめ、働き盛りの人びとが早足で行き来していた。この人たちの中には、地方で生まれ育ち、東京で働いている人が多いのだろう。もちろん、彼らは納税者だ。都民税をたくさん納めているだろう。

 また日本の会社法人も東京に本社を持つ。法人住民税などもたくさん集まることだろう。

 となると、東京だけにカネが集まってくる。

 他方、地方はカネが集まらない。地方で育った子どもたちは大都市に集中し、大都市で税を納める。会社法人は、地方都市でもうけてそのカネの一部を大都市に納める。

 かくして地方のカネは、大都市に集められる。大都市は繁栄し、地方は疲弊していく。

 そういうことを重いながら、雑踏を眺めていた。

 すると、浜松市の「限界集落」調査の日程が決まったという連絡が来た。

 地方に住むということは、地方に生じる問題群と対面することでもある。それは地方切り捨て政策と闘うことでもあるが、しかしその前途はきわめて暗い。

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