浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

北朝鮮を好む人びと

2013-02-28 18:20:27 | 日記
 国家の指導者に忠誠を誓って、国家の指導者が右向けといわれれば右を向く、そういう国民を好む人びとがいる。「教育再生会議」の人びとだ。

 北朝鮮の国家体制は、戦前の近代天皇制国家がモデルだという説がある。北朝鮮では、国家の指導者の写真を教室などに掲示している。

 戦前の日本の学校には天皇・皇后の写真(これをご真影といった)が保管されている奉安殿があった。登校してくる子どもたちは奉安殿に最敬礼させられた。そして祝祭日には、そのご真影が講堂などに掲示され、学校長は国家への忠誠を強制する教育勅語を「奉読」し、子どもたちはそれを聞かされた。
 
 「修身」という授業があって、そこでは忠君愛国の教育が行われた。

 こうした時代に郷愁を抱き、学校に「修身」を復活させたい人びと。忠君愛国の教科書をつかわせ、忠君愛国の意思をもつ子どもたちを育てたい、と心から望んでいるようだ。それはまさに北朝鮮の姿でもある。

 今日の『中日新聞』の社説である。


いじめと道徳 心に成績をつけるのか
2013年2月28日

 いじめ対策として政府の教育再生実行会議がまとめた提言は、冒頭に道徳の教科化を掲げた。「良い子」でいることを競わせ、成績をつけるのか。いじめの現実に立ち向かう手だてこそ考えたい。

 安倍晋三首相に出された提言には多岐にわたる方策が盛り込まれた。例えば、いじめに対応するための法律を作る。学校は相談体制を整え、家庭や地域、警察と連携する。重大ないじめは第三者的組織が解決する。そんな具合だ。

 どれも目新しくはないが、地に足の着いた中身だ。すでに先取りしている自治体さえある。絶えず実効性を確かめつつ仕組みを向上させてほしい。

 とはいえ、筆頭に出てくる道徳を教科に格上げするという方策は、いじめの問題とどう結びつくのかよくわからない。いじめ自殺のあった大津市の中学校は道徳教育のモデル校だったではないか。

 小中学校では週一回程度の「道徳の時間」が設けられ、副読本の「心のノート」を使って授業が行われている。教科ではないから成績評価はなされていない。

 提言によれば、充実した道徳教育が行われるかどうかは学校や先生によって左右される。だから教材を見直して教科として位置づけ、指導方法を打ち出すという。

 もちろん、子どもが成長に応じて思いやりの気持ちや規範意識を身につけることは大切だ。社会の構成員として高い徳性を培うための教育そのものに異論はない。

 しかし、道徳が教科になれば検定教科書が用いられ、心のありようがテストされて順位づけされないか。国の価値観や考え方が押しつけられないか。心配になる。

 国語や社会、算数とは違い、道徳とは体系立てられた知識や技術を習得するものではない。子どもが学校や家庭、地域で褒められたり、叱られたりして考え、感じ取っていくものだろう。学校の道徳教育はその一助にすぎない。

 東日本大震災の光景を思い出してみよう。被災地では大きな暴動や略奪は見られず、人々は譲り合い、助け合って修羅場をくぐり抜けてきた。その姿は世界中に感動を与えた。日本の人々は道徳心をたっぷりと備えている。

 いじめる子の心は根っから荒(すさ)んでいるのか。家族崩壊や虐待、貧困、勉強疲れからストレスを抱え込んでいるかもしれない。背景事情に考えを巡らせる必要がある。

 大人の世界にもひどいいじめがある。道徳とは世代を超えて日々共に学び合うべきものだろう。
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不安定なかの安定志向

2013-02-28 09:43:17 | 日記
 先が見えない時代、といっても、少子高齢化は劇的に進んでいくから、先は日本の衰退ないしは衰滅であろう。そういう時代に何とか生き抜こうという姿勢を持った若者は、医学部に殺到しているという。理学部なんかより、とりあえず職がある医者になろうという思考が、成績上位者にあると、「いつやるか、今でしょ」で有名な予備校講師の林修さんは書いている。

 若者は生き抜くために保守化しているのだそうだ。

 地方公務員(教員も含む)の給与、退職金は、これも劇的に減らされ、公務員は安定しているといわれながらの給与削減。これに国民も快哉を叫ぶ。

 公務員の給与は確かに相対的には安定している。景気が良くなって、民間の給与が劇的に増加しても公務員にはほんの少しのおこぼれが渡されるだけで、民間の労働者諸氏が浮き世の春を楽しんで無数の宴を囲んでいても、ちらっと見てやり過ごす。バブルの時、民間給与が通常の年収の二倍になったということを聞いたことがある。しかし公務員には、そういうことはありえない。民間が不景気になり、民間給与が減っていくと、もちろん給与は削減されていく。

 なぜかそうなると、マスメディアも含めて、国民は喜ぶのだ。

 日本人は足の引っ張り合いが好きのようだ。

 そうではなく、みんなで足並みをそろえて、給与が上昇していくようにすべきであるのに、そうはしない。

 公務員でも、中央省庁のエリート官僚は給与が高く、天下り先も用意されている。

 しかし、国民はそういう上級公務員、あるいは国会議員の歳費などを攻撃することはまずない。近くにいる公務員の給与や退職金を「ねたむ」のだ。

 一般公務員の給与の削減は、民間労働者の賃金の削減などに必然的につながっていく。公務員の退職金が減らされれば、民間のそれも減らされていくだろう。

 そうではなく、賃金の低下を防ぎ、賃金の上昇を、足並みをそろえて獲得していくというようにならないものか。

 昔は労働組合が「春闘」という、給与アップをめざした運動を繰り広げた。しかし今やそれは過去の
話。年度途中で退職金が削減されても、労働者は声を上げない。

 支配層に都合の良い社会が出来上がった。そのなかで、支配層の思考に沿うような、安定志向の若者が生み出されているようだ。

 その支配層は、近視眼的な政治に精力を注ぎ、短期的に金儲けが出来ればあとは野となれ山となれとばかりに動いている。

 少子高齢化の進展は、日本の衰滅につながる。今の支配層は、ナショナリストのようでいて、実はそうではない。それを見抜くことが出来なければならない。
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