この本は読もうかやめようかと考えた。現物を見てから考えようと書店に行った。
宮地尚子という名は、知っていた。以前どこかの大学入試問題に宮地の論文の一部が載せられていて、それを読んで論ずるというものであったが、その文が難解で、どうしてこうわかりにくい文を書くのかと思った。
店頭で見て、これは読もうと思った。「トラウマ」とか「PTSD」ということばは知っていても、それについて詳しい文献を読んだことがなかった。現代社会に生きる者として、まあ常識(教養)として知っておかなければならないと思ったからだ。
ということは、学生諸氏も読んでおいたほうがよい、という本である。
「トラウマ」とは何か、から始まって、「トラウマ」をもって生きている人の状況、「トラウマ」をもって生きている人にどう対処するか、どう治療するか、そしてDV、性暴力、加害者となることができる背景など、具体的なことを理論的にわかりやすく説明している。
DV家庭に育つと、「力の強い者が弱い者を支配するのは当然」、「力で押さえつければ、相手は思い通りになるものだ」という価値観や人間観を植え付けられ、将来の加害者や被害者にもなりかねません。(127~8)
これは経験的に知っていることでもあるが、DVは当事者だけではなく、それが子どもたちに伝えられていくということだ。
また「女性の100人に一人が中学校に上がるまでに、レイプ被害に遭っている」(131)という記述には驚く。
「加害」を実行するために、またその後に自分の心が傷つかないようにするためには、正当化が必要だと言うことです。また、正当化の理由があれば、人は簡単に暴力行為を容認したり、それを望ましいとみなすこと、命令と実行の分離が「加害」を容易にすることなどが、近年の研究からわかってきています。(181)
この記述に続いて、どういうことが「正当化の理由」となるかを具体的にあげているが、上下(タテ)関係が基軸となっていることがわかる。そして「人は権威や命令には従順である」(191)という指摘にも、納得できる。
「加害」が「トラウマ」をつくりだすのだから、「正当化の理由」をどう崩していくかが重要ではないかと思う。
この本を読んで、引用・参考にされた文献、巻末にあげられている文献のいくつかを読みたくなった。
「トラウマ」は、これからもあちこちで論じられるから、この本は買っておいたほうが良いと思う。
宮地尚子という名は、知っていた。以前どこかの大学入試問題に宮地の論文の一部が載せられていて、それを読んで論ずるというものであったが、その文が難解で、どうしてこうわかりにくい文を書くのかと思った。
店頭で見て、これは読もうと思った。「トラウマ」とか「PTSD」ということばは知っていても、それについて詳しい文献を読んだことがなかった。現代社会に生きる者として、まあ常識(教養)として知っておかなければならないと思ったからだ。
ということは、学生諸氏も読んでおいたほうがよい、という本である。
「トラウマ」とは何か、から始まって、「トラウマ」をもって生きている人の状況、「トラウマ」をもって生きている人にどう対処するか、どう治療するか、そしてDV、性暴力、加害者となることができる背景など、具体的なことを理論的にわかりやすく説明している。
DV家庭に育つと、「力の強い者が弱い者を支配するのは当然」、「力で押さえつければ、相手は思い通りになるものだ」という価値観や人間観を植え付けられ、将来の加害者や被害者にもなりかねません。(127~8)
これは経験的に知っていることでもあるが、DVは当事者だけではなく、それが子どもたちに伝えられていくということだ。
また「女性の100人に一人が中学校に上がるまでに、レイプ被害に遭っている」(131)という記述には驚く。
「加害」を実行するために、またその後に自分の心が傷つかないようにするためには、正当化が必要だと言うことです。また、正当化の理由があれば、人は簡単に暴力行為を容認したり、それを望ましいとみなすこと、命令と実行の分離が「加害」を容易にすることなどが、近年の研究からわかってきています。(181)
この記述に続いて、どういうことが「正当化の理由」となるかを具体的にあげているが、上下(タテ)関係が基軸となっていることがわかる。そして「人は権威や命令には従順である」(191)という指摘にも、納得できる。
「加害」が「トラウマ」をつくりだすのだから、「正当化の理由」をどう崩していくかが重要ではないかと思う。
この本を読んで、引用・参考にされた文献、巻末にあげられている文献のいくつかを読みたくなった。
「トラウマ」は、これからもあちこちで論じられるから、この本は買っておいたほうが良いと思う。