今日は静岡市を経由して富士市に行った。1960年代末から70年初めにかけて富士市とその周辺で闘われた富士川火力反対闘争、田子の浦ヘドロ問題を闘った当事者から話を聞くためである。
そのために、このブログで紹介した2冊の本を読んでいった。その2冊の本、今日話を伺ったHさんの話からわかることは、やはり民主主義や環境権などは闘いとるものであるということだ。2冊の本の著者、Hさんも、環境破壊の状況に対してやむにやまれず立ち上がった。
企業の垂れ流しなど環境破壊に対して、何とかしなければならないと思い、人々と語らい、学び、行動していく。そういうなかで、憲法などに書かれているものを自らのなかに血肉化していく。その過程は、憲法の人権規定を実現していくことでもある。
いい憲法が制定されても、それはただ単なる文字である。その文字に血を通わせた人々が戦後民主主義をつくってきた。
戦後民主主義は、そうした無数の人びとの努力のなかでその姿を現してきたのである。いわば、彼らは戦後民主主義の「彫り師」である。
今日その「彫り師」の一人から、貴重な話を伺った。Hさんは東電社員だった。しかしHさんは、東電の富士川火力反対闘争に率先して入り込んでいった。その結果、出勤しても仕事がない状態におかれたりした。でも闘い続けた。
Hさんのような「彫り師」によって造られた戦後民主主義を崩壊させてはならない。
そのために、このブログで紹介した2冊の本を読んでいった。その2冊の本、今日話を伺ったHさんの話からわかることは、やはり民主主義や環境権などは闘いとるものであるということだ。2冊の本の著者、Hさんも、環境破壊の状況に対してやむにやまれず立ち上がった。
企業の垂れ流しなど環境破壊に対して、何とかしなければならないと思い、人々と語らい、学び、行動していく。そういうなかで、憲法などに書かれているものを自らのなかに血肉化していく。その過程は、憲法の人権規定を実現していくことでもある。
いい憲法が制定されても、それはただ単なる文字である。その文字に血を通わせた人々が戦後民主主義をつくってきた。
戦後民主主義は、そうした無数の人びとの努力のなかでその姿を現してきたのである。いわば、彼らは戦後民主主義の「彫り師」である。
今日その「彫り師」の一人から、貴重な話を伺った。Hさんは東電社員だった。しかしHさんは、東電の富士川火力反対闘争に率先して入り込んでいった。その結果、出勤しても仕事がない状態におかれたりした。でも闘い続けた。
Hさんのような「彫り師」によって造られた戦後民主主義を崩壊させてはならない。