大文字の歴史が、まるでブルドーザーのように、家族、そして一人一人の人生に襲いかかりなぎ倒していく。戦争、原発の建設、そして原発事故。そのブルドーザーは、すなわち国家である。
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ある家族。父が戦死。戦時下、母と息子(草野英雄)が母のふるさと、福島へ帰る。福島県石川町は、戦時中、「新型爆弾」の原料を調達すべく、学徒動員により採掘作業が行われていた。英雄は、その作業に従事する。そしてその仕事を担当した軍人と母とができてしまう。
戦争が終わり、母は自殺する。
1960年代半ば、福島に原発をつくろうという話がもちあがり、土地の買収が進む。しかし、英雄は売ろうとしない。回りから様々な圧力がかかり、また妻も離れていってしまう。英雄は、戦時下の思い出をこころにしまいながら生きてきた。その思い出とは、国家は信用できないということだ。
結局、英雄も土地を売る。同時に、福島の海で自殺する。
英雄には中学生の娘(愛子)がいた。愛子には交換日記をする彼(奥村健次)がいた。奥村は、「原発は未来のエネルギー」という標語をつくる。父を亡くした愛子は健次に体を投げ出す、しかし健次との関係はここで途切れる。
愛子が上京したからだ。その後の人生は詳しく紹介されないが、社会派の人間として愛子は生き、その過程で学生運動をしていた男性と知り合い結婚(西山姓となる)、そしてお婆さんとなる。その西山家は南相馬市に住む。
健次はその後東京電力で働く。40年間だという。ふつうに結婚し、そして息子ができるが、息子は原発で働き、そしてそのせいで死ぬ。息子は、自らの死を明らかにするために裁判を起こして欲しいというが、健次はそうしない。息子より東電を優先する健次に愛想を尽かした妻は去る。
愛子は、フェイスブックで、健次の所在を知る。そして再会する。愛子と健次は、過去を懐かしむように、身体の関係を結ぶ。孫の高校生・西山怜(ホルンを得意とするふつうの高校生だ)はそれを知ってしまう。
2011年3月11日、愛子と健次は、中学生の頃に結ばれた福島の海岸を訪れる。その跡をつけた怜は、健次の車のキーを抜き、それを放り投げる。
地震、そして津波。愛子は還らぬ人となる。怜は、自分が祖母・愛子を殺したと思ってしまう。
南相馬市から東京に避難した怜は、体を売ったりする生活に入る。しかしそのなかで、福島に義援金をと、義援金詐欺をしている男・沢田と出会う。
沢田の運転で、福島の海に行く。そして放射性物質がこびりついている枯れ葉を、怜はもってくる。そして東京のビルの屋上からそれをまこうとするが、沢田がそれを止め、沢田がそれをまく。空から降ってきた枯れ葉を、幼児が拾う。
沢田と怜は、警察へ。怜は、警察から解放され自宅へ。そこで、怜は、祖母愛子が他人を助けるなかでいのちを落としたことを知る。
怜は、福島の海を訪れ、ホルンを奏でる。その音色が、時空を超えて響きわたる。
以上がストーリーだ。
ふつうに日々を生きている家族に、国家が戦争という災いを引き起こし、それにより家族が引き裂かれる。家族は、そうした歴史を背負う。その歴史は世代を超えて伝えられていく。するとまた、原発の建設により、家族は引き裂かれる。
そして3・11。
ボクたちは、大文字の歴史が、そうした家族のささやかな歴史を引き裂くという、無数の歴史を想起することができる。そうした無数の歴史が、日本のどこにでも転がってるからだ。そしてそれは、今につながっているのである。
しかし、いい加減に、そうした大文字の歴史が、ささやかな家族や個人の歴史をなぎ倒していくということは、なくしていかなければならない。
今日の映画、シネマイーラで今日一回だけの上映だった。見ていたのは、10人くらい。そこへ,脚本を書いた井上純一と俳優3人が挨拶をした。あまりに観客が少なくて、申し訳ないとおもった。
原発事故の映画は、観客数が伸びないという。これからもこの映画は、あちこちで上映されるだろう。ぜひ見て欲しい。見るべき映画だ。
ボクは歴史の無情と、そして怒りを覚えた。忘れてはならない、福島の原発事故。