浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】菊谷和宏『「社会」のない国、日本』(講談社選書メチエ)

2017-04-27 22:49:16 | その他
 読みながら考え、考えながら読み進めた。

 著者がなぜこの本を書いたのか、その理由の一部が下記に記されている。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/42595

 実を言うと、著者の

 「日本に「人間社会」は、実際には存在していなかったのだ。日本という概念枠組みの中に社会はなく、国(国家)のみがあり、したがって日本人とは日本国民でしかなかったのだ」(221)

 などという指摘に同感しつつ、いまだそれを自分自身のことばで説明できないでいる。その理由は、著者がみずからの主張を多方面から照射していないところにあると思われる。デュルケムのある種のテーゼをもとに、ゾラ、永井荷風や幸徳秋水の「社会」に対する思考を解剖し、その意味内容を浮き彫りにしながら、その結果日本には「社会」はなかった、現在もない、ということを主張するのだが、私はやはり歴史的な思考があるので、では近世はどうだったのか、近代の初発からなかったのかなど、そうした疑問をもつので、にわかに納得したというわけにはいかないのである。

 だがしかし、現在の政治状況をみると、「社会」は縮小してきている、と思う。その代わりに国家権力との対応の中に位置づけられる「国民」が増えてきている。近代日本国家において、「社会」の拡大縮小と、国家権力の萎縮と肥大とが対応していることは事実であろう。そうした歴史的事実と著者の所論との整合性が、いまだ私のなかにつながっていないのだ。

 しかし、考える契機になる。同時に、幸徳秋水の「社会」と「国体」に関する腑分けはとても参考になった。

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「共謀罪」

2017-04-27 22:04:33 | その他
 私は『中日新聞』(東海本社版)を読んでいる。そしてその権利を行使して、ネットで『東京新聞』(中日新聞東京本社発行)を読んでいる。『東京新聞』は、「共謀罪」に対して果敢に挑戦している。
 しかし東海本社版は、そういう姿勢を際立たせないように編集しているように思える。「共謀罪」よりも地域ネタが大事だと判断している。NHKほどではないが、同じ会社でもこうも違うのか。

 さて、「共謀罪」。そこには権力の狡知が織り込まれていた。国民を監視し、いつでも監獄へ送り込めるようなシステムをつくろうとしているのだが、しかしその「共謀罪」が自分の所に降りかかってこないように、巧妙に自分たちが犯すであろう犯罪については「共謀罪」が適用されないようにしているのだ。

 なんという権力の私物化。

 その内容が、以下に記されている。

http://buzzap.jp/news/20170427-conspiracy-politician/

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2017042702000131.html
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