西谷修氏は、「「アメリカの世紀」の終わり」(『現代思想』1月号)で、トランプの主張には歴史が没却されていることを強調している。「歴史の没却」=「歴史を無視すること」は、日本でも普通になってしまったことだ。特に政治経済権力を掌握している集団は、特にその傾向が強い。歴史を無視しているから、過去の教訓を生かそうという発想がない。これはたいへん恐ろしいことである。
このうえ、一般庶民が同じように「歴史を没却」してしまうなら、まさに日本は再び大きな間違った道を歩むこととなる。歴史に関わる人びとは、心しなければならない。
西谷は、こう記している。
歴史の没却は世界各地で深刻化しています。これは間違いなく破滅へとつながる道です。歴史を踏まえない敵対性や抗争が世界のベースになってしまえば、差別や暴力がとめどなく広まっていくでしょう。それは戦争、あるいは戦争と名付けられない集団的殺戮や虐待を、各国内部で、そして各国間で起こすことになるでしょう。
そして軍学共同の動きを指摘した後、
こうした歴史の没却に対していかに対抗していくか。これがいま学問の、というか知的活動の現場で戦われているのです。議論そのものが戦いになっています。
多くの人びとの努力によって獲得されてきたものを護り発展させるために、あるいは歴史の中で得られた教訓を生かすために、歴史がどういう役割を果たすことができるかを考えていかなければならない。
このうえ、一般庶民が同じように「歴史を没却」してしまうなら、まさに日本は再び大きな間違った道を歩むこととなる。歴史に関わる人びとは、心しなければならない。
西谷は、こう記している。
歴史の没却は世界各地で深刻化しています。これは間違いなく破滅へとつながる道です。歴史を踏まえない敵対性や抗争が世界のベースになってしまえば、差別や暴力がとめどなく広まっていくでしょう。それは戦争、あるいは戦争と名付けられない集団的殺戮や虐待を、各国内部で、そして各国間で起こすことになるでしょう。
そして軍学共同の動きを指摘した後、
こうした歴史の没却に対していかに対抗していくか。これがいま学問の、というか知的活動の現場で戦われているのです。議論そのものが戦いになっています。
多くの人びとの努力によって獲得されてきたものを護り発展させるために、あるいは歴史の中で得られた教訓を生かすために、歴史がどういう役割を果たすことができるかを考えていかなければならない。