浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】麻田雅文『シベリア出兵 近代日本の忘れられた七年戦争』(中公新書)

2017-01-12 17:36:34 | その他
 昨日は一日ドックへ行き、依頼された2冊の本の書評を書くために、そちらに力を尽くしていたので、しばらくブログを書く余裕がなかった。

 今日は表題の本を紹介する。

 来年2018年は、1918年米騒動から100年となる。米騒動は、シベリア出兵を見越した米屋などが売り惜しみをしたり、軍が兵站のために米を買い占めたりしたために、米価が上昇し・・・・と説明されることがある。米騒動についての研究はたくさんあるが、シベリア出兵について、詳しいことはほとんど知らない。

 私の友人から、シベリア出兵の資料を発見し、それをテレビで放映するために準備を進めているという知らせがあった。そのときシベリア出兵について、私にはほとんど知識がないことを認識した。これではいけないと思い、この本を急遽購入して読んでみたのだが、これがなかなかよい。たくさんのことを教えてもらった。

 このシベリア出兵、確かに第一次大戦を戦っていた英仏などが、アメリカや日本に出兵を求めたものだが、しかし読んでいくと、日本海軍も陸軍も出兵することにかなり積極的だったようだ。軍隊は、他国の軍隊と戦うために存在するわけだから、その活躍の場をいつも求めているのだ。アメリカを気にする政府や軍首脳の意向をよそに、ウラジオストクに海軍陸戦隊は上陸、いつものように「現地軍の暴走」があった。

 アメリカも出兵するというので、それを待っていた日本は陸軍を送り込み、他国の軍よりも突出した数であった。その数、最大の時で、7万2400人。この出兵を、当時朝鮮軍司令官であった宇都宮太郎陸軍大将はとても喜んだ。朝鮮の植民地支配を安定させるためである。

 ところで、なぜシベリア出兵が求められたか。要するに、ドイツと戦っていた連合国は、ドイツが革命ロシアと停戦したたために、ドイツを屈服させるためにロシアに東部戦線をつくろうとしたのである。ところが第一次大戦は、1918年に終わってしまった。シベリア出兵の意味がなくなってしまったのだ。

 しかし日本軍は残る。出兵を続ける。ロシアのパルチザンとの戦い、正規軍同士でない戦闘に、日本軍は苦しめられる。

 そして1920年、日本軍は北サハリンに出兵する。これは知らなかった。その背景には、財閥がある。海軍がある。いずれも北サハリンの石油などの利権を求めたのだ。

 日本軍がシベリアから撤兵したのは、1922年。北サハリンから撤兵したのが1925年。なぜかくも長い間出兵したのか。「出兵しても何も得ずでは兵を引けないという、指導者たちの負い目であった」(247頁)。

 シベリア出兵では、戦死2643人、戦病死690人。そして莫大な戦費がかかった。約7億円。

 何も生み出さなかったシベリア出兵。この事件をしっかりと認識しなければならないと思った。

 なおこの本は、とてもよい本である。
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