浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

POST-TRUTHを、私は「真実なんて糞食らえ」と訳している

2017-01-03 16:09:10 | その他
 日本政府が関わる情報に、POST-TRUTHがしばしば発見される。これもそうだ。『沖縄タイムス』のコラム。

寝正月を返上し、摩文仁の丘で2017年の初日の出を迎えた。振り返れば2000年の元旦、名護市瀬嵩の浜で見て以来。当時の岸本建男名護市長が、条件付きで普天間飛行場の受け入れを表明してから5日後の朝だった

▼先月6~8日、オスプレイが宜野座村の民間地上空で物資をつり下げたまま飛行訓練した。住民や村職員、そして沖縄防衛局職員も目撃したにもかかわらず、20日に閣議決定された政府の答弁書は「民間地を飛行したかは確認できない」

▼沖縄防衛局が「確認できない」と報告したのか、永田町で書き換えられたのかは分からない。だが現場に駆けつけた局職員はオスプレイが家の真上を旋回するたびに、住民に頭を下げていたという

▼それが偽りだったとは思いたくない。だが、結果的に彼らの目撃はあやふやな情報とされ、「確認できない」と片付けられた

▼防衛局は職員の報告に耳を傾けたのか、職員は見た事実をそのまま報告したのか。個人に意見を持たさない、個人が意見を持とうとしない組織に未来はない

▼17年前に初日の出を見た当時も今も、安全保障の論理だけで北部の基地機能を強化する政策は続き、辺野古の海は再び緊迫する。硬直した政府の手法は先鋭さを増すばかりだが、「人間は歯車ではない」「そこに人がいるのだ」と今年も言い続けたい。(磯野直)

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西日本新聞の記事 日本外務省の隠蔽体質

2017-01-03 10:35:56 | その他

外務省が「核密約」非公開要請 米公文書で裏付け 介入実態が判明したのは初

西日本新聞 1/3(火) 9:15配信


 日本の外務省が1987年、米政府に対し、核兵器の持ち込みに関する密約を含む50年代後半の日米安全保障条約改定交渉など、広範囲にわたる日米関係の米公文書の非公開を要請していたことが、西日本新聞が米情報自由法に基づき入手した米公文書で明らかになった。密約などについて米側は要請通り非公開としていた。米公文書公開への外務省の介入実態が判明したのは初めて。

 文書は87年4月、米公文書の機密解除審査部門責任者の一人、故ドワイト・アンバック氏が作成した「機密解除に関する日本の申し入れ書」。作成から30年たち機密解除の審査対象となる50年代の米公文書について、在米日本大使館は87年1、3月、機密を解除して国務省刊行の外交史料集に収録しないよう同省東アジア太平洋局に文書で申し入れており、同局とアンバック氏が対応を協議した3ページの記録だ。申し入れは米歴史学者の調査で判明していたが内容は不明だった。
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「際限のない非公開要請には同意できない」米側不快感示す

 文書によると、日本側が非公開を求めたテーマは(1)「核兵器の持ち込み、貯蔵、配置ならびに在日米軍の配置と使用に関する事前協議についての秘密了解」(2)「刑事裁判権」(3)「ジラード事件」(57年、群馬県で在日米軍兵士が日本人主婦を射殺した事件)(4)「北方領土問題」(5)「安保改定を巡る全般的な討議」。(1)(2)については「引き続き(公開)禁止を行使する」との結論が明記されていた。

 日米外交史に詳しい菅英輝・京都外国語大教授は(1)について安保改定時の「米核搭載艦船の通過・寄港を事前協議の対象外とした核持ち込み容認の密約」だと指摘。今も関連文書の一部は非公開だ。(2)は53年の日米行政協定(現在の日米地位協定)の改定時に、米兵らの公務外犯罪のうち重要事件以外は日本政府は裁判権を放棄したとされる問題とみられるという。

 一方、(3)(4)(5)については事実上、要請を拒否する方針が記されていた。

 文書によると、アンバック氏は「われわれは広範囲にわたる際限のない非公開要請には同意できない」と強調。外交史料集刊行などに「深刻な問題を引き起こす」と警告し、全て受け入れれば関係する二つの巻のうち1巻は全体の約3分の1、残る1巻は60%以上の分量が影響を受けると懸念。「これは米政府による情報公開を外国政府が統制できるのかという根源的な問いを提起している。答えは明らかにノーだ」と強い不快感を示していた。

 米政府への非公開要請について、外務省は「外交上のやりとりにつき、お答えは差し控えさせていただきます」とコメントした。
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◆米公文書公開への他国の関与

 情報公開への社会の意識が高い米国では、米政府は1970年代まで、自国で作成した公文書については、関連する他国から非公開要請があっても拒否してきた。しかし複数の国からの懸念を受け、80年以降、公開の是非について当該国と協議するようになった。2015年12月、国務省は西日本新聞の取材に、そうした協議は「折に触れて行っている」としており、なお継続しているとみられる。

=2017/01/03付 西日本新聞朝刊=


外務省、隠蔽体質あらわ 元国務相担当者が証言

2017年01月03日 06時00分

 【ワシントン山崎健】外務省が1987年、広範囲にわたる米公文書の非公開を米政府に要請した際、国務省東アジア太平洋局日本担当として米政府内の協議に参加した元駐韓米大使のトマス・ハバード氏(73)が西日本新聞の取材に応じた。ハバード氏は日本からの非公開要請は他にもあったと指摘。民主主義の根幹をなす国民の「知る権利」を無視した外務省の隠蔽(いんぺい)体質が浮き彫りになった。

 「日米の政治 成長に差」

 国務省刊行の米外交史料集編さん史の共著者で、87年に在米日本大使館から同局に非公開の公式な申し入れがあったことを突き止めた米歴史学者のジョシュア・ボッツ氏(37)によると、要請を米政府の機密解除審査部門に伝えたのがハバード氏だった。

 ハバード氏は「関係国を当惑させるような公文書は公開するべきではない、というのが当時の私が強く感じていたことで、それは今も変わらない」と説明。しかし、審査部門の歴史学者たちは、作成から30年経過した文書は公開するべきだと強く主張したという。

 米政府は最終的に核密約と「刑事裁判権」以外のテーマの非公開要請には応じられないと決定。ボッツ氏によると87年8月までに日本大使館に伝えられた。

 西日本新聞が入手した米公文書には「全ての同盟国と友好国の中で、日本が最もわれわれの外交記録の公開政策に非協力的だ」との記述もあった。ハバード氏も「日本が最も嫌がっていたというのは間違いなかったと思う」と振り返った。

 政府の公文書公開を義務付けた米国の情報自由法が施行されたのは67年。日本の情報公開法の施行は34年後の2001年。ハバード氏は情報公開に対する当時の日米の姿勢の相違は「両国の政治的な成長の段階の違いが反映されていたと考えていた」と指摘した。

 ボッツ氏によると米政府が公文書公開について関係国と協議をするようになったのは80年以降。86年にも日本から非公式な非公開要請があった。ハバード氏も「90年代前半、私が国務次官補代理だったころ、あったと覚えている」と証言。いずれも内容は不明だ。

 一方、米中央情報局(CIA)が50~60年代に自民党政治家らに資金提供していた問題についても外務省が90年代、関連の公文書の公開に強く反対する意向を米政府に伝えていたと、米外交史料集編さんに携わった米アリゾナ大教授が2015年、西日本新聞に証言。外務省はこの件について「確認できなかった」とするが、80年代から慣例化し現在も随時行われていると思われる非公開要請の一環だったとみられる。

 西日本新聞は外務省に対して、非公開要請の経緯などについて説明を求めたが事実上のゼロ回答。説明責任を果たさない外務官僚の「政治的な成長の段階」は、87年時点と変わらない。



=2017/01/03付 西日本新聞朝刊=



「知る権利」ないがしろに 菅英輝・京都外国語大教授

2017年01月03日 06時00分

 「『徹底した、正確で信頼できる』編さんに向けて」。これは、「合衆国の対外関係」として知られる米国務省外交史料集の編さん史について歴史学者らが執筆した共著のタイトルである。ところが、この精神を踏みにじるような申し入れを外務省が行っていたことを示す文書が明るみに出た。外務省が米公文書公開作業に口を挟んできたことは、これまでも指摘されてきたが、この文書は、それがいかに度が過ぎる介入だったかを物語っている。

 安保改定交渉時の記録の全般的な非開示を求めていたとは驚きだ。その他の項目も含めると、関連する2巻の史料集の約3分の1から6割以上の分量に当たるというから米担当者の怒りも当然だろう。密約についても、表で存在を否定し続け、裏では隠蔽工作をしていたことが確認できた。改めて国民への背信を露呈した形だ。

 外交交渉経過を明らかにすることで問題点の有無が分かる。世論の批判に耐え得るのか後世に検証できなければ外交力は鍛えられない。外交の民主的コントロールも困難になる。最も肝心なのは、これは国民の「知る権利」への侵害ということだ。民主主義が機能するための前提を、外務省はないがしろにしていたことが鮮明になった。

 国民の知る権利を制約するさまざまな問題をはらむ特定秘密保護法が施行されて約2年になる。今回、明らかになった「何でも隠せ」という外務官僚の秘匿習性が改善されたとは思えず、この文書は同法の危うさを、時代を超えて警告している。



=2017/01/03付 西日本新聞朝刊=
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「神道を考える」

2017-01-03 09:05:50 | その他
 「神道を考える」という『現代思想』の臨時増刊号が、昨年末刊行された。『現代思想』1月号を読み終えたので、これを読み始めたのだが、その目次をみて、これはダメだなと思った。というのも、近世までの神道あるいは神社信仰は、明治初期の神仏分離、廃仏毀釈により、その姿を大きく変えられたと考えているからだ。

 したがって、明治初期の神仏分離・廃仏毀釈をとりあげない神道史は、ダメである。現代に生きている人びとは、神社信仰や神道というと、現在のそれを表象する。しかしそれは、明治初期に政治的にきわめて強引なかたちで変容させられている。

 この臨時増刊号は神道史がその特集内容ではないが、中世神道をとりあげている。しかし、中世神道をとりあげるなら、その神社信仰・神道の歴史の中で大変革たる神仏分離をきちんととりあげ位置づけなければ、「神道を考える」ということにならない。

 現在、その神道・神社信仰をコントロールしている神社本庁は、右派運動の中核たる日本会議の一翼を担っている。そうした行動に駆り立てる宗教的動機は、明治初期の神仏分離にその淵源をもつ。その後にうちたてられた国家神道である。決してそれ以前の神社信仰からではない。

 そうした神社信仰・神道の歴史から逸脱した近代神道をとりあげることこそが、現代の「神道を考える」ということになるのであろう。残念ながら、『神々の明治維新』を書いた安丸良夫氏が亡くなられたから、そうした視点が反映されなかったのだろう。

 神社信仰や神道を、歴史的・批判的に検討する意味は十分にある。日本国憲法体制を掘り崩す一翼を神社界が担っているからだ。初詣という習慣も決して古くはない。初詣でお賽銭を投げ入れて願い事をするとき、その賽銭は右派の運動にも利用されているのだ。

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超大企業の利益を支えている人たち

2017-01-03 08:56:05 | その他
 日本の自動車産業は、トヨタをはじめとして莫大な利益を上げている。しかし、それぞれの自動車メーカーには、無数の下請け会社が厚い層を成している。

 浜松市は、スズキの下請け会社がたくさんある。その浜松市、井伊直虎で大騒ぎをしているが、しかし市全体の景気は決してよくない。頂点にあるスズキ本社だけが儲けられる構造になっているからだ。しかしその構造は、トヨタでも全く変わらない。大企業は、莫大な利益を独占し、労働者や下請け会社など、その生産活動を支えている人びとに利益を還元することをしないからだ。

 『中日新聞』は、「内なるトランプ」として連載をはじめた。その記事。


(1)トヨタの足元 

2017/1/3 朝刊

◆あんな政治家出てこんかな-69歳・元4次下請け経営


 「部品の単価を下げてくれ」とは、あえて言わない主義のようだ。

 元請けの担当者は「(競合業者に)負けてるよ」とだけ、ぼそっとつぶやいた。応接セットもない簡素な事務室。くたびれたジャンパーを着た社長(54)は、いつものように「前の見積書、捨ててください」と力なく返すしかない。「言うことを聞かなきゃ仕事はない。奴隷みたいなもんだ」。ため息が漏れた。

 グローバリズムの「勝ち組」トヨタ自動車。星の数ほどの下請け企業が織りなす、巨大な部品供給ピラミッドの頂点に立つ。二〇一六年三月期の連結決算でたたき出した営業利益は、過去最高の二兆八千億円余。だが、底辺にいる愛知県三河地方の四次下請け会社まで、恩恵など滴り落ちてこない、どころではない。

 三度のやりとりの末に社長が「自主的に」出し直した単価は、〇八年のリーマン・ショック前より三割も安かった。作るほど赤字。十数人の従業員が油まみれでカイゼンすれば、数カ月後はわずかに黒字に転換できる、かもしれない。「でも、地獄のような戦いですわ」

 社長は、別の元請けからはメールで一方的に値下げを通告された。「グローバル化で競争力の強化が課題となっております」

 レクサス、プリウス…。人気車の部品を作るのは誇り。けれど、際限のないコスト削減に追われ「数年後には、うちみたいにぎりぎりの薄い利益で食いつなぐ下請けは、七割がヤバくなるんじゃないか」と胸がざわつく。「中部地方は、確実に産業空洞化が進むよ」

 皮肉にも、倉庫で始めた副業のシイタケ生産が本業を上回る利益を生み出す。

 「最近のモデル、この半分の大きさだ」。名古屋市内の二次下請け会社。社長(58)は、一抱えある金属製の箱を見詰めた。数年前まで、あるハイブリッド車の心臓部を担っていた電装部品。小型化は、猛スピードで進む技術革新の果実だ。ただ、この下請け会社が納入するネジの数が、半分に減ったことを意味する。

 急激に進む生産の海外移転、部品の大掛かりな共通化や、電気自動車の開発…。次々押し寄せる大変動は、トヨタが世界で熾烈(しれつ)な競争を勝ち抜くための戦略であることは分かる。だが、ピラミッドの底辺であえぐ下請けにとっては、食いぶちが少なくなりそうな話ばかりだ。

 愛知県豊橋市で四次下請けの塗装工場を経営していた男性(69)は五年前、廃業した。海外に仕事を奪われ、値下げ圧力にも耐え切れなかった。「下請けなんて、やるもんじゃない」

 保護主義がまん延したら、日本の製造業が立ちゆかないなんて、理屈では分かる。だが、自国産業の保護をズバッと言うトランプ氏が、ちょっとまぶしい。

 「下々のことまで、ちゃんと考えてくれてんだろ? 偉いじゃないか、トランプ。日本でもあんな政治家、出てこんかなぁ…」
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