浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「違法性なし」という日本

2016-06-07 07:17:37 | その他
 舛添問題、詳しくは読まない。あまりにアホらしくて知りたくもない。

 要するに、国民の税金が「政治資金」という語に化ければ、そのカネを政治家はいかなることに、私的なことに費消しても、「違法」ではないということだ。

 こういうことが堂々とまかり通る理由はなぜかと問うに、それは選挙民たる国民が政治家を甘やかしているからだ。カネと地位と名誉を求める者たち=政治家、そういう者たちの低劣な願望を満たしてあげるのが選挙民という名の日本国民である。

 地方議会、わずかばかりの利益誘導(道路の舗装、小河川改修などなど)を行政にやらせるための「口利き」をする者どもの集合体。選挙時には「お願いします」と連呼し、当選すれば「先生」と呼ばれて胸をはる。

 日本の政治。

 一昨日、研究会後の懇親会で、「日本の政治に希望はあるのでしょうか」と問われた。ボクは、「本当は絶望しているのですが、希望はあると語っています。」と答えた。

 昨日久しぶりに書店に足を運んだ。『世界』は1冊だけあった。しかし保守論壇誌はたくさん積まれていた。こういう本が売れるのだろう。非学問的・反知性的なこういう本を多くの人が買い求める。

 絶望しきったところに、希望は湧いてくる。どん底に沈んでこそ、這い上がる方途がみつかるのではないか。日本の歴史には、庶民にとってはみずからが政治の主体となりうる条件ができてきた近代の歴史には、常に絶望がまとわりついていた。敗退に敗退を重ねてきた。
 戦後の民主主義は、制度としては庶民にとっては与えられたものだ。その制度をぶちこわそうとする勢力に、庶民は身をゆだねようとしている。おのれの生存条件が掘り崩されようとしているのを、だまって見ているのだろうか。
コメント (1)
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