浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

抗するために

2017-01-17 17:32:10 | その他
 日本政府は、「明治150年」の記念事業の中で、「明治の精神」を学ぶ、ということを言っている。その場合の「明治の精神」とは、近代国家建設を思想的に牽引したナショナリズム、資本主義、国家主義、侵略主義、差別主義などであろう。そういうものを肯定的に学ばせようとするのである。「明治」を光で覆い尽くそうとするのだ。

 しかし、私たちは1910年に大逆事件がおきたことを知っている。まさにでっち上げの事件である。これにより多くの有為の人物が、国家により虐殺された。明治国家は、虐殺された彼らがもっていた自由、平等、友愛などを求める精神を破砕したのである。

 「明治150年」では、彼らの精神は一顧だにされないだろう。だからこそ、私たちは、「明治」という時代に踏みにじられた思想を「明治の精神」として歴史の中からとりだしていかなければならない。それはいまもって虐殺された幸徳らの冤罪を冤罪として国家に認めさせることにつながる。

 今、私は田中伸尚の『大逆事件 死と生の群像』(岩波書店)を読み直している。事件がでっちあげられ、次々と検挙されていく過程をみるとき、私は現在国会に上程されている「共謀罪」について考えざるをえない。

 まさに「明治天皇の爆殺」という「大逆」を、共謀もしていないのに、共謀したとして逮捕され、そして死刑台へと送られたのだ。その「共謀」は、明治国家がでっちあげた「共謀」であり、証拠も何もありはしない。しかし、明治国家は、それでも突っ走った。

 今、安倍政権が成立させようとしている共謀罪は、そうしたことを可能にさせる法案である。

 抗するために、過去の事実をひろいあげ、それを語らなければならない。

 日本政府、安倍政権が是とする「明治の精神」がいかなるものであるか、そして「明治」の時代が、どういう精神を踏み潰したのか。それを明らかにする中で、「明治150年」のイデオロギーを根底から批判していく、そうした作業が求められている。

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カネもうけのためなら、何でも・・・

2017-01-17 10:30:40 | その他
 カネもうけのためなら、何をしても良いという風潮が世界をおおっている。カネもうけに興味関心を持たない人、カネがない人には、無関係だが、下記のような事例はたくさんある。

 嘘をつくことは、今やいけないことではない。安倍をみろ、トランプをみろ!

http://forbesjapan.com/articles/detail/14891/1/1/1
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どんなことでも・・・・

2017-01-17 08:23:09 | その他
 トランプ次期大統領のTwitterなどでの言説を読んでいると、この人が言うことはすべて信用できないと思わざるを得ない。口からでまかせを言っても、それについて何ら恥じらいを持たない、まさに新自由主義の時代の寵児である。truthpolitical correctnessなんか、それこそ糞食らえの人である。

 だが今やそういう人物が大衆の人気を獲得する時代となってしまった。

 歴史修正主義がでてきたのはいつ頃だっただろうか。歴史研究の中から紡ぎ出された歴史的真実を堂々と無視して、みずからの思い込みを、平気で語る人物が、日本だけではなく、世界各地にほぼ同時的に出現してきたことを覚えている。謙虚に、先人が明らかにしたこと、考えてきたこと、学問的成果、そういうものの価値を足蹴にする時代が始まった、と思ったら、今や政治家や官僚がそうなっている。そして、アメリカ大統領も、日本の後を追ってそうなってしまった。

 この記事を読んで、トランプの言説の軽さを再認識した。

http://www.huffingtonpost.jp/2017/01/11/story_n_14119716.html


 軽い言説の流行の背景には、ナショナリズムがあると思う。ナショナリズムは、今までも使えるものなら何でも使って、自国の優秀さや清廉潔白さなど大衆が「よし」とするものを混ぜ合わせて提供されてきた。そうした言説が、社会の中に流れ、人びとの意識の中に沈殿していく。

 今までも私はあちことで、「大日本帝国」の影の部分を語ってきたが、それに対していわゆる歴史修正主義的な質問がでるようになったのは最近のことである。歴史修正主義が、社会の中に普及していることを実感する。

 歴史研究者は、今までの研究の中で獲得してきたことや、多くの歴史研究者によるきちんとした学問研究の成果を、人びとに語りかけるべきである。

 先日も書いたが、歴史学は、まさにイデオロギーをめぐる闘う学問でもあるのだ。
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