浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

府中市美術館の今後

2016-06-24 21:18:41 | その他
 ハフィントンポストで、異様なニュースを読んだ。

http://www.huffingtonpost.jp/2016/06/24/fuchu-city-museum_n_10649962.html?utm_hp_ref=japan

 美術は、美術である。いかなる画家が、いかなる題材で、いかなる方法で描いたか、それはあらゆる束縛や評価を超えて自立的に存在し続けるのである。

 府中市美術館の「上の方」の人が、もしその画家の個々の絵画を自立した作品としてみず、画家の属性や題材を考慮して、政治的にふるまうことになったら、美術作品はそこで殺されることとなる。

 絵画を殺す権限は、誰にもない。

 殺すという事態がおこるとき、そこは全体主義的な場であることを証明する。

 府中市は、全体主義的な都市か。

 ヒトラーも、絵画を統制した。歴史に学べ!
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「時流」はどこへ流れるか

2016-06-24 20:29:17 | その他
 中江兆民の論説に「流行の論」がある。日本人は、流行に流されてしまうと、兆民は1888年に記しているのだ。

「顧(おも)ふに流行なる者は極て平穏なる専制者なり。極て勢力ある先導者なり。一たびこの勢力ある先導者が社会熱閙(=騒がしい社会)の区域に降臨し来るときは、主宰なき脳髄を持し指針なき智慧を持する浮虚軽躁(=思慮が浅く軽はずみ)の族類は勿論、その胸中すこぶる一定の意向ある者にても、何日の間にやら彼れ先導者の進む処に向ふて進み、その後に及では己れもまた疾走迅走して、かへりて他の弱行者の手を援(ひ)き腰を推し強て急行せしめて、乃ち先導者の加勢をなすに至ること往々にしてこれなり。」

 参議院議員選挙、報道では、宗教右派に革命の方向に「流行」(「時流」)は向かっているようだ。こうした「時流」を押しとどめたり、その方向を変えることは難しい。

 それもまた歴史となる。何度も何度も同じような間違いを犯して、それでも懲りない日本人。過去から学ぼうとしない歴史を忘却した民。過去の歴史の「時流」を学んで、軌道を修正する日は来るのであろうか。


 
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日本国民の右派化

2016-06-24 06:26:16 | その他
 日本国民は、すでに保守的という段階ではない。右派化、である。安倍政権は、特定の右派系宗教勢力の方針に牛耳られているため、またマスメディアもその安倍政権に追従しているため、安倍政権の方針がすっと国民のなかに入るのである。

 これでは、普遍性をもった現在の憲法から、特殊「日本右派」的な「憲法」ともいえないようなそういう特殊な国家へと変身していくのだろう。仕方がない、それが知性を失った日本国民の姿なのだから。

 若い人々が選挙権をもつわけだが、彼らは本も新聞も読まない。したがって、まったく知性的ではない人々が選挙に参加するのであるから、安倍政権を支持するのは仕方がないだろう。非知性で共通する。

 http://lite-ra.com/2016/06/post-2364.html
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