浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

甘利問題

2016-06-03 21:49:55 | その他
 やはり起訴されなかった。安倍与党は、何をしても起訴されないという、検察の立場を明確に示したといえよう。もう法治国家ではない、というしかない。この点について、郷原氏は・・・

http://www.huffingtonpost.jp/nobuo-gohara/tokusou-lost-in-amari-case_b_10234624.html?utm_hp_ref=japan
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福島の汚染の実態

2016-06-03 21:36:42 | その他
 日本政府や自治体を信頼するな、これが福島原発事故で学んだ教訓である。

 汚染が広がっている現実があるという。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48323
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ヘイトスピーチに関するまともな議論

2016-06-03 07:04:59 | その他
 これは読むべきインタビュー。

http://wpb.shueisha.co.jp/2016/06/02/66145/
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【本】瀬戸内寂聴『老いも病も受け入れよう』(新潮社)

2016-06-03 06:39:45 | その他
 良い本である。すらすらと読めてしまう。含蓄のある文が並ぶ。老いというのは、その人の生きてきた時間が消えてしまうのではなく、蓄積されていたということであることを知らせる。昔から老人を敬うという考え方があるが、それは当然であると思う。

 この本のなかには、なるほどなあと思うことがたくさん書かれている。その一つだけ紹介しよう(140頁)。

 病気で動けなくなった時にしみじみとわかったのは、思いやりの大切さということでした。思いやりというのは、結局、想像力のことなんです。想像力で相手のつらさを理解して、助けようとすることが大切なんですね。
 想像力というのは、生まれた時から誰でも持っているはずなんです。けれどそれがどんどん育つ人と、だんだん失われていく人がいる。
 どうやったら想像力が育つかといったら、本を読んだり、映画を見たり、芝居を見たり、音楽を聴く、絵画を見るなど創造的な文化に触れることが必要です。
 なかでも本を読むことが一番いいんです。できれば小説が良いけれど、どんな本でもいいから読みましょう。そうすると想像力が育って、他人がどう感じているか、何を思っているかがわかってきます。・・・・



 想像力は、人間にとってとても大切な力であって、これがあったからこそ、人間は相互扶助で生き抜いてこられたのだと思う。しかし残念ながら、想像力を欠如した人々が、公の場に現れてきている。ふつうの人間関係では言えないような汚いことば、ヘイトスピーチ。これなんか、まったく想像力を欠如している人々の行いであると思う。自分自身がそう言われたら、という感覚、他人の痛みを感じる力がまったくない。

 想像力、思いやりはとても大切な感情である。

 本書は、こうした何気ない日常で感じることが、寂聴さんならではのことばで紡がれている。
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リテラの記事

2016-06-03 06:16:12 | その他
 「AV出演の過去が発覚しゴールドマン・サックスが内定取り消し!解雇、イジメ、離婚…元AV女優差別のヒドい実態」というリテラの記事を読んだ。確かに過去に行った行為に関して不利益を被ることは理不尽なことだと思う。

http://lite-ra.com/2016/06/post-2300.html

 だがボクは、女性がAV女優になるということを肯定することはできない。なぜ女性も、そして男性もそういう世界に入ることができるのだろうか。女性でも男性でも、みずからのからだを売って金を得るということはあるべきではない。こういうと、働くということも身体(労働力)を売ってカネを稼ぐことである、それと同じことではないか、なぜそういうことをいうのかといわれそうだ。

 ボクはそれは質的に異なると思っている。

 寂聴さんの『老いも病も受け入れよう』を読んでしまったが、いずれの項目も寂聴さんならではの含蓄あるものであった。そのなかに(48頁)、

 男性向け週刊誌で「いくつまでできるか」なんて特集をしているけれど、本当に下品ですね。やっぱり愛がなかったらセックスなんかしてもつまらないと思います。

 という文があった。寂聴さんは愛なきセックスは「つまらないと思う」という「選択」として書いているが、ボクはあるべきではないという倫理的な判断である。つまり「してはならない」ことであるという考えだ。

 好きだから、愛するからセックスに到達するのであって、それ以外ではない。おそらく寂聴さんも同じだろうと思う。ただ異なるのは、寂聴さんは愛多き女性であるということだ。

 最近、福沢諭吉の『福翁自伝』を読んだが、福沢もボクと同じような考えのようで、カネで女性を買ったりしたことは一度もないようだ。
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