ロシアについて、『神奈川大学評論』に掲載された文の中には、私の心を動かすような記述はなかった。
しかし今日、私はロシアのノーベル賞作家のスベトラーナ・アレクシエービッチの語りを聞く機会を得た。そこには深い深い思考があった。彼女が話す一言一言の背後に、深い思考、そこには絶望や希望が折り重なった思考、それがあることを、私は感じた。
それはNHKのテレビ番組である。
http://www4.nhk.or.jp/kokoro/x/2017-04-09/31/14236/2008273/
私はその録画を見たのだが、私は画面を凝視し続け、彼女のことばを追い続けた。「抵抗の文化」、「人間であり続けること」・・・・・様々な語が、後から後から彼女の口から出されるのだが、しかし私はそのことばについていけなかった。それほどことばに深さや重みがあり、それらを消化していく作業に私はより多くの時間をかけなければならなかったからだ。
苦難を生きる、生きた人々。彼らは名もなき庶民だ。彼らは、有名人や権力者、経営者など大きな物語を語る人々ではない。しかし、彼らは自分自身が生きてきたこと、そして苦難を強いられたこと、それを何とか残さなければならないと思う。それは土俵際に追い込まれた庶民が、そこに追い込まれたからこそ語らなければならない、小さな物語。
彼女は、そうした声に耳を傾ける。それを書き続ける。その中で、国家とは何であるのか、を考える。あるいは、国家がさしのべてくる手を、庶民が受容していく姿をみる。
彼女が耳を傾ける人々が語るそのなかに、生きるとは何か、国家とは何か、人間とは何か・・様々な思考の回路が重なる。
私は、この録画をくり返しみて、彼女のことばを考えようと思う。
今まで、私は彼女の書いた本を一冊も読んだことがなかった。しかし、この番組を見て、私自身の人生にとって、彼女の思考の軌跡をたどることは必要だと思った。今、『セカンド・ハンドの時代』を注文したところだ。