浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

近代の言説

2016-06-12 15:36:00 | その他
 今、福沢諭吉の著作を読みあさっているが、いつもこうした思想家の本を読んでいると、100年以上も前に書かれたり主張されたことが、実現していなかったり、軽視されていることを発見する。

 たとえば、『文明論之概略』には、

 政府、若し世間の実情を知らんと欲せば、出版を自由にして智者の議論を聞くに若かず。著書新聞紙に制限を立てて智者の言路を塞ぎ、間諜を用ひて世情の動静を探索するは、其の状、恰(あたか)も活物(いきもの)を密封して空気の流通を絶ち、傍らより其の死生を候(うかが)ふが如し。何ぞ夫れ鄙劣なるや。

 とある。

 安倍政権のやっていることは、諭吉のたとえ通りのことだ。

 そういう政権を続けさせてはいけない。
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力関係

2016-06-12 08:19:10 | その他
 東京都知事には、ふつうの人格をもった人が就任していない。東京都民は、そういう人がすきなのか。

 舛添都知事の記者会見の対応をみていて、彼はまだ石原慎太郎よりもマシだという気がする。

 質問に対する答えは、全く説明にはならない具体性のまったくない答弁となっているが、もし石原だったら、「なんだ、その質問は。そんな質問には答えないぞ」などと威嚇するだろう。威嚇された記者たちは、きっとおとなしくなって、それ以上の質問はでてこなくなる。

 舛添都知事は、慇懃無礼ではあるが、質問に答えようとする。

 石原慎太郎の記者会見を思い出すと、石原はいかなることをしようとも、それが「不適切」なことであろうとなかろうと、自分自身がおこなったことはすべて正しいというきわめて独善的な姿勢を示していた。したがって、批判されたり、批判的な質問を受けたりすると、怒りを前面に威嚇を繰り返していた。

 記者が舛添都知事に鋭い質問をしているが、石原時代には見られなかった光景だ。

 記者も、強い人間とそうでない人間に対して、差別的な対応をするということだ。強いものに対して果敢に闘うというのがあるべき姿だが、そうではない姿を記者会見では見せている。
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