浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

大逆事件のビデオ

2017-01-18 22:16:03 | その他
 共謀罪が国会に上程されているからこそ、大逆事件を知ろう。

https://www.youtube.com/watch?v=6ByWIpADZKA
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官僚の天下り

2017-01-18 18:38:10 | その他

天下り 文科省があっせんか 元幹部、早大へ再就職

http://mainichi.jp/articles/20170118/k00/00e/040/271000c?fm=mnm

「文部科学省が2015年、元幹部を早稲田大に再就職させる「天下り」をあっせん」したそうだ。文科省も文科省だが、早稲田大学が「天下り」を受け容れたということが、私は許せない。「在野の精神」は、すでに大学当局にないことは既知のことだが、しかしOBとしてはとても残念だ。
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権力の嘘

2017-01-18 08:43:37 | その他
 昔から、政治権力の掌握者は、嘘をついてきた。しかし賢明なジャーナリストや国民が、その嘘を見抜き、それが嘘であることを指摘してきた。しかし今や、そのような賢明さは失われていった。ジャーナリズムは本来の精神を失い、権力の掌握者の言説をそのまま垂れ流すようになり、国民も嘘でも心地よければいいよ、というようになった。

 かくて今、真実が真実としての地位を失うに至った。

 政治権力の怖さというのは、嘘にもとづき、人を逮捕し、人を貧困にし、人を殺し、あらゆるものを破壊する力を持っているということだ。

 「規制緩和」あるいは「規制撤廃」という新自由主義を推進する人びとが垂れ流すことばがある。これは、資本主義的企業にフリーハンドを与える言説である。たとえばそれは、企業に労働者を解雇する自由を与え、今まで公営で行ってきた業種に参入させ儲けさせる自由である。今や企業は多くの自由を与えられ、そのおかげでカネを蓄えることができた。企業の内部留保である。

 資本主義的企業が、国境をこえて、人びとの生活を圧迫している。

 今、そうした資本主義的企業と利害を共通にする政治権力は、みずからのフリーハンドの獲得を狙っている。資本主義的企業のために、自由に軍事力を行使する自由、国家に不安を与える勢力や個人を逮捕監禁する自由・・・・・・・・国家にフリーハンドを与える法整備が進んでいる。

 人びとは、すでにフリーハンドを与えられた国家が、どのようなことをしでかすかを歴史的に経験したはずであるが、しかし今やそれが継承されないでいる。政治権力は、国家の自由な活動を制約する立憲主義を葬り、テロ対策という衣を着せながら国民の自由や権利を無化する作業を、公然とあるいは非公然で推進している。

 今日の『中日新聞』に、池内了が「「ポストトゥルース」の時代?」という文を乗せている。池内は、我が日本ではこれが使われてきたとして、戦前における「万世一系」、「神国日本」、そして戦後の「自衛隊」、現在の「武器輸出を防衛装備移転」、「集団的自衛権行使を「安全法制」」、オスプレイの墜落を「不時着」、南スーダンでの戦闘を「衝突」を列挙し、「数え上げればキリがない」、と記す。これらは「誰も責任を取らないということの表明で、日本のポストトゥルースとは無責任体質のことである」と書いている。

 「まやかしの言葉を鵜呑みにせず、あくまで事実に基づいた政治を求めて政治を監視し続けることを怠ってはならない」、これが文末である。

 「まやかしの言葉」で命をも奪う政治権力。1911年の今日、大逆事件で逮捕された人たちに、死刑判決が下された。過去の歴史的事実は、無限の教訓を私たちに示している。



 
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