浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】芦川照江『そのとき住民は 富士川町の住民運動の私記』

2014-11-11 23:09:52 | 読書
 戦後静岡の社会運動を調べている。

 1968年から70年代初めにかけての富士川町(2008年、富士市に合併)住民の、東京電力富士川火力発電反対運動などに関する闘いの記録である。著者の芦川照江さんは、別名小川アンナ、反対運動の中核にあった。ふつうの住民として、ふつうの感覚(公害はいや!)から、火力発電反対闘争に関わった。闘いの軌跡とそのなかで感じたこと、学んだことが、印象的に記されている。

 労働組合運動とは質の異なる、住民の個の自覚に立った運動のありかたが論じられていて、現時点でも参考になる本である。

 大衆運動とは一人一人の心を切り取って整理してしまわないことなのだろう。愚直と気長とが一方の杖である。(94)

 公害の戦いというのは、むしろ組合とか企業とかではなくて、裸になって人間として公害の問題を考えうる人でなければ戦えないことなんだ。・・・日本における民主化というようなものが一人ひとりにおいてはたしてどれだけ理解され本物であったかを問いなおしてみたかった。われもわれもと労働組合に入って組合い員として行動しているが一人ひとりが民主主義というものをどれだけ身につけているか、個というものをもっと考えなければいけないんじゃないか(199)

 この本に収録されている「運動のなかの私ー個について」は、現在の運動においても読み返されるものであると思う。これについては、別に記す。

 過去の本でも、今も生きる本があるが、本書はその一冊である。
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つくられた記憶

2014-11-11 14:16:25 | 日記
 学生時代、全国障害者問題研究会の活動をしていた井出君に誘われて、『夜明け前の子どもたち』をみた。大きく、大きく心を動かされ、その後障害児教育関係の本を読み、子どもにはその子どもがもっている可能性を全面的に発達させる権利があること、教育の原点は障害児教育にある・・・などということを学んだ。

 そしてその後多くの人々に、ボクが障害児(者)の権利や運動に関心を持たせる契機となったこの映画のことを語り続けた。そしてその映画の象徴的な場面を、印象的に語りながら、人間の尊厳を語り続けた。

 今日、びわこ学園から『夜明け前の子どもたち』が届いた。すぐに見た。学生時代の自分がどういうところに心を動かされたのか、過去の自分自身をみるような思いで見た。

 しかし、ボクがいつも印象的に語っている場面は、なかった。
 ボクは今でも、その場面を語るとき、そのモノクロの映像が浮かび上がってくるのだ。たとえばプールの場面。暑い昼下がり、子どもたちが水遊びをしている、プールの後ろの部屋に寝かされていた子どもが先生の腕に抱えられてそっとプールの中に入る、すると今まで感情表現すらしなかった子どもが笑顔を見せる・・・この場面は、ボクの頭の中にしっかりとある。その笑顔が、見ていたボクに大きな大きな感動を引き起こした、「人間の尊厳」とはどういうものであるかを具体的に知った、そういう記憶をボクはもっている。
 だが、プールの場面と感情表現をしなかった子どもがはじめて笑顔を見せる場面は、別々であった。

 ボクは、無意識のうちに、みずから映像をつくり出していたのだろうか。

 それにしても、この映画に映っている子どもたちは、当然もう大人になっている。今どうしているのだろうか、という心配が湧いてきた。

 子どもはそのもっている可能性を全面的に発達させる権利がある、そしてその権利をもって生きていたその子どもたちは、大人になってもみずからの生を開花させているだろうか、生きる権利が十分に保障されているだろうか。
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