浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

白隠

2013-02-04 22:09:21 | 日記
 東京渋谷の東急文化村で、「白隠展」が行われている。

http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/12_hakuin/index.html

 白隠については、『芸術新潮』1月号も特集している。そのリードには、こうある。

 「想像してごらん、天国なんてない、地獄もない、上には空があるだけ」「想像してごらん、何も所有しない、と」ーージョン・レノンの「イマジン」の歌詞には、禅思想の影響があきらかに読みとれる。それだけではない。「イマジン」のヴィデオには、ジョンが歌う居間の壁に掛かる白隠の達磨図が、はっきり写っているのだ。

 そのヴィデオは発見できなかったけれど、白隠の思想や禅画は、とても有名だ。

 白隠は、現在の静岡県沼津市原に生まれた。富士山がキレイに見えるところだ。そしてそこにある松蔭寺の住職となった。

 ボクは昨年、なんども松蔭寺の北側の旧東海道を通って、沼津の法律事務所に通っていた(旧知の弁護士から援助を求められたからだ)。

 いつかは松蔭寺を訪れようと思ったが、時間の関係で今も訪問していない。

 白隠は、魅力的な坊さんだ。中公新書の『白隠ー禅画の世界』も読んだ。

 東京近辺に住む方々は、Bunkamuraに行ってみよう。
 
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丸刈りということ

2013-02-04 14:36:33 | 日記
 ボクはテレビを見ないので、芸能情報には疎い。ほかのブログを見ていたら、AKBのメンバーが丸刈りになったという。男性と交際したことについて謝罪の意を表するために丸刈りになったようだ。

 なんとあほらしいと思った。男性と交際したことについて、なぜ謝罪しなければならないのか。個人的なことだし、別に既婚者でもないようだ。反倫理的、非倫理的なことをしたわけでもない。なのに謝罪?

 AKBというのは、恋愛禁止だそうだ。そういう規則をもつ組織だとするなら、当然AKBの幹部諸氏も、同じような統制に服している!?

 まあそんなことはない。おそらく若いAKBのメンバーだけに強いられた規則だろう。何のためか。もちろん彼女たちの商品価値をあげるためだ。商品価値をあげるために、非人間的な規則を強制する。これっておかしい!!

 そのグループのメンバーが丸坊主?これもおかしい。

 丸坊主は自主的に行われたのかどうかは知らないが、丸坊主は「何ものかに隷属することを示す」ために行われるものだ。まさに僧(坊主)は、仏に帰依することを示しているわけだ。あとは囚人。これも刑務所内にいる間、恭順を示すために行われる。

 昔、中学校でも丸刈りが強制されていた。これなんかは、教師への従属を求めたものだろう。

 さて女性の丸刈りは、もっといろいろな意味がある。その論文があるので紹介する。

 この問題は、日本社会の矛盾を示す一つの例となる。ぜひ考えてほしい。

http://www.desk.c.u-tokyo.ac.jp/download/es_8_Hirase.pdf 
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踊り場の窓は消された 【本】奥田英朗『オリンピックの身代金』(角川書店)

2013-02-04 00:55:43 | 日記
 この世は理不尽なことに満たされている。安倍政権は、孫への教育資金の贈与には税金をかけないという。1500万円まで無税だ。孫に多額の教育資金を提供できる階層は限られる。市井の人びとにはいっさいの恩恵はない。

 今後、収入は減らされ、消費税は10%となり、年金や生活保護費は減らされていく。市井の人びとは、より生きにくくなる。

 だが、この理不尽な政策は、支配層にとっては理不尽ではない。市井の人びとと、支配層とは利害が一致しない。だが、支配層の利害が、常に貫徹する。

 そして市井の人びとの最下層の人びとは、支配層の野望を底辺で支えながら、とにかく生をつなぐ。だが、生をつなぐその姿さえ、必要がなくなったら見えなくなる。いや消されていくといったほうが良いのかもしれない。

 秋田の寒村の、そのまた最下層出身の東京大学経済学部の大学院生が、オリンピックを人質にして、権力と対峙する。その対峙は、ダイナマイトによる爆破事件によって顕わとなる。そして闘って、闘って、闘い抜く。だが、最後には銃で撃たれて消えていく。死んだのかどうかもわからない、いずれにしても権力によって存在が消されてしまう。あたかも、東京オリンピックの施設建設に動員された寒村出身の出稼ぎ労働者が、施設完成と共にどこかに消えていくように・・・・。

 主人公島崎国男は、マルクス経済学を研究していた。島崎は、実兄が出稼ぎ労働者としてオリンピック関係工事に従事していて、死ぬ。その死を契機に、国男は兄と同じ労働に従事する。そして、そこで働く人びとの実態を知る。
 
 「弱者からとことん搾取するのが資本主義」(122頁)ということばがあった。その通り。強者は、強者から搾取収奪はしない。その対象は常に弱者だ。国境や性別や、思想信条なんか関係ない。弱者はとにかく、その対象でしかない。

 島崎は学問的に研究している内容を、実地にみる。

 指導教官にこういう手紙を送った。

 「もしもマルクスがこの場にいたら、低賃金で将来の保証もない状態にも拘わらず、立ち上がろうとしない無抵抗な労働者の姿に、悩んでしまうかもしれません」(199頁)と。

 しかし島崎は最後に知るのだ。

 ある出稼ぎ労働者がこう言う。

 「それから、おめ、アカなんだってな。おめは東大行くぐらい頭さいいんだがら、世の中を変えてけれ。おらたち日雇い人夫が人柱にされない社会にしてけれ」(466頁)

 島崎はそれを聞いて思う。

 「以前マルクスを引き合いに出し、苛烈な搾取構造の中でも屈託のない飯場の労働者について、不思議でならないとの感想を自分は抱いた。しかしそれは過ちだった。彼らはちゃんと現状を認識している。闘う術を知らないだけなんだ」(467頁)と。

 島崎は、自らの闘い方としてテロを企画した。テロという闘い方を、ボクは全面的に否定はしないが、しかしこの小説のような状況の中で選んだテロという闘いは間違いだ。

 島崎は、研究者として、この社会の仕組みや、出稼ぎ労働者を切り捨てていく構造について研究し、そのような仕組みや構造を変革していく道もあり得たのではないか。

 島崎はテロを企画し、テロ事件を起こし、そして消されていった。

 島崎は、みずからの力を、もっと生かせる生き方を選ぶべきであった。

 この小説を書いた奥田英朗の、問題意識はボクと共通するものがあると思った。村上作品と並行して、奥田の小説も読み進もう。
 
 『オリンピックの身代金』では、最終的に踊り場の窓は消されてしまったが、ほかの小説ではきちんと確保しておいてほしいと思いつつ。

 しかしあまりに長編!!


 
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