浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

2016-06-27 21:07:40 | その他
 今日、『芸術新潮』7月号が届いた。特集は、「とてつもない裸!日本ヌード写真史」である。この雑誌の特徴は、毎号の特集が独立していることだ。先月号の特集は、「仁義なき聖書」、その前が「若冲」、さらにその前が「国芳」、「カラヴァッジョをつかまえろ!」、「永遠のフェルメール」、「江口寿史」、「谷崎潤一郎の女・食・住」・・・・・

 編集部が「芸術」と見なしたものは芸術だ、という自負があるのだろう、谷崎潤一郎なら「文学」だろうが、それを「芸術」にする。

 そして次号は、「日本の神々」である。全国の神社百選だそうだ。最近、テレビでも「伊勢神宮」を取り上げたり、日本の神の周辺も騒がしい。しかし神社も、維新を契機に祭神が変わったりしている。次号の特集の説明書きに、「長い歴史と土地の歴史に育まれた聖なる空間」とあるが、そこは?である。

 明治の初め頃まで(?)、外宮と内宮のあいだにあった古市という歓楽街は、江戸吉原、京都島原と並ぶ日本三大遊郭の一つであって、伊勢は「性なる空間」であったのだ。そういうところまで踏み込まないと、「日本の神々」の本質はわからない。日本の神話には、あの天の岩戸伝説もあるではないか。


 さてもう一冊。佐々木惣一『立憲非立憲』(講談社学術文庫)も届いた。こちらは法学の本。立憲主義が破壊されつつある現代日本に生きる者は、近代日本における「立憲」、「非立憲」を考えなければならないと思い、購入した。佐々木(1878~1965)は、大正から昭和にかけての憲法や行政法の研究者である。

 東大の石川健治教授が、この佐々木について話をしていたのを聞き、これは是非とも読まなければならないと思って昨日注文したものだ。まず石川教授の「解説」を読み始めた。

 石川教授の講演の内容が、きわめて知的で学問的に誠実であったので、この「解説」も期待していた。期待通りである。

 日本の憲法史の中で獲得されてきたもの、それが安倍政権の下で危機にあり、さらに右派革命が懸念されるこのとき、日本の民主主義の蓄積をみずからのものにする意味は十二分にある。佐々木が、現実との格闘のなかで生み出した理論の意味を学び取ることは、現在と格闘する者にとっても価値あり、である。

 日本人は、日本の近代初頭に導入された、今や普遍的な価値となった權利や自由を、未だみずからのものにし得ていないという結論に私は今立ち至っているが、近代以降の日本歴史の学び直しが必要である。それは、歴史を逆行させないためである。

 『立憲非立憲』は、読む価値ありである。
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福島・汚染廃棄物が全国に

2016-06-27 18:09:44 | その他
 環境省などが、今福島県に積まれているあの汚染廃棄物。公共事業には使用できるとかいって、全国にばらまこうという計画がある。

 全国に放射能汚染をばらまいてしまおうという、日本政府。

 ではその汚染物、どのくらいたてば無害になるかというと・・・・

 今日の共同配信記事。


汚染土「濃度減衰まで170年」 環境省非公開会合で試算を議論
2016/6/27 15:18

 東京電力福島第1原発事故に伴う除染廃棄物を巡り、放射性物質濃度が基準以下となった土などを全国の道路や防潮堤などの公共工事で再利用する環境省の方針について、同省の非公開会合で「再利用後、放射性物質として扱う必要がなくなる濃度に減衰するまで170年かかる」との試算が議論されていたことが27日、関係者への取材で分かった。

 環境省の担当者は「工事完了後も管理し、年数で区切ることは考えていない。今後実証試験などを通じて適切な方法を確立する」としているが、補修の際の具体な対応策などは決まっていない。


 日本政府は、日本国憲法25条の「健康で文化的な」生活を保障しようとしないのだ。安倍自公政権のひどさ。
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さすが天台宗

2016-06-27 18:01:03 | その他
 さすが天台宗。最澄さんも泣いているだろう。

 しかし、旧仏教で、唯一あの右派革命をめざす「日本会議」に参加している宗派だから、こういうこともあり得るだろう。

http://www.huffingtonpost.jp/2016/06/27/sexual-harrassment-at-zenkoji_n_10693962.html?utm_hp_ref=japan
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ひどい目に遭わされたのに、なお

2016-06-27 17:47:46 | その他
 今日の『東京新聞』第一面は、東北6県のJA系農政連が、参議院選挙で自民党候補を推薦していない、という記事だった。

 そのなかで唯一推薦したのが、福島県。ええーっと思った。自民党の原発政策により、あんなにひどい目に遭ったのに。それでも自民党か。
 確かに、原発事故後の福島県の国政選挙、自民党が圧勝だったような気がする。

 何とも言えない。

 東北地方を中心に、全国十府県でJAグループの政治運動組織「農業者農政運動組織連盟」(農政連)が、七月の参院選で自民党候補への推薦を見送ったことが本紙の取材で分かった。JAグループは自民党の有力な支持層とされてきたが、環太平洋連携協定(TPP)などを進めた安倍政権への不満が背景にある。安倍晋三首相(自民党総裁)は東北を重点的に遊説するなど、農業票の引き留めに躍起だ。 (山口哲人)

 十府県は青森、岩手、宮城、秋田、山形、石川、三重、京都、高知、佐賀。これらの農政連は野党側にも推薦を出さず、自主投票とした。改選二の京都以外は、参院選の勝敗を分ける一人区。

 三重、石川のように、以前から原則として推薦を出していない農政連もあるが、秋田や高知、佐賀の農政連は、二〇一三年の前回参院選では自民候補を推薦していた。

 特に東北六県で、自民党候補を推薦したのは「原発事故からの復興のため、政権与党とのつながりを考慮した」という福島県農政連だけ。安倍政権がTPP交渉を妥結(今年二月に協定文に署名)させたことや、全国農業協同組合中央会(JA全中)の一般社団法人化など農協改革への反発がある。東北は農業を主要産業とする地域の中でも、特にコメの比重が大きい。

 秋田県農政連の担当者は「自民への反発というより、TPP推進の安倍政権に対する反発」と説明。別の県の農政連担当者は「安全保障関連法の進め方もいかがなものか」と話す。

 農業票は当落を大きく左右するだけに、首相も重視。二十四、二十五両日は二巡目となる東北遊説に入った。宮城県多賀城市での二十五日の街頭演説では「宮城の『ひとめぼれ』(ブランド米)や牛タンを輸出するため、国が前面に立って支援する」とTPPという言葉は使わず、輸出で農家の所得を増やすと訴えた。

 安倍政権は昨年十一月、TPPへの不安を拭い去るため、農林漁業の強化策を柱とした「TPP政策大綱」を策定。さらに、自民党も参院選公約とは別に、初めて東北に特化した地方版公約をつくり「農業重視」をアピールする。それでも「農家は納得していない」(青森県農政連の担当者)と厳しい声が上がっている。







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失礼であるかどうか自覚できない人

2016-06-27 06:45:13 | その他
 古市憲寿という、テレビタレントのような人がいる。彼が司会を務めたネット上の番組で、小沢一郎に誰が見ても失礼なことを尋ねた。常識的に、党首討論で、政治を論ずる場でまったくプライベートなことを小沢一郎だけに尋ねるということは、まったく失礼極まりない。

 そうしたことを尋ねることが非常識であることが自覚できない者が、司会をすることに、知的劣化だけではなく、人間的劣化を感じる。同時にそういう人物を、テレビメディアなどが重用することに社会の劣化を感じる。

 http://www.huffingtonpost.jp/2016/06/25/furuichi-ozawa_n_10678772.html

 
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涙と炎

2016-06-27 00:28:51 | その他
 NHKのETV特集「飯舘村5年」を見た。

 登場した人々の涙をみた。
 突然、空から降ってきた原発事故の災厄が、人々の生活を根本から変えた。そこからの生活は、飯舘村の人々ひとりひとりに大きな課題を背負わせた。

 突きつけられる選択。その選択の意思決定をするために、何度も流さなければならない涙。

 その涙に、官僚や政治家、そして東電関係者は、何を見るのだろうか。いや見ないだろう。いや見ているかもしれないが、しかし見ても何も感じないだろう。

 事故前から、飯舘村のことを知っていた。もちろん良い意味で知っていた。しかし2011年の3月、その村は崩壊した、いや破壊された。

 2011年のあの事故の前には、絶対に戻らない。幸せな日々はかえらない。ばらばらになっていく村の人々。

 神社で、移転する人たちの家にあった神棚が燃やされる。次から次へと投げ入れられる神棚が、炎を大きくする。飯舘村から、人々が去って行けばいくほど、その炎は大きくなる。

 この炎に、罪の意識を感じなければならないと思う。同時に、彼らに罪人であることを認識させなければならないと思う。

 飯舘村の人々の涙も、そして神棚を燃やす炎も、ほんとうはなかった、あの事故さえなければ。



 
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