「AV出演の過去が発覚しゴールドマン・サックスが内定取り消し!解雇、イジメ、離婚…元AV女優差別のヒドい実態」というリテラの記事を読んだ。確かに過去に行った行為に関して不利益を被ることは理不尽なことだと思う。
http://lite-ra.com/2016/06/post-2300.html
だがボクは、女性がAV女優になるということを肯定することはできない。なぜ女性も、そして男性もそういう世界に入ることができるのだろうか。女性でも男性でも、みずからのからだを売って金を得るということはあるべきではない。こういうと、働くということも身体(労働力)を売ってカネを稼ぐことである、それと同じことではないか、なぜそういうことをいうのかといわれそうだ。
ボクはそれは質的に異なると思っている。
寂聴さんの『老いも病も受け入れよう』を読んでしまったが、いずれの項目も寂聴さんならではの含蓄あるものであった。そのなかに(48頁)、
男性向け週刊誌で「いくつまでできるか」なんて特集をしているけれど、本当に下品ですね。やっぱり愛がなかったらセックスなんかしてもつまらないと思います。
という文があった。寂聴さんは愛なきセックスは「つまらないと思う」という「選択」として書いているが、ボクはあるべきではないという倫理的な判断である。つまり「してはならない」ことであるという考えだ。
好きだから、愛するからセックスに到達するのであって、それ以外ではない。おそらく寂聴さんも同じだろうと思う。ただ異なるのは、寂聴さんは愛多き女性であるということだ。
最近、福沢諭吉の『福翁自伝』を読んだが、福沢もボクと同じような考えのようで、カネで女性を買ったりしたことは一度もないようだ。