浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

疑問

2013-02-21 21:17:44 | 日記
 村上作品を読む人は、水を飲むように読んでいくのだという。おそらく、その場合、暑い日、戸外でスポーツなどをやっていた直後に飲む水なのだろうと思う。

 ボクは、そうではない。ムムッ、これはおかしい、と思いながら読んでいく。

 今『ねじまき鳥クロニクル』第三部を読んでいるが、まず確か第二部の最後で、路地の向こうの空き家(もと宮脇さん宅)の土地はどこかに売れて高い塀が建てられたのではなかったか。

 ところが、第三部の9は「井戸の底で」だ。主人公は井戸には入れたのか。それともそれは空想の産物なのか。

 そして赤坂ナツメグ。彼女は主人公の問いかけ、たとえば「なぜ服を買ってくれるのか」という問いに「返事を」しないのに、自らの過去、戦時中の話については饒舌なのはなぜ?

 さらにナツメグはこういう。「(みずからの記憶について話していて)それについて深く考えれば考えるほど、その鮮明さのいったいどこまでが真実で、どこからが私の想像力の創りあげたものなのか判断がつかなくなってくるのよ。まるで迷宮に迷い込んだみたいにね。そういう経験ってあなたにはある?」と。

 主人公ー「僕にはなかった。」

 それはないだろう。主人公のそういう場面を、今までにいっぱい書いているではないか。

  「満洲」(ボクは「洲」を使う)の「新京」の動物園で、そこの動物が日本軍によって殺された。そこで獣医は考える。

 動物たちが存在していた世界と「抹殺された」世界。「とすれば、そのふたつの異なった世界のあいだには何か大きな、決定的なずれのようなものがあるはずなのだ。なくてはならないのだ。」村上は、こういう追い込んでいくような書き方をよくする。そして「でも彼にはどうしてもその違いを見つけることができなかった。」

 これってとても「思わせぶり」。なぜ動物園の動物たちが殺される前と後で「世界」に「ずれ」があるの?
そして獣医は、村上作品によく登場する「突然、彼は、自分がひどく疲れていることに気づいた」がその後に続く。そう村上作品に登場する人は、とにかく疲れるのだ。たいへんな方たちだ。 


 話の筋から言うと、前後してしまうが、さらにさらに、ナツメグが「満洲」から帰ってくる時に、米軍の潜水艦に船を止められた。このときの記述。

 この潜水艦は、私たちみんなを殺すために深い海の底から姿を現したのだ。でもそれはべつに不思議なことじゃないと、彼女は思った。それは戦争とは関係なく、誰にでもどこにでも起こりうることなのだ。みんなはこれがみんな戦争のことだと思っている。でもそうじゃない。戦争というのは、ここにあるいろんなものの中のひとつに過ぎないのだ。 

 潜水艦が「殺すために」姿を現したんだったら、それは戦争だよ。しかし、この「潜水艦」のことを、評論家たちは、オウム真理教による無差別テロのような無差別殺人(秋葉原やグアム島で起きた事件)のことを象徴しているのだ、と言うのだろう。

 村上春樹流に、ボクは「そうかもしれない」と一応は言う。だがこの脈絡で、そういう「読み込み」は可能なのか。「戦争体制」は平時からの延長線上にはあるが、質的に平時とは異なる。ついでに言っておけば、その質的変化は「ずれ」で片付くものではない。

 「戦争」と「テロ」は法的にも異なる扱いだ。「戦争」と「テロ」を同レベルにまで押し上げたことがないわけではない。ブッシュがそうした。もちろん、「暴力」という次元でなら、それは共通ではある。だが、「戦争」と「テロ」を同格にするのなら、それはブッシュの論理でもある。村上は、そこまで踏み込むのだろうか。

 (続く)
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訪問(その2)

2013-02-21 13:54:32 | 日記
 今日は、浜松市発達医療総合福祉センターを訪問した。障がいをもった方々の健康で文化的に生きる権利を保障する施設だ。

 ボクははじめての訪問だ。しかし外見を見て、ただでさえ寒いのに、建物そのものが寒々しいのだ。いわゆるコンクリートの打ちっ放し。色はない。

 冬だからかもしれないが、もっといろいろな色がある温かい建物であってほしいと思った。そして中に入る、天井が高くこちらも暖房が十分に効果をださないようなつくりだ。

 最初、4月からボクがボランティアで講義をする講座室に案内していただいた。「室」ではなく、廊下とは間仕切りで仕切られているだけで、廊下を歩く人たちの声がそのまま入ってくる。

 ボクは、この建物、浜松市が建設したそうだが、いったいどのような設計思想でつくったのか疑問をもった。この建物、20年を経過するという。

 その後、知的障がいの方々の生活介護、就労支援施設「かがやき」、そして「はばたき」に案内された。入所している方々は、明るく大きな声で挨拶をされ、またボクの名前をノートに書いてほしいといわれた。「はばたき」では、祭典時に門などに飾るピンクの花をつくっていた。

 「ひまわり」は、障がいをもった子どもたちの施設だ。発達障がい、知的障害、心身に障がいをもったこどもなど、笑顔でボクを迎えてくれた。

 障がいをもった人や子ども、そしてその家族、日本はまだまだ福祉社会ではないから、そうした人びとの生活と権利が十分に保障されていない。だから、障がい者に関わる人びとがとってもたいへんだ。頭が下がる。

 アニメで「ドングリの家」をみたことがある。ボクはそのビデオも持っているが、そこに描かれている世界は、たいへんな世界ではあるけれども、生きるということの感動を与えてくれる。それは以前紹介した「夜明け前の子どもたち」(滋賀県・びわこ学園の子どもたちの姿を撮影したものだ。ただしもう40年ほど前のもの。だけどまだその上映会が行われているようだ。)も、とてもとても感動的なものだ。「人間の尊厳」とはどういうことなのかを教えてくれる映画だ。

 4月から、ボクはここにも関わりを持つようになる。ボクは、ボクの持つ力を少しでも提供していきたいと思う。

 「世のため、人のため」は、いつの時代でも求められているのだから。
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