浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

ひとりの「ネトウヨ」

2014-11-18 19:25:38 | その他
 ひとりのネトウヨの素性が明らかになった。安田浩一さんがその調査報告を下記に記している。

 孤独な57歳の男性。そしてその報告の中に、もうひとりの50代の女性も紹介される。いずれも孤独なさびしい人たちだった。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41046
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本のこと

2014-11-18 18:53:17 | 政治
 今日『歴史評論』12月号が届いた。ボクが購読している唯一の歴史系の雑誌である。その表紙ウラなどに本がたくさん紹介されている。もちろん歴史関係の本がほとんどだ。だが果たして売れるのだろうか。おそらく売れない。ボクは何らかのことを書いたり、話したりしなければならないという状態におかれた時だけ、歴史関係の本を買う。したがって、「現代」に関係するものがほとんどで、近代以前の本は、よほど面白いものでなければ買わない。

 今の学生は、学費も高く、親がすべてを仕送りで学生生活を支えることができなくなっているから、本を買うカネはないし、アルバイトで時間をとられるから本を読む時間がない。

 そして学生以外は、研究者だけが買う。今は、研究書はほとんど売れない。だから本を出そうとする人(著者)が出版の経費を負担するのがふつうになっている。

 それにしても、本が売れない、本が売れない、といいながら、出版点数は多い。某書店なんかは、経営のためにたくさん出版する。というのも、いちおうこの会社の本は、図書館などが買う確率が高いので、出版すればとにかく一定数は売れる、だから出版する。

 電車に乗っても、本を読んでいるのは高齢の人だ。若い人はスマホ。

 本が、生活から消えていく。他方で、読む人の所にはたくさんの本が蓄積されていく。しかしそれはきわめて少ない。

 ボクの知り合いは、本を読む人が多い。その本の後始末をどうしようかと悩んでいる人が増えている。ボクも含めて、生きられる時間が少なくなっているからだ。
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2014-11-18 17:25:10 | 日記
 父が生まれた家は専業農家であった。ボクが幼い頃は、父の実家が所有している田んぼで、田植えや稲刈りをよくやらされた。

 ボクには農家の血が流れているというわけだ。昨日は雨が降っていたので行けなかったが、今日は晴れ。ただし風が強い。それでも、畑に行くことはすでに日課になっている。

 今日もサツマイモを掘った。今日でやっと終わり。自分が食べるより、血縁者や他人にあげるほうが多い。あんなにたくさんあったのに、少なくなってしまったので、もうあげるのはやめよう。
 畑を掘っていると、もう冬眠に入っている蛙が飛び出てくる。ごめんねといいながら掘り続ける。
 カリフラワーが風で倒れそうだったので、もう一度支柱に縛り直す。キャベツを植え直す。レタスが丸くなっていたのでひとつ収穫。だいこんも1本。

 ボクは仕事を辞めてから、ほとんど毎日畑に立つが、社会に生きる人々と交流しているより、作物や蛙、鳥などと対話しているほうが自分に合っていることに気づいている。

 「晴耕雨読」ということば通りに生きていきたいと思う。しかし、それが許されない政治社会状況に、ボクは生きている。
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