しばらく村上春樹と離れている。昨日やっと『うずまき鳥・・・』を図書館から借りた。上下二巻の大作。
さてその前に、購入した本も読まなければならない。『経済ジェノサイド』、ジェノサイドとは大量殺戮である。なるほどいいネーミングである。なぜか。ミルトン・フリードマンが率いるシカゴ学派の経済学者は、みごとに世界各地で殺戮を行った。もちろん彼らが直接手を下したのではない。富裕者の利益を擁護しそれを正当化することを「理論化」したフリードマンらの「理論」を背景に、富裕者のエージェントたちが行ったのだ。しかし、フリードマンらも同罪だ。
もうそろそろフリードマンらの経済学には退場してもらわなければならない。だいたいにして、エリザベス女王からリーマンショックについて「経済学者は何をしているのです?」という問いに、経済学者らは答られなかったのだから。経済学者は、富裕者のための「理論」を構築し、そこから過大なおこぼれをもらい、経済的利得を得ることに熱心なのだ。
経済学部が不人気だと言うが、それは当然だ。残念ながら「「経済」は、人間にとって何かかけがえのないものを切り捨てる口実となってしま」(13)ったからであるし、「現行の経済学は統治者目線を学ぶためのツール(道具)であるという、いわば「ゲーム」自体の仕組みが明かされないままで、ルールの解説だけが行われるからである」(284)。経済学部では、富裕者や企業の最大限利益追求の「理論」を学ばされるのである。
「フリードマンの経済学が決して中立的・科学的な経済学ではなく、ブルジョワジーの、とりわけ富裕な少数のブルジョワジーの利益を代表する経済学である」(52)
その経済学が、アメリカを支配し、日本やヨーロッパ諸国にも波及し、一方で少数の富裕者に天文学的な利益をもたらしながら、他方で大量の貧困や飢餓をつくりだしているのだ。フリードマンの経済学は、ジェノサイド経済学なのだ。
ボクが驚いたのは、変動相場制を主張していたのがフリードマンであったこと(157~)、そして労働者に不労所得を得させることによって「労働者」を変質させたこと(237)、年金制度を変えたこと(244~)などである。
フリードマンの経済学を、富裕者たちが後押しして、メディアや大学などで市民権を得させて・・・というように、意識的にその経済学は普及させられてきた。
その結果が、いまボクたちが目の前で起きている事態だ。
「ここ40年ほどのあいだに興隆し普及した新自由主義的な潮流を根本的に見直す時期が来ている。さらにいえば、これを根本的に再考するためには、その前段階であったブレトンウッズ体制にまで立ち戻る必要がある」(268)という、著者の意見に賛成である。
新自由主義経済学のルーツと、その側面を知らせてくれる本として、この本は貴重である。
さてその前に、購入した本も読まなければならない。『経済ジェノサイド』、ジェノサイドとは大量殺戮である。なるほどいいネーミングである。なぜか。ミルトン・フリードマンが率いるシカゴ学派の経済学者は、みごとに世界各地で殺戮を行った。もちろん彼らが直接手を下したのではない。富裕者の利益を擁護しそれを正当化することを「理論化」したフリードマンらの「理論」を背景に、富裕者のエージェントたちが行ったのだ。しかし、フリードマンらも同罪だ。
もうそろそろフリードマンらの経済学には退場してもらわなければならない。だいたいにして、エリザベス女王からリーマンショックについて「経済学者は何をしているのです?」という問いに、経済学者らは答られなかったのだから。経済学者は、富裕者のための「理論」を構築し、そこから過大なおこぼれをもらい、経済的利得を得ることに熱心なのだ。
経済学部が不人気だと言うが、それは当然だ。残念ながら「「経済」は、人間にとって何かかけがえのないものを切り捨てる口実となってしま」(13)ったからであるし、「現行の経済学は統治者目線を学ぶためのツール(道具)であるという、いわば「ゲーム」自体の仕組みが明かされないままで、ルールの解説だけが行われるからである」(284)。経済学部では、富裕者や企業の最大限利益追求の「理論」を学ばされるのである。
「フリードマンの経済学が決して中立的・科学的な経済学ではなく、ブルジョワジーの、とりわけ富裕な少数のブルジョワジーの利益を代表する経済学である」(52)
その経済学が、アメリカを支配し、日本やヨーロッパ諸国にも波及し、一方で少数の富裕者に天文学的な利益をもたらしながら、他方で大量の貧困や飢餓をつくりだしているのだ。フリードマンの経済学は、ジェノサイド経済学なのだ。
ボクが驚いたのは、変動相場制を主張していたのがフリードマンであったこと(157~)、そして労働者に不労所得を得させることによって「労働者」を変質させたこと(237)、年金制度を変えたこと(244~)などである。
フリードマンの経済学を、富裕者たちが後押しして、メディアや大学などで市民権を得させて・・・というように、意識的にその経済学は普及させられてきた。
その結果が、いまボクたちが目の前で起きている事態だ。
「ここ40年ほどのあいだに興隆し普及した新自由主義的な潮流を根本的に見直す時期が来ている。さらにいえば、これを根本的に再考するためには、その前段階であったブレトンウッズ体制にまで立ち戻る必要がある」(268)という、著者の意見に賛成である。
新自由主義経済学のルーツと、その側面を知らせてくれる本として、この本は貴重である。