浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「信義誠実の原則」

2016-06-18 22:09:28 | その他
 民法第一条の第二項に「権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。」とある。信義誠実の原則、それが見事に破られていた。破ったのは、『静岡新聞』である。

 今日、静岡へ行った。研究会の例会があったからだ。その席で、一冊の本を受け取った。『報恩の碑 義侠の医師 浅羽佐喜太郎と潘佩珠』、著者は柴田静夫氏。旧浅羽町域の歴史の研究家であった。あったというのは、もう亡くなられているからだ。

 柴田氏は、とても謙虚で温厚な方だった。私もこの地域の歴史を調査し、叙述する上でたいへんお世話になった方だ。

 さて、その本を帰りの電車で読んでいたら、「あとがき」にこうあった。「あとがき」の筆者は、柴田氏の娘さんである。

 2003年6月、仲介する方があり、静岡新聞から学芸部のお二人が浅羽町に来られ、同紙に連載( 30回)する、ということになりました。それまで何度も文章にし、またつい先年『浅羽町史 通史編』にも執筆したばかりで、本人としてはあまり気は進まなかったようです。
 それでも、一回1400字ほど、写真1、2点入れる、いうことで、毎回それなりに工夫をこらし、原稿を書きつぎました。父の日記で確認すると、 2003年暮れに第1回の原稿を郵送、最後の第30回の分を送ったのが2005年6月のことです。
 しかし、その間もその後も連載を実現せず、思い切って手紙や電話で問い合わせてもはっきりした返事はありません。結局連載の話はなくなったものとみて、返信用の切手を(大量に)同封して返却を求めた原稿と写真もついには戻ってはきませんでした。掲載できないのならできないと、きちんと言ってくれるべきでした。依頼されて書いたものが、有耶無耶のうちに葬りさられたのです。静岡新聞のこの信義に欠ける対応には、温厚で知られた父もかなり腹を立てていました。晩年の父がこのような目に遭っていたと思うと、私としても、穏やかならぬものが今も胸中に湧きあがります。


 柴田氏が「腹を立てていた」、とある。こんなことをされたら怒りを覚えるのは当たり前だ、しかし私は、柴田氏が怒っている姿は、一度も見たことはなかった。

 この本は、2009年に出版されている。柴田氏が静岡新聞に送った原稿は返されなかったので、その草稿をもとにして編集したのが、この本(私家版)である。

 それからもう7年が経過している。静岡新聞社は、当然、この件に関し、謝罪し、原稿などを返却していることと思う。もしそうでなく、ほったらかしにしているのなら、静岡新聞は、「信義誠実の原則」を踏みにじる会社であることが明確になる。口約束でも、法的には契約は成立している。その契約を一方的に反故にしているのだ。

 静岡新聞関係者の方々、この問題をどうしますか?


 静岡新聞社は些細なことだと思っているかもしれないが、こうしたこと一つでもあれば、同社の信用は落ち、その結果部数が減っていく、これは当然のことだ。


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破廉恥な「右派」の人士

2016-06-18 08:18:28 | その他
 リテラの果敢な行動に頭が下がる。こうした破廉恥な輩には、正々堂々とした問いかけも、のれんに腕押しだろうが、しかし彼等の馬鹿さ加減は暴露していく必要がある。

http://lite-ra.com/2016/06/post-2345.html
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不正だらけ

2016-06-18 07:55:49 | その他
 今日の新聞を見て、最初に読んだのが社会面の小さな記事。東京都の八五歳の認知症の女性に、みずほ証券が「仕組み債」(ボクはこれがどういうものか全く知らない)を8500万円買わせて4000万円損をさせたという。みずほ証券を紹介したのが、みずほ銀行。これが訴訟になって、判決で3000万円の返還を命令したという。あたりまえだ。

 金融機関は、ある意味でだましの手口で、こういうあざといことをして金儲けに走る。こうして民間企業は不正をはたらく。

 今日の新聞の大きな記事。燃費の不正をおこなった三菱自動車、軽自動車購入者に10万円を補償するという。経済欄には、三菱自動車社長のインタビュー記事。
 記者が、「そもそもどうして不正が始まったのか」という問いに対して、副社長は「ヒアリングしたが、(退職して)会社にいない人が多数で理由を明確に出来ない」だって。そんなのあり得ない。日本の企業風土では、トップが認めていないと不正はできない。トップの責任を回避するために、退職した社員に責任をかぶせ、うやむやにしようという魂胆だろう。三菱自動車には不正をなくそうという姿勢が欠如しているということだ。三菱自動車が日産傘下になるというが、日産も同じ穴の狢になるのではないか。

 三菱にしても、スズキにしても、トップの命令だか許可を得て不正をしたはずだ。日本の企業文化では、社員が自主的にこうした不正をおこなうことはしない。それを社員の自主的なものだとして糊塗しようとする経営者、許せない。

 そして今日の社説(『中日』)。東電の不正に関する佐々木善三弁護士というミスター「第三者」が関わる報告書が出されたという。佐々木善三が関わると、真実は隠蔽され、依頼者の不正を隠すという意思がストレートに出されてくる。こういうことでカネを稼いでいるのだ、この人は。

 東電の企業体質は全く変わらない。ウソをつき続けること平気、安全をほんとうに確保するという姿勢の欠如。こういう企業が日本にはたくさんある。ほら、東芝も不正をしていた。

 民間企業性善説で、地方自治体では「行政改革」なるものが行われたが、こういう民間企業を真似て良いものか。


炉心溶融隠し 安全文化はどこにある

2016年6月18日

 深刻な事態の公表が遅れても、対応マニュアルの存在に気づかなくても、不当ではなく、社内の空気のなせるわざ-。第三者検証委員会の報告はそう読める。東京電力に安全文化は根付かないのか。

 大事なことは、ほとんど何も分からなかったということか。

 東京電力の「原子力災害対策マニュアル」では、核燃料損傷の割合が5%を超えれば、炉心溶融(メルトダウン)と判定することになっていた。核燃料が溶け落ちて、原子炉の底にたまってしまう、つまり重大な事態である。

 マニュアルに従えば事故発生から三日後に、福島第一原発は、メルトダウンしたと判定され、公表されるべき状況だった。

 ところが東電は五月まで、「炉心損傷」と過小評価し続けた。マニュアルがあること自体、五年もの間、気づかれていなかった。

 正確で速やかな情報の伝達、公開は避難の在り方を左右する。住民の命に関わる問題だ。安全軽視にもほどがある。

 なぜ、このようなことが起きたのか。当然浮かぶ疑問の声に、真摯(しんし)かつ、つまびらかにこたえる責任が、東電にはあるはずだ。

 ところが報告書には、首をかしげたくなるような記述が並ぶ。

 「炉心溶融という用語の使用を控えるべきだとの認識が社内である程度共有されていた結果」

 「炉心の状態が直接確認できないため、測定結果が出そろうのに時間が必要だった」

 「事故後、マニュアルが改定され、溶融の判定基準は一部の社員の過去の記憶になっていた」

 「当時の規制官庁は損傷割合の通報を受けており、溶融が起きていると判断できた」

 従って、メルトダウンの判定が遅くなっても不当とは言えず、意図的な隠蔽(いんぺい)も認められない。住民の対応にはほとんど影響していない-などと結論づけている。

 首相官邸や政府の関与についても触れてはいるが、曖昧さは否めない。納得できるものではない。

 そもそも“第三者”に検証を委ねてしまうこと自体、東電の自らを省みる力、企業倫理の欠如の表れではないのだろうか。

 報告書から明らかに読み取れるのは、あれだけの事故を起こしてなお、東電という企業風土の中に「安全文化」が育っていないということだ。

 立地する新潟県ならずとも、柏崎刈羽原発の再稼働など、認められるものではない。
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