浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

無知

2013-02-24 21:44:52 | 日記
 今日は朝から冷たい西風が間断なく吹きつけていた。それも唸りをあげながら。夜になって風の音はやんだが、シンシンと冷えてきている。今までにない寒さだ。暖房のない部屋の壁からは、寒気が湧きだしているようだ。

 ボクはアルコールをほとんど飲まないが、机に向かうために仕方なく焼酎をお湯割りで飲んでいる。もちろんほとんどがお湯で、ほんの少しが焼酎だ。でもそれを飲むと、体が温かくなる。

 借りていた本、『世界文学のフロンティア5 「私の謎」』(岩波書店)所収の、「記憶の場所」という文を読んだ。トニ・モリスンというアメリカの女性作家が講演会で話したもの。彼女は黒人である。1993年にノーベル文学賞を受賞している。

 ボクはこの作家についてまったく知らなかった。何かの本で、この文を引用していたので読んでみたくなったのだ。彼女は、「黒人奴隷として始まった自分たちの祖先にこだわり、語られ得なかった過去、忘れられ得ない過去に声を与えることを自らの使命だと」(解説文)している、という。

 ボクがやっている歴史研究も、そういう観点を持っている。だから親近感がある。もちろん歴史学であるから、史料なしにはそうした過去に声を与えることはできない。だが、忘れてはならない過去に声を与えることは、とても重要だと思う。その意味では、文学からも学ぶことがあるのではないかと思うのだ。

 さてこの講演。含蓄のある文があった。

 「事実は人間の知性なしで存在しえますが、真実はそうではありません」(201)そのためには、まずイメージだと、いう。「イメージからテクストへと動く想起です。テクストからイメージではありません」。

 ウーム、そうした方法を、ボクは彼女の小説から学ばなければならないと思った。

 「作家の記述がいかに「フィクショナル」であったとしても、あるいはどれほど創意の産物であったとしても、想像の行為は記憶と深く結びついている」(206)

 いったいどういう小説を書いているのか、これは読んでみなければならない。「ソロモンの歌」、「青い眼が欲しい」、「スーラ」、「ビラヴド(愛されし者)」などがあるという。『白さと想像力』(朝日選書、1994)という評論もあるようだ。

 読まなければならない本が無数にある。無知を少しでもなくしていきたい。
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【本】東海テレビ取材班『名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の半世紀』(岩波書店)

2013-02-24 17:21:41 | 日記
 死刑囚とされた奥西勝さんは、すでに87歳。農薬が入れられたぶどう酒を飲んだ地元の村人の女性が5人亡くなった。その中には奥西さんの妻もいる。

 重要参考人とされた奥西さんは「自白」をする。しかし奥西さんを犯人とする物証はなにもない。証言も、奥西さんを犯人とするものはひとつもない。

 検察や警察は、奥西さんを犯人とするために、証言を変えさせた。

 第一審は無罪判決であった。しかし第二審は死刑判決。上告も棄却され、死刑は確定した。しかし奥西さんは何度も何度も再審を申請した。

 東海テレビは、この事件をひたすら追い続けた。その事件と、追い続けた結果が、“約束”という映画となった。

 正直言ってこの本は、おもしろい本ではない。えん罪事件を扱っているから当然といえば当然だ。第二章、第五章は、それぞれ支援者の日記、奥西さんの母親の手紙で構成しているので、冗長な気がしないでもない。
 だが、本書を読めば、名張毒ぶどう酒事件の全体像をつかみ、またえん罪事件に共通するものを発見できる。

 それを前提にして、本書の白眉は序章にあると思う。なぜ東海テレビが取材を続けたのか。

 地方の民放テレビ局は、一般的にキー局からの電波を受けてそれを地元に流し、夕方の一部の番組だけをおもしろおかしく制作する。もちろん日々の地方ニュースも取材して放映する。それが地方民放局の仕事だ。失礼ながら、ジャーナリズムの世界とは無縁の世界だといってよい。

 そのなかでも、地方民放局に、ジャーナリスト精神を持ってドキュメンタリー番組を制作する人びとも少数ではあるがいることを、私は知っている。

 そういう人たちに、この本の序章を読んでほしいと思う。

 この事件を追い続けたのは一人ではない、三人の人が受け継ぎながら取材を続けたのだ。

 テレビ局は、報道畑だけではなく、技術系、広告とりなど仕事は多岐にわたる。ずっと制作現場に居続けられる人はまれである。したがって、ジャーナリストとしての仕事をめざして入局しても、徐々に問題意識を摩滅させていく人もいる。

 だが東海テレビの三人は、「テレビ局員は、どの部署にいても、みなジャーナリストである」として、部署が変わっても、とにかく事件を追い続けたのである。それが財産となって、今回の映画化となった。

 本書は、“約束”の原作本という位置にある。マスメディアへの就職を考えている人は、すくなくとも序章だけは読んでほしいと思う。
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