浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

イスラム世界への疑問

2016-06-16 22:45:57 | その他
 イスラム世界における宗派間対立や女性差別には、いくらイスラムの教えだと言われても納得できない。今日、こんなニュースに接した。驚くべきニュースだ。こういうことをしていたら、イスラムへの疑問が拡大するだけだ。

 『毎日新聞』記事である。

http://mainichi.jp/articles/20160616/k00/00e/030/217000c?fm=mnm
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知らなかった!!

2016-06-16 21:32:20 | その他
 静岡県民、知っていましたか?

 今年始めに駿河湾内で捕獲されたアオザメから、セシウム134が117ベクレル/kg、
セシウム137が590ベクレル/kg、合算で707ベクレル/kgもの汚染が検出されました。
両者の比から福島第一由来の汚染であることもわかりました


http://beguredenega.com/archives/9498
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舛添都知事の第三者・・・・

2016-06-16 21:04:08 | その他
 「不適切だが違法ではない」で有名となった佐々木善三という弁護士。あちこちで活躍している。あの小渕優子のときも「第三者」。

 そして東京電力の「第三者」もこの人。

http://www.tepco.co.jp/press/release/2016/pdf/160616j0301.pdf

 あまりウィキペディアはつかいたくないけれど、「第三者」専門みたいだ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E3%80%85%E6%9C%A8%E5%96%84%E4%B8%89
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おしどりマコ・ケンっには、ほんとに頭が下がる

2016-06-16 20:40:10 | その他
 漫才芸人のおしどりマコ・ケンって、すばらしい。そのビデオがある。

http://8bitnews.org/?p=7965
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虐げられた人々

2016-06-16 18:16:06 | その他
 学生時代、ドストエフスキーの小説を読みあさった。そのなかに『虐げられた人々』があった。今はどのような話だかほとんど忘れてしまったが、しかしこの「虐げられた人々」ということばは、ずっと生き続けている。

 今日、障がいをもった方々の医療センターに行った。月一回のボランティアでの歴史講座で話すためだった。そこでいつも思うことは、障がいをもった子どもを連れた母親の姿が多いということだ。今日あった手すりを伝いながら歩いている子ども、その母親には疲れがみられた。
 『ドングリの家』という漫画を読んでいるから、あるいは『夜明けまえの子どもたち』という重度心身障がいの子どもの映画をみているから、親の大変さが想像できる。

 親たちが苦労しないで、この子どもたちが幸せに生きられる社会があればいい。

 今日ボクが話したこと。

 今の安倍政権が「変革」しようとしている方向は、戦争を日常化する「帝国」である。「帝国」というのは、アメリカという国家に見られるように、自国の利益のために、戦争したり、武器を輸出したり、他国の政権を転覆したり・・・そういう反人道的、反倫理的なことを平気でやる国である。

 そういう「帝国」に生まれ育つと、ふつうの人々が、「帝国」の戦争政策の担い手として、したくなくても、殺戮や破壊に手を貸すようになる。その例として、「大日本帝国」の時代に生まれた青年たちが、戦場や植民地でいかなることをしたのかを、史実にもとづいて話した。

 そこでボクは、そういうことをした青年たちひとりひとりの責任を追及することはしない、もし責任を追及するとしたら、当時もっとも責任ある政治指導者であると同時に、その時代に生きていた大人たちだと話した。

 そのことばは、逆に現在の私たちに返ってくる。「帝国」に進もうという安倍政権を阻止できるかどうか、現在その重大な岐路にあることを指摘した。

 歴史や社会をみるとき、どのような視点から見、考えるのか、その視点は「虐げられた人々」からでないといけないと話した。「虐げられた人々」が「虐げられる」ことがなくなる社会、それはボクらが幸せに生きられる社会でなのである。

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