今日、『芸術新潮』7月号が届いた。特集は、「とてつもない裸!日本ヌード写真史」である。この雑誌の特徴は、毎号の特集が独立していることだ。先月号の特集は、「仁義なき聖書」、その前が「若冲」、さらにその前が「国芳」、「カラヴァッジョをつかまえろ!」、「永遠のフェルメール」、「江口寿史」、「谷崎潤一郎の女・食・住」・・・・・
編集部が「芸術」と見なしたものは芸術だ、という自負があるのだろう、谷崎潤一郎なら「文学」だろうが、それを「芸術」にする。
そして次号は、「日本の神々」である。全国の神社百選だそうだ。最近、テレビでも「伊勢神宮」を取り上げたり、日本の神の周辺も騒がしい。しかし神社も、維新を契機に祭神が変わったりしている。次号の特集の説明書きに、「長い歴史と土地の歴史に育まれた聖なる空間」とあるが、そこは?である。
明治の初め頃まで(?)、外宮と内宮のあいだにあった古市という歓楽街は、江戸吉原、京都島原と並ぶ日本三大遊郭の一つであって、伊勢は「性なる空間」であったのだ。そういうところまで踏み込まないと、「日本の神々」の本質はわからない。日本の神話には、あの天の岩戸伝説もあるではないか。
さてもう一冊。佐々木惣一『立憲非立憲』(講談社学術文庫)も届いた。こちらは法学の本。立憲主義が破壊されつつある現代日本に生きる者は、近代日本における「立憲」、「非立憲」を考えなければならないと思い、購入した。佐々木(1878~1965)は、大正から昭和にかけての憲法や行政法の研究者である。
東大の石川健治教授が、この佐々木について話をしていたのを聞き、これは是非とも読まなければならないと思って昨日注文したものだ。まず石川教授の「解説」を読み始めた。
石川教授の講演の内容が、きわめて知的で学問的に誠実であったので、この「解説」も期待していた。期待通りである。
日本の憲法史の中で獲得されてきたもの、それが安倍政権の下で危機にあり、さらに右派革命が懸念されるこのとき、日本の民主主義の蓄積をみずからのものにする意味は十二分にある。佐々木が、現実との格闘のなかで生み出した理論の意味を学び取ることは、現在と格闘する者にとっても価値あり、である。
日本人は、日本の近代初頭に導入された、今や普遍的な価値となった權利や自由を、未だみずからのものにし得ていないという結論に私は今立ち至っているが、近代以降の日本歴史の学び直しが必要である。それは、歴史を逆行させないためである。
『立憲非立憲』は、読む価値ありである。
編集部が「芸術」と見なしたものは芸術だ、という自負があるのだろう、谷崎潤一郎なら「文学」だろうが、それを「芸術」にする。
そして次号は、「日本の神々」である。全国の神社百選だそうだ。最近、テレビでも「伊勢神宮」を取り上げたり、日本の神の周辺も騒がしい。しかし神社も、維新を契機に祭神が変わったりしている。次号の特集の説明書きに、「長い歴史と土地の歴史に育まれた聖なる空間」とあるが、そこは?である。
明治の初め頃まで(?)、外宮と内宮のあいだにあった古市という歓楽街は、江戸吉原、京都島原と並ぶ日本三大遊郭の一つであって、伊勢は「性なる空間」であったのだ。そういうところまで踏み込まないと、「日本の神々」の本質はわからない。日本の神話には、あの天の岩戸伝説もあるではないか。
さてもう一冊。佐々木惣一『立憲非立憲』(講談社学術文庫)も届いた。こちらは法学の本。立憲主義が破壊されつつある現代日本に生きる者は、近代日本における「立憲」、「非立憲」を考えなければならないと思い、購入した。佐々木(1878~1965)は、大正から昭和にかけての憲法や行政法の研究者である。
東大の石川健治教授が、この佐々木について話をしていたのを聞き、これは是非とも読まなければならないと思って昨日注文したものだ。まず石川教授の「解説」を読み始めた。
石川教授の講演の内容が、きわめて知的で学問的に誠実であったので、この「解説」も期待していた。期待通りである。
日本の憲法史の中で獲得されてきたもの、それが安倍政権の下で危機にあり、さらに右派革命が懸念されるこのとき、日本の民主主義の蓄積をみずからのものにする意味は十二分にある。佐々木が、現実との格闘のなかで生み出した理論の意味を学び取ることは、現在と格闘する者にとっても価値あり、である。
日本人は、日本の近代初頭に導入された、今や普遍的な価値となった權利や自由を、未だみずからのものにし得ていないという結論に私は今立ち至っているが、近代以降の日本歴史の学び直しが必要である。それは、歴史を逆行させないためである。
『立憲非立憲』は、読む価値ありである。