浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

見て欲しい、映画「約束」

2013-02-17 23:22:07 | 日記
 えん罪事件として有名な、しかし解決への道をなかなか見いだせない名張毒ぶどう酒事件。それが映画となった。

 「約束」という映画だ。東海テレビは、この事件を長い間追い続けた。その足跡が、今月発売の『名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の半世紀』(岩波書店)に記されている。

 そしてそれが映画化された。

http://tokai-tv.com/yakusoku/story.html


 この映画は、絶対に見るべきである。浜松でもいずれシネマイーラで上映されるが、東京では上映が開始されている。

 渋谷のユーロスペースだ。これは必見である。

 http://www.yakusoku-nabari.jp/

 そしてそれを見た弁護士の感想。

http://worldhumanrights.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-d259.html

 東京周辺にいる人びとは、この映画館に行こう。

 名古屋では、3月2日から、伏見ミリオン座で上映。

 この事件を知らずして、正義を語ることなかれ。
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中央と地方

2013-02-17 21:17:39 | 日記
 昨日静岡に行ったのは、近代史研究会の幹事会と例会に参加するためであった。幹事会では、議案として事務局長人事があり、ボクはその候補にされていたのだが、参加しないと欠席のまま指名されてしまうのではないかと畏れたためにわざわざ静岡へ行ったのであった。その指名は何とか拒否したが、結局その人事は決まらなかったので、いずれまた議案に出るのではと思う。その時も参加しなければならない。

 研究会はいつも静岡市で行われる。浜松から静岡までは、運賃が1280円。往復で2560円だ。一度静岡に行くと専門書一冊分の経費がかかるわけだ。ボクは、毎月の例会うち、2500円の価値があるかどうかを判断して参加・不参加を決めている。せこいといわれるかもしれないが、無駄遣いはしたくない。

 さて例会で報告者が、中央・地方の問題を提起した。「戦争史」を「中央」の視点から語ることは「無意味」ではないかというのだ。「戦争史」の歴史叙述が「中央」の視点から行われ、それが歴史評価にもつながっていることを指摘していた。たとえば「学童疎開」の歴史叙述は、中央から地方へ「疎開」してきた立場の視点から「地元は温かかった、冷たかった」とか、あるいは「国民義勇隊はほとんど機能しないままに終わった」とか。

 ボクは、報告者に3つの点で疑問を呈した。一点目は省略するが、二点目は後に述べる。三点目は中央・地方の問題だ。

 三点目から入る。

 まずこの問題を考える時、現代の社会のあり方を想起しなければならないと思う(これについては発言しなかったが)。
 現在は、過度の中央集権である。以前「首都機能の移転」、「国土の均衡ある発達」が議論されたことがあるが、今やそうした議論は皆無である。中央集権は、当然のこととして推進されている。以前は地方への気配りがあったが、今や地方切り捨てが躊躇なく展開されている。そうした現実をしっかりと視野に入れておくことが大切だ。それは、そうした政策展開に疑問を抱き、それにどう抗していくかという問題意識でもある。

 次は戦時体制期の歴史研究において、中央・地方はいかなる関係にあるかということだ。「中央」と「地方」は矛盾関係にありながら、同時に双方は同時的に存在する、あるいは依存関係にあるということだ(対立物の統一)。歴史叙述は、したがって、「中央」の視点から、「地方」の視点から双方的になされなければならないのであって、あえて「中央」から、「地方」からということに拘泥する必要はないと、ボクは言った。

 地方に住んでいると、中央の政治史や政策史や外交史などは研究できない。もちろんカネと時間がふんだんにあれば別だ。地方から交通費と宿泊費をつかって、長時間、東京の各所に集められている史資料をみることができるなら可能だ。

 だが普通の研究者は、特に在野の研究者はできない。文科省などから科学研究費などを獲得できればいいが、それだって在野の研究者にはせいぜい50万円くらいだ。カネの問題がクリアできても、地方に住んでいれば時間の問題もある。

 となると、地方の在野の研究者の研究は、地方、あるいは地域を研究のフィールドに設定することになる。

 では、地方(地域)の歴史研究は東京に集められた史資料を駆使しての研究より劣るのかというと、そうでは決してない。なぜなら、地方(地域)にも、普遍性を持った歴史的事実があるからだ。地方で研究する者は、地方(地域)の個別的な事象の中に普遍性を発見するのだ。普遍性は、個別性の中に顕現するのだから、これは当然のことで、地方(地域)の事象の中に全体を捉える契機となるものが必ずある。

 たとえば、先日浜松市の過疎地域を視察したが、浜松市の過疎地域には、日本全体を貫く、地方切り捨ての現実、林業の衰退、超高齢社会の存在などが厳然と存在しているのだ。浜松の過疎地域を対象に研究していけば、日本全体の動きが把握できるはずだ。

 ボクらは、「中央」からの視点とか、「地方」からの視点とか、そういうことではなく、地方(地域)を凝視するなかで、日本全体の歴史や動向を摑むのだ。

 そのためには、もちろん、「中央」が行い地方に波及させる政策展開も知らなければならない。だが、何らかの目的を持った政策展開でも、ストレートにその目的が貫徹するのではない。必ず地方(地域)のあり方(自然や人の動きなど)により、「変数」が生まれる。それを捉えたい。そこに現状変革の契機があるのかもしれないからだ。

 二点目は国民義勇隊についてである。報告者は「国民義勇隊はほとんど機能しないままに終わったという評価」を「中央」の視点からのものとした。しかし、ボクの地方(地域)における狭い調査研究からすれば、国民義勇隊は形式的には成立したが、実質的な活動はできなかった。確かに義勇隊の組織メンバーの名は、地域の史料には書かれていた。だがそれがどんな活動をしたのか、いろいろ調べても「歴史像」が浮かばなかった。義勇隊が組織されても、取り立てて新しい動きは見られず、今まで通りの戦時体制下の村が続いていただけだった。

 考えてみればこれは当たり前で、国民義勇隊が組織されたのは1945年の戦争末期である。となるとすでに「大日本帝国」は解体への道をまっしぐらに進んでいたのであって、地方(地域)に新たな組織的な動きを起こすことなど出来るわけがないのだ。いくら地域史料に「国民義勇隊」の史料が残存していたとしても、日本全体の動きから見れば「義勇隊がきちんと機能していた」などと言えるはずもなく、「ほとんど機能しないままに終わった」としたほうが、歴史的事実にあっているのではないかと思う。

 ボクは、失礼ながら、報告者は弁証法的な論理の洗礼を受けていないとみた。





 



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排斥・無知・挑戦

2013-02-17 10:47:51 | 日記
 ボクはサブカルチャーとかポップカルチャーというジャンルについてはまったく知らないし興味関心もない。AKB48についても、なんでテレビにはそこらにいるレベルの女の子(周辺にいる女の子のほうが美人だ!)をだすのか、テレビはもっと美しい女性をだすべきだ、などと息巻いていた。たったそれだけ。

 年末年始アメリカにいた家人は、録画された「紅白」を見てAKB48を「すごく出てる!」と感心していた。テレビをほとんど見ないボクとしては、テレビに出ている芸人やAKBなんかを半ば蔑視していた。

 まさに排斥である。

 ところが、昨日録画されていたETV特集を見た。批評家・宇野常寛に密着取材してまとめたものだ。宇野という人物も知らなかった。

 その説明が下記のリンクにあるので、紹介しておく。

http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2013/0210.html

 それを見ていて、ボクはあまりに無知であったことに気付いた。いや無知と言うより排斥していたから目に入ってこなかったのだ。宇野は、・・・カルチャーにも造詣が深く、おそらく「オタク」の世界にも通じてるのだろう。

 そういう・・カルチャーも社会のなかにきちんと地歩を築いているのだ。社会を、あるいは今生きている人間を理解するためには、そういうものにも目を配る必要があるのではないかと思い立った。

 即座に宇野の本を買おうと思ったのだが、その一冊(ハヤカワ文庫)は今は品切れのようだ。浜松図書館では2冊購入したようだが、それはただいま貸出中。そこで別の一冊を予約した。

 昨日、静岡大学のHさんに、以上のようなことを話した。Hさんは昔から、テレビをボクよりずっとよく見ていて、また漫画も読む。彼が「AKB48はわかる」なんて言うので驚いた。彼のほうが、・・・カルチャーについて先進的であることが確認できた。
 
 そしてボクはもっと視野を広げることに決めたのである。村上作品を読むことも、その一環である。それだけでなく、・・・カルチャーにも挑戦するぞ。

 知りたいことはいっぱいある。考えなければならないことは、いっぱいある。本たちが、じりじりしながら、ボクを待っている。しかしボクは本ばかり読んではいられない。そろそろジャガイモを植える時期が来ている、その準備をしなければならない。
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