浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

市民講座

2017-01-15 19:52:21 | その他
 今日静岡市で、市民講座で「大日本帝国の兵士たち」という話をした。一人の兵士は、徴兵検査の結果現役兵となり台湾にあった歩兵連隊に配属され、そこで職業軍人となって、1930年に起きた霧社事件鎮圧に「活躍」し、少尉となって後退役、その後郷里に帰り、在郷軍人会の分会長などをつとめ、「満洲国」が建国された後、志願して「満州国」軍の日系軍官として「満州国」内を「転戦」、そして最後に平陽鎮というところで朝鮮人部隊の中隊長となってそこで病気で亡くなるという人生を送った。

 もう一人は、農村に生まれ農業に励んでいたが、日中戦争勃発により徴兵され輜重兵(特務兵)となった、北京、天津周辺で戦争行動に参加し、人を殺すことに慣れ、その後第十軍・柳川兵団の一員として杭州湾に上陸、南京へ、南京では虐殺事件に関与し、その後武漢まで転戦して帰郷した。

 このふたりの兵士の生き方を例として、昭和戦前期の男子の人生のありかたを示した。つまり田舎に生まれ育った男子が軍人とされ、侵略と植民地支配を構造的に組み込んでいた「大日本帝国」を担った、ということを話したのである。

 終わってから、3人の人から質問があった。ひとりは、私が「日中戦争」と言うことに対して、なぜ「支那事変」と言わないのか、と問うた。当時の政府がつかっていた呼称を使うべきであり、「太平洋戦争」も「大東亜戦争」と呼ぶべきだというのであった。歴史学では、政府が呼称するネーミングをそのまま使わない、実態を分析しそれをよく表すネーミングとする、たとえば「太平洋戦争」を「アジア太平洋戦争」とするなど。

 ある人は、日本兵が南京で虐殺事件を起こしたが、中国人は中国で虐殺事件を起こしているではないか、なぜそれに言及しないのかと問うた。確かに、中国の歴史をみていくとそうした事例はあるが、私の話は中国史について話すものではなく、日中戦争の中で中国にとって他国である日本国(民)が起こした事件についてであり、それに言及する必要はない、と応えた。

 もう一人は、霧社事件に参加した兵士は職業軍人であり、彼に被害者の側面をみるべきではないのではないかと問うた。しかし彼が、「大日本帝国」の時代に生まれてしまったが故に、そうした道を歩んでいったのであり、その意味では「兵士にされた」、「霧社事件で鎮圧の任に当たらされた」ということも言えるのではないか、などと応えた。

 この話は、すでに三回目であるし、すでに書いたことなので、準備する時間は少ない。しかし新しいテーマに取り組まないと、思考力が退化してしまうので、また別のテーマに取り組んでいきたい。



 
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POST-LAWの時代

2017-01-15 09:43:03 | その他
 post-truthが、メディアでも使用されるになった。これは権力者だけではなく、メディア(たとえば『産経新聞』など)や普通の人びとも、「真実なんて糞食らえ」だいう態度を示してきた。その代表的なのが歴史修正主義である。これは、ドイツに於いてはホロコーストはなかった、南京事件はなかった、などと、歴史的に実証されてきた真実をも葬り去ろうという、真実や学問的営みの結果に対する謙虚さは微塵もない、おのれの勝手な思い込みを恥ずかしげもなく堂々と主張する輩たちによってなされてきたものだ。

 もちろんその中に、安倍もいる。本来彼のような知性もなく、知識もなく、浅薄な思い込みだけで生きているような人物は、首相に何ぞなるべきではないのである。ところが、今度アメリカの大統領になるトランプも、同じような人物だ。だからこそ、安倍が当選直後に駆けつけて、「信頼できる大統領」だなどと言ってのけたのだ。同類なのだ。

 彼らは、POST-TRUTHの権化なのであるが、彼らに付随するのは、POST-LAW 「法なんて糞食らえ」である。安倍政権は、沖縄の辺野古基地建設に関わっては、「日本は法治主義」といいながら、憲法違反の安保法制を強引に通すし、日本の刑法には賭博罪があるのに、国際的なギャンブル資本にはカジノを許可する・・・・「法律なんて糞食らえ」を実行している。

 その安倍の無法者ぶりにお墨付けを与えているのが、司法である。沖縄県を敗訴にした判決は、『世界』などで岡田正則氏が厳しく批判しているが、まったく不当なものである。

 またPOST-LAWを働いているものに、警察がある。おそらく安倍政権の差し金だろうが、沖縄では平和運動センターの山城氏がずっと拘束されている。警察権力と司法権力が、無法を働いているのだ。

 真実や法なんて、糞食らえだ、俺たちはやりたいことをやり、言いたいことをいうのだ、という時代に突入している。こういう時代をどう再建していくのか、じっくりと考える必要がある。



 
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