奥田英朗の『オリンピックの身代金』を読み始めた。村上の次の本が図書館から来ないからだ。
『ララピポ』とは異なり、硬派の小説のようだ。それを読み終えたら、Yさんが推薦した『ねじまき・・・』を読み始めよう。
今日は、映画を2本見た。TSUTAYAから借りてきたものだ。「ララピポ」と「ノルウェイの森」。「ララピポ」の脚本を書いたのは中島哲也。中島の脚本による「嫌われ松子の一生」、「下妻物語」の映画が面白かったので借りてきたのだが、原作と比べるとどうもイマイチであった。
「ノルウェイの森」は、原作を読んでいないとなかなか理解できないようなものだった。ということは、映画が独立した作品になっていないということだ。
この映画を見てなるほどと思ったことがあった。村上のこの作品は、観念小説だということだ。荒唐無稽の物語を村上は書いているが、これはそれとは異なり、相対的に現実的なストーリーであったが、映画を見ていると、やはり地に足をつけた内容ではない、抽象的なものだということがわかる。
バックに流れていた曲は、もちろんビートルズの「ノルウェイの森」もあるが、現代音楽的なものが多かった。そういうバック音楽でないと、このストーリーにはあわないのだ。ジャズでもなく、クラシックでもなく・・・・
{追記}
『噂の女』の本を紹介したブログの最後に「明日も明後日も生きていかなければならないのだ。フーッ」と書いた。それは『ララピポ』の最後の部分に書かれていた文を借用したものだが、町田の住人から「明日も明後日も生きていかなければならないのだ。フーッと書いておられますが、お先に行かれてもけっこうです」というメールがきた。
町田の住人より先に行くわけには行かない。まだまだしなければならないことがある。ボクは奴隷ではないから。
『ララピポ』とは異なり、硬派の小説のようだ。それを読み終えたら、Yさんが推薦した『ねじまき・・・』を読み始めよう。
今日は、映画を2本見た。TSUTAYAから借りてきたものだ。「ララピポ」と「ノルウェイの森」。「ララピポ」の脚本を書いたのは中島哲也。中島の脚本による「嫌われ松子の一生」、「下妻物語」の映画が面白かったので借りてきたのだが、原作と比べるとどうもイマイチであった。
「ノルウェイの森」は、原作を読んでいないとなかなか理解できないようなものだった。ということは、映画が独立した作品になっていないということだ。
この映画を見てなるほどと思ったことがあった。村上のこの作品は、観念小説だということだ。荒唐無稽の物語を村上は書いているが、これはそれとは異なり、相対的に現実的なストーリーであったが、映画を見ていると、やはり地に足をつけた内容ではない、抽象的なものだということがわかる。
バックに流れていた曲は、もちろんビートルズの「ノルウェイの森」もあるが、現代音楽的なものが多かった。そういうバック音楽でないと、このストーリーにはあわないのだ。ジャズでもなく、クラシックでもなく・・・・
{追記}
『噂の女』の本を紹介したブログの最後に「明日も明後日も生きていかなければならないのだ。フーッ」と書いた。それは『ララピポ』の最後の部分に書かれていた文を借用したものだが、町田の住人から「明日も明後日も生きていかなければならないのだ。フーッと書いておられますが、お先に行かれてもけっこうです」というメールがきた。
町田の住人より先に行くわけには行かない。まだまだしなければならないことがある。ボクは奴隷ではないから。