浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

政治と人々

2014-11-08 21:01:41 | 日記
 安倍政権が官僚と共に行っている政策は、きわめて強権的な権威主義的国家体制を志向するものである。1930年代との相似形を指摘するゆえんである。

 安倍政権は、しかし単独でそうした体制をつくりあげようとしてきたわけではない。1980年代から支配層が、いわば戦略的に少しずつ構築してきたものである。その体制は、完成形態に近づいているようにも思える。日本国憲法の改悪がおこなわれれば、まさに「完成」といえるのだろう。

 だがしかし、そうした体制が完全に「完成」することは、ありえない。人々を完全に支配することは、ぜったいに不可能だからだ。

 彼ら支配層の意向を受けた破廉恥な者たちが、1930年代にも起きていたような、様々な攻撃をくり広げている。北星学園大学にたいする攻撃にそれは現れているが、それに抗する動きが広汎に起きている。

 あるいは東京などで起きているヘイトスピーチの街頭行動。しかしそうした行動に対しても、カウンターの動きが大きくなっている。『週刊金曜日』の記事によれば、ヘイトスピーチ参加者の10倍以上の人々が、ヘイトスピーチにたいする街頭行動に参加したようだ。「仲良くしようぜ」という至極まっとうな声が、街中に響いた。そしてそこには、若い人たちが多く参加している。

 静岡では、「若い人たちの参加が得られるためにどうしたらよいだろう」という議論が行われる。ある意味、60歳以上の老いたる者たちが企画運営する行動に、若者が参加するということはほとんどないだろうと思う。

 いま都会で、今の政治や社会のありかたに疑問を抱いている若者たちが、少しずつ動き始めている。それは今、小さなものかもしれないが、十分に大きくなる可能性を秘めている。

 連戦錬磨の老いたる者たちも動く、若者も動く。


 妄想を原動力としている安倍政権の政治は、いずれ破綻するだろう。

 残念ながら、政治家の多くは、安倍と共鳴する妄想をもって、名声とカネをもとめて政治家になってゆく。

 だが、そうではない若者が、政治の世界にはいろうとしている。時間はかかるかもしれないが、未来は暗黒ではない。光は、ぜったいになくなることはない。

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安全よりカネ

2014-11-08 09:06:34 | 日記
 鹿児島県川内原発の再稼働を「地元」(事故による「地元」は、日本全体、いや世界全体である)の自治体(薩摩川内市、鹿児島県)が承認した。日本は学ばない国。福島原発事故で、放射能を被災した地元民がどういう扱いを受けているか。ひとたび事故が起きると被災者は「棄民」とされるのだ。

 すでに福島の原発事故を体験し、そして福島の被災者が「棄民」とされていることを当然知っているはずの日本国民は、「事故が起きたら電力会社や政府の責任だ」ということはできない。原発再稼働を支持した議員に投票した人、再稼働を容認した人、そういう人にも責任はある。

 残念ながら、カネまみれになっている日本の政治家や官僚が、賢明な判断をする可能性は、ない。国民が賢明な判断ができなければ、日本は賢明な判断ができない国家であると言うことになる。実際そうした評価がある。

 このニュースが流れてきた時、なぜか忌野清志郎を想起した。清志郎は、反原発の歌を歌っていた。

https://www.youtube.com/watch?v=GpF3hoKLiFY

 ついでに・・・

 https://www.youtube.com/watch?v=QD-Nwem-Y1Q


 
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