浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

変わる、変わらない

2013-02-07 22:50:06 | 日記
 大学を卒業してから、一度だけその大学を訪れた。歴史編纂事業の一環で、米国から返還された内務省資料のマイクロフィルムを撮影に行ったのだ。その時は、まだ大学はボクがいた頃とあまり変わっていなかった。

 一昨日、大学の近くのホテルに泊まった。大学は大きく変わっていた。ボクが卒業した法学部の建物、8号館はまったく新しくなっていた。そして、中庭の植え込みの周辺には、木製のベンチがあったのだが、それはひとつもなかった。

 そしてもうひとつ、立て看板がなかった。これは、しばしば訪れていた静岡大学、あるいは大原社会問題研究所がある法政大学でも同様だから、別に違和感は感じなかったが、大学の非政治化は、おそらく日本の民主主義を大きく規定しているだろうと思った。

 よく行った喫茶店は、韓国料理店になっていた。無残な姿を見せていた第2学生会館は新しい建物になっていた。

 それから、高田馬場から大学までの道筋には、たくさんの古本屋があったが、減っていた。社会科学系の本がたくさんあった文献堂書店は見当たらなかった。谷書房の建物は、他の古書店と一緒になって新しくなっていた。

 大学は残っているけれど、大学それ自体は大きく変わったようだ。

 ボクが青春を過ごした大学で、まったく別の青春が刻まれているのだろう。

 ボクの学生時代は、政治と学問と読書、そして美術の展覧会通いと演劇鑑賞に彩られていた。その頃に確立した志は、今もボクを規定している。

 大学は変わったけれども、ボクはあんまり変わっていない。ただ歳をとっただけだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国鉄労働者の強いられた闘い

2013-02-07 11:14:27 | 日記
 今日、国鉄労働組合静岡地方本部からお礼状と、『国労文化』という雑誌、そして切符を模した「闘争団発足から国鉄闘争解決ゆき」(国労静岡闘争団野田紀泰発行)が送られてきた。

 お礼状には、国鉄闘争支援へのお礼がしたためられていたが、ボクは「本当にご苦労様、支援されたのは ボクたちですよ」と言いたくなった。

 今、労働者が労働者としての権利が保障されず、権利が侵害されても広汎な支援がなされなくなっている。埼玉県や愛知県などで、3月に退職すると退職金が150万円も下げられるという政策が行われ、断腸の思いで中途退職していく先生方がいる。学校は、言うまでもなく年度制をとっている。3月までが一区切りだ。しかし、3月まで働くと退職金が大幅に切り下げられる。何という仕打ちだろう。長年働いてきた教員=労働者に、「お前はどうする」と、恫喝しているようなものだ。しかし、労働組合は、このような理不尽な政策に抵抗することはなかった。支配しやすい国だ、日本は。理不尽な政策が、抵抗もなく通過する。

 労働組合の力が強ければ、こんなことは起きなかっただろう。ヨーロッパのように、労働者の人権が確保されているところでは、決してこんなことはなされなかっただろう。

 労働組合といえば「連合」という全国組織があるが、あれは組合のようでいてそうではない。ある意味で「御用組合」(経営者の御用を聞く組合)の集まりだ。ブラック企業により、労働者がひどい目に遭わされても、「連合」はなんら救済の手をさしのべない。労働組合とは、労働者が企業や仕事の内容をこえて、助け合いながら、労働者の権利を守り発展させていくものだ。

 「むかし」、労働者の権利拡張を担う組合があった。しかし権力(その中枢には経団連=大企業の経営者たちが居座る)は、そういった組合をつぶそうと図った。そういう組合が各個撃破されてなくなっていった。

 その中核に、自分たちの権利だけではなく、すべての労働者の権利を守ろうと頑張ってきた国鉄労働組合があった。

 だから権力は、国鉄労働組合を潰すことを計画した。1980年代、中曽根康弘首相は、国鉄の分割民営化を打ち出した。国鉄を分割して、民営化するというのだ。かくして国鉄(日本国有鉄道)はJR各社へと分割民営化された。国民の財産が、JR各社の株式を持つ人びとの所有へと変わった。国民の財産が奪われ、株主に分割されたわけだ。

 当然JR各社には、国鉄時代の労働者が採用されなければならなかった。ところが、国鉄の分割民営化策は国鉄労働組合(国労)の破壊を企図していたから、国労の組合員を採用しなかった。当時の中曽根首相は口では「組合差別はしない。ひとりも路頭に迷わせない」と言っていたが、まったくの大嘘であった。国労組合員をJRに採用しないで、路頭に迷わせたのだ。労働組合法が禁じる不当労働行為である。それを国家が率先して行ったのだ。

 このような理不尽に国労の労働者は抵抗した。ボクも、この理不尽に怒りを覚え、積極的に支援した。しかし20年以上の闘いを経ても、この問題は解決しなかった。国労をつぶすための分割民営化であるから、国労の組合員は差別され続けたのだ。

 国労組合員は粘り強く闘った。しかし生きていくためには収入を得る必要があった。安く物を入手して支援者に買ってもらう「物販」、あるいは小さな会社をつくってわずかな収入を得るなど。もちろんきちんとした収入が入るわけではなかった。貧しさに耐えながら、闘い続けた。その間に、亡くなった人もいる。今その年齢を少し書き上げると、38、53、48、43、46、45、36、55、38、38、48、52、45、62、58、52、59、41、56、50、47、45、55、56、59、59、49、65・・・・・・・・・である。若くして亡くなった人が多い。

 闘い続けてJRに採用されるだろうか、少しの収入で老後はどうなるだろうかなど、不安がいっぱいだった。それでも、不安定な生活のなかで、団結して(ああ、いまこのことばは、ほとんど聞かれなくなった!)闘い続けた。

 結局、この闘いは、和解金を1047人に国が支払うことで、終結をむかえた。2010年のことだ。23年間の苦しい闘いが終わった。解決案には、国はJRへの雇用に努力するという項目があったが、JR各社はひとりも採用しなかった。

 この23年間は、労働者の権利が踏みにじられる歴史でもあった。立場の弱い労働者は、ひとりひとり、経営者のまえに立たされるようになった。パワハラや不当解雇、製造業への非正規労働者の派遣が当たり前になった。企業が必要がなくなれば労働者はポイとすてられる時代へと変わった。

 経営者にとって支配しやすくなったにもかかわらず、企業は低賃金を求めて海外のさらに貧しい国へと出て行った。

 資本は、みずからをより増殖させてくれるところを求める。労働者の権利を認めれば増殖の邪魔となる。19世紀、20世紀は、傍若無人な資本に対して、少しずつ統制(規制)を加えてきた歴史でもある。しかし20世紀の終わり頃、その統制(規制)が消され、資本が自由に動き回ることができるような「新自由主義」の時代へと転換した。国労潰しは、資本にとっての橋頭堡だった。

 国労の皆さんの長年にわたる苦しい闘いに感謝し、こころから連帯の意を表したい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本のメディアのノーテンキ度

2013-02-07 10:05:26 | 日記
 メディアに関するすばらしい記事があった。紹介する。

http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-4099.html

 日本のメディアは、権力の翼賛機関になりはてていると、ボクは何度も書いているから、こういう指摘には全く驚きもしないが、「国境なき記者団」の指摘を、自己反省もなく平然と報じるNHKという「報道機関」(?政府の広報部だ!!)の質にあきれるしかない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウソはばれる

2013-02-07 09:59:01 | 日記
 今日の『朝日』に「東電、国会事故調にウソ 「原発内真っ暗」→調査断念」という記事があった。
http://www.asahi.com/national/update/0207/TKY201302060574.html

 東京電力という会社が、みずから過酷事故を引き起こしながら、誰も責任を負わず、被害を与えた住民などへの賠償を国から引き出し、原因究明にも、このようにウソまでつく。

 こういう会社は、解体すべきではないかと思う。

 残念ながら、原子力ムラには、多くの政治家や官僚がたかる、彼らにとっては蜜のような存在だから、よほど国民が怒らないと変わることはないだろうが、しかし国民は怒らず、原子力ムラを育成してきた自民党を勝たせるのだから、処置無しである。

 彼らはやりたい放題だ。そうさせないためには、国民が監視を強め、怒るしかない。

 これについての詳細な報告は、以下をご覧頂きたい。

http://www.shomin-law.com/essayTepcotheliar.html
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする