浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

英辞郎

2016-06-17 21:30:49 | その他
 アルクという会社が、『英辞郎』という辞書を出している。といっても本の辞書ではない。PCにインストールして、英文を読むときに使うのだ。

 ただしこれは翻訳ソフトではない。
 ネット上に無料で使える翻訳ソフトがあるが、まったくひどいもので使い物にならない。やはり、英和辞典などで辞書を引きながら読み進むのだが、その際最も頼りになるのがこの「英辞郎」である。

 ボクはかなり前からこの「英辞郎」をPCにインストールして使っている。とにかく、語彙が豊富なのだ。同時に、新しい英語表現などを積極的に導入しているので、現代のエッと思うような英語も入っている。

 以前は、英文を翻訳してネット上に掲載することをしていた。その際、「英辞郎」をフルに活用していた。

 先日、東京からの友人らと会食をしたが、その際東京の友人からこの「英辞郎」の話が出された。英語に堪能な人が、これを推薦していたというのだ。もちろんボクはそれに同意して、実際ボクはそれをインストールして使っている話をした。

 どんなものか知りたいというので、帰宅してからアルクのHPにアクセスした。すると新しいバージョンの「英辞郎」が発売されていた。買わなくても、ネット上でアルクのHPの検索欄に打ち込めば「英辞郎」は使えるのだが、いちいちそんなことをするのは面倒だし、いつもネットにつながれているわけではない。

 ボクは、同席した方々にその情報を送ってあげた。同時に、新しいバージョンなので、早速ボク自身も注文、それが今日届きすぐにインストールした。

 「英辞郎」は、設定すれば、わからない単語をマウスで反転させ、右クリックで「コピー」をだし左クリックすればすぐにその語の意味がでてくる。

 価格はだんだん高額になっているが、損はしないと思う。
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テレビ・メディアの問題性

2016-06-17 13:10:41 | その他
 “ひるおび”というTBSのニュースワイドショーを少しだけ見た。もうすでに舛添都知事の政治資金の使途の問題などは、消されていた。

 舛添問題を問題とするべき視点は、政治資金の使途をどう制限していくかである。しかしその問題はもう消えているようだ。テレビメディアには、正義の視点がなく、ニュースをおもしろおかしく、単なる社会事象としてとりあげるだけであるということだ。

 そのためには、政治権力を厳しく指摘する人々は排除する。

 今週号の『週刊金曜日』は、「安倍政権と言論統制」である。だが特集記事を読んでいると、「統制」もあるのだろうが、そうではなくメディアの側の忖度や従属、物言わぬ記者の存在の方がクローズアップされる必要があるということだ。

 昨夜は、TBSラジオの荻上チキの番組が、「日本会議」を特集していたので聴いていたが、もう御用キャスターの後藤謙次や星浩がでるようなものは見たくはない。テレビメディアがしっぽをふりふり、権力のご機嫌伺いをしている光景など見たくもない。

 批判的な言論が、ほんとうになくなっている。そして批判的な言論が届くのは、その問題性を認識している人々だけである。要するに、フツーの人々には伝わらない。

 最近ボクは、批判的な言論を、こうしたブログだけではなく、講演会や講座で繰り広げようと、できるだけ多くの人の前で話をするようにしている。

 批判的な言論の必要性を認識している人々は、もっと人々の前に立つべきだ。メディアからは、正義や真実が消えているのだということを知るべきだ。

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福沢諭吉

2016-06-17 11:56:46 | その他
 来週、福沢諭吉について話す。そのレジメが今日未明に完成し、メール添付で送った。
 その過程で、『福沢諭吉選集』を読み、福沢について論じたいろいろな人の著作を読んだが、そのなかでもっともよかったのが、ひろたまさきさんの『福沢諭吉』(岩波現代文庫)である。この本は1976年に朝日新聞社の「朝日評伝選」の一冊して刊行されたものだが、昨年岩波書店から復刊された。

 1976年の刊行だから最近の研究書については、「岩波現代文庫版あとがき」に簡単にあるだけだが、しかしもう1970年代半ばで福沢研究の大方は完成していたと思う。丸山真男、遠山茂樹、安川寿之輔らの研究がすでに出そろっていたからである。

 福沢の書いたものを読んでいると、1881年『時事小言』を書いたあたりから、すでに『学問のすすめ』に胚胎していた対外観などが明確になってくる。この頃から、啓蒙思想家という姿勢は消えていく。丸山は、どちらかというと、1881年以前の諭吉を評価していて、この後の福沢の思想を検討しているわけではないから、だから高い評価が下されるのだろうと思う。安川のそれは、イデオロギッシュなかたちでの裁断で、その主張に一理はあるが、最初から「駄目」だったという、みずからの思想的立脚点からの断罪となっている。

 それに引き替え、ひろたさんのものは、歴史的背景を踏まえながら、内在的な福沢の変化を追い、その変化を「差別される視線」から、反帝国主義的な観点から、論じている。

 すでに刊行から40年が経過しているのに、その内容は現代的意味をもつものとなっている。復刊されたゆえんである。

 したがって、今福沢を読むとするなら、ひろたさんのものがいちばん良いだろう。読むことをすすめる。というのも、論壇の一部で福沢諭吉を評価する動きがあるからだ。それも、「脱亜論」を評価しようというものだ。

 今、福沢諭吉を批判的に読むことは大切なことであると、このレジメを作成しながら確信した次第である。

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「炉心溶融」使うなは誰?

2016-06-17 07:03:13 | その他
 昨日の報道。ほとんどのメディアが報じているが、下記は『東京新聞』。

東電社長「炉心溶融使うな」指示 「官邸指示」と伝える

2016年6月16日 夕刊

 東京電力が福島第一原発事故当初、原子炉の核燃料が溶ける「炉心溶融」が起きていたのに「炉心損傷」と説明し続けた問題で、同社が原因調査を依頼していた第三者検証委員会が「当時の清水正孝社長が『炉心溶融という言葉を使うな』と社内に指示していた」との報告書案をまとめたことが、関係者への取材で分かった。十六日午後、正式に取りまとめる。

 報告書案によると、清水社長は、二〇一一年三月十四日夜に記者会見中だった副社長に、広報担当者を通じて、首相官邸からの指示として「この言葉(炉心溶融)は絶対に使うな」と伝えていたことも判明した。

 同日早朝には、1、3号機で仮設電源により計測機器が一時的に復旧。炉心損傷割合が5%超と確認され、当時の社内マニュアルに従えば、炉心溶融と判断できる状態になっていた。

 報告書案は、清水社長が副社長に炉心溶融という言葉を使わないよう求めた背景には、官邸からの指示があったと推認されるとの趣旨の指摘をしているが、指示をした人物や具体的な内容は特定していない。

 一一年の事故直後、東電は記者会見などで1~3号機の炉心溶融の可能性を指摘されたが「基準は存在しない」として、前段階の「炉心損傷」と説明していた。正式に溶融を認めたのは一一年五月だった。


 そして、当時の官邸側は、これを否定。これも『東京新聞』(共同配信記事)。


「官邸指示」に枝野氏反論 菅氏も、炉心溶融の報告書

2016年6月16日 23時10分

 民進党の枝野幸男幹事長は16日、菅直人内閣の官房長官として東京電力福島第1原発事故に対応した際、東電に「炉心溶融」との言葉を使わないよう指示したことはないと明言した。東電の第三者検証委員会報告書に反論した。三重県四日市市で記者団の質問に答え「私も、当時の菅首相も、東電にそんなことを求めていない」と述べた。

 菅氏も同日の取材に「『炉心溶融』を使うなと言ったことはない」と話した。

 報告書は、東電の清水正孝社長(当時)が社内に、首相官邸からの指示だとして「炉心溶融という言葉を使うな」と伝えていたと記載した。(共同)


 どちらを信じるか。東電の「第三者」には、かの「第三者」で何度も登場し、依頼者の利益を常に守っている、「第三者」とはいえない、佐々木善三弁護士がいるから、東電側は信用できない。それに、ウソをつき続けてきた前歴も、東電にはいっぱいあるから。
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