民法第一条の第二項に「権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。」とある。信義誠実の原則、それが見事に破られていた。破ったのは、『静岡新聞』である。
今日、静岡へ行った。研究会の例会があったからだ。その席で、一冊の本を受け取った。『報恩の碑 義侠の医師 浅羽佐喜太郎と潘佩珠』、著者は柴田静夫氏。旧浅羽町域の歴史の研究家であった。あったというのは、もう亡くなられているからだ。
柴田氏は、とても謙虚で温厚な方だった。私もこの地域の歴史を調査し、叙述する上でたいへんお世話になった方だ。
さて、その本を帰りの電車で読んでいたら、「あとがき」にこうあった。「あとがき」の筆者は、柴田氏の娘さんである。
2003年6月、仲介する方があり、静岡新聞から学芸部のお二人が浅羽町に来られ、同紙に連載( 30回)する、ということになりました。それまで何度も文章にし、またつい先年『浅羽町史 通史編』にも執筆したばかりで、本人としてはあまり気は進まなかったようです。
それでも、一回1400字ほど、写真1、2点入れる、いうことで、毎回それなりに工夫をこらし、原稿を書きつぎました。父の日記で確認すると、 2003年暮れに第1回の原稿を郵送、最後の第30回の分を送ったのが2005年6月のことです。
しかし、その間もその後も連載を実現せず、思い切って手紙や電話で問い合わせてもはっきりした返事はありません。結局連載の話はなくなったものとみて、返信用の切手を(大量に)同封して返却を求めた原稿と写真もついには戻ってはきませんでした。掲載できないのならできないと、きちんと言ってくれるべきでした。依頼されて書いたものが、有耶無耶のうちに葬りさられたのです。静岡新聞のこの信義に欠ける対応には、温厚で知られた父もかなり腹を立てていました。晩年の父がこのような目に遭っていたと思うと、私としても、穏やかならぬものが今も胸中に湧きあがります。
柴田氏が「腹を立てていた」、とある。こんなことをされたら怒りを覚えるのは当たり前だ、しかし私は、柴田氏が怒っている姿は、一度も見たことはなかった。
この本は、2009年に出版されている。柴田氏が静岡新聞に送った原稿は返されなかったので、その草稿をもとにして編集したのが、この本(私家版)である。
それからもう7年が経過している。静岡新聞社は、当然、この件に関し、謝罪し、原稿などを返却していることと思う。もしそうでなく、ほったらかしにしているのなら、静岡新聞は、「信義誠実の原則」を踏みにじる会社であることが明確になる。口約束でも、法的には契約は成立している。その契約を一方的に反故にしているのだ。
静岡新聞関係者の方々、この問題をどうしますか?
静岡新聞社は些細なことだと思っているかもしれないが、こうしたこと一つでもあれば、同社の信用は落ち、その結果部数が減っていく、これは当然のことだ。
今日、静岡へ行った。研究会の例会があったからだ。その席で、一冊の本を受け取った。『報恩の碑 義侠の医師 浅羽佐喜太郎と潘佩珠』、著者は柴田静夫氏。旧浅羽町域の歴史の研究家であった。あったというのは、もう亡くなられているからだ。
柴田氏は、とても謙虚で温厚な方だった。私もこの地域の歴史を調査し、叙述する上でたいへんお世話になった方だ。
さて、その本を帰りの電車で読んでいたら、「あとがき」にこうあった。「あとがき」の筆者は、柴田氏の娘さんである。
2003年6月、仲介する方があり、静岡新聞から学芸部のお二人が浅羽町に来られ、同紙に連載( 30回)する、ということになりました。それまで何度も文章にし、またつい先年『浅羽町史 通史編』にも執筆したばかりで、本人としてはあまり気は進まなかったようです。
それでも、一回1400字ほど、写真1、2点入れる、いうことで、毎回それなりに工夫をこらし、原稿を書きつぎました。父の日記で確認すると、 2003年暮れに第1回の原稿を郵送、最後の第30回の分を送ったのが2005年6月のことです。
しかし、その間もその後も連載を実現せず、思い切って手紙や電話で問い合わせてもはっきりした返事はありません。結局連載の話はなくなったものとみて、返信用の切手を(大量に)同封して返却を求めた原稿と写真もついには戻ってはきませんでした。掲載できないのならできないと、きちんと言ってくれるべきでした。依頼されて書いたものが、有耶無耶のうちに葬りさられたのです。静岡新聞のこの信義に欠ける対応には、温厚で知られた父もかなり腹を立てていました。晩年の父がこのような目に遭っていたと思うと、私としても、穏やかならぬものが今も胸中に湧きあがります。
柴田氏が「腹を立てていた」、とある。こんなことをされたら怒りを覚えるのは当たり前だ、しかし私は、柴田氏が怒っている姿は、一度も見たことはなかった。
この本は、2009年に出版されている。柴田氏が静岡新聞に送った原稿は返されなかったので、その草稿をもとにして編集したのが、この本(私家版)である。
それからもう7年が経過している。静岡新聞社は、当然、この件に関し、謝罪し、原稿などを返却していることと思う。もしそうでなく、ほったらかしにしているのなら、静岡新聞は、「信義誠実の原則」を踏みにじる会社であることが明確になる。口約束でも、法的には契約は成立している。その契約を一方的に反故にしているのだ。
静岡新聞関係者の方々、この問題をどうしますか?
静岡新聞社は些細なことだと思っているかもしれないが、こうしたこと一つでもあれば、同社の信用は落ち、その結果部数が減っていく、これは当然のことだ。