浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

北朝鮮に対する攻撃の話

2017-04-12 15:54:33 | その他
 『読売』が、以下のような情報を載せた。

北攻撃なら事前協議…日本が要請、米側も応じる


読売新聞4月12日(水)15時7分

 日本政府が米国に対し、北朝鮮への軍事行動に踏み切る際には事前協議をするよう要請し、米側も応じる意向を示していることが分かった。

 日本政府関係者が12日、明らかにした。米軍が北朝鮮を攻撃した場合、日本は報復対象になる可能性があり、日本政府として米国の意思決定に関与する必要があると判断した。

 トランプ政権は対北朝鮮政策の見直しを進めており、先制攻撃を含む軍事的手段も排除していない。日本政府は米側に対し、対北朝鮮政策をすり合わせるよう重ねて求めており、その一環として軍事行動に踏み切る際の事前協議を求めた。

 一方、米軍が北朝鮮を攻撃する場合には、在日米軍基地が出撃や後方支援の拠点となることが想定されており、米国も日本側の協力が不可欠と判断している。


 複雑な思考回路をもたないトランプ政権は、何をするかわからないという危惧があった。もしその危惧が実行されたなら、東アジアの国際秩序は一挙に流動化するだけではなく、たとえばソウルが攻撃されることもありうる。韓国の市民は、いったいどうなるのか。

 アメリカの北朝鮮政策は、キム体制の存続に手を貸してきた。無法ぶりを発揮するキム体制が存在することによって、アメリカ軍の東アジアへの関与が正当化されるような戦略を、アメリカは採用してきた。

 北朝鮮が何故に無法ぶりを発揮するかというと、キム体制はみずからの平和的な存続のために、朝鮮戦争に関する講和条約の締結をアメリカに求めているからだ。一生懸命にそれをアピールしているではないか。現在は「休戦」状態がつづいている。

 北朝鮮の講和条約締結の要請は、ことごとくアメリカに拒否されてきた。アメリカは、武力を行使するより、講和条約締結のためのテーブルにつくべきである。武力での解決はできない。なにごとも国際関係は平和的な話し合いでいくべきである。

 私は、アメリカの北朝鮮武力攻撃に反対する。

 だいいち、アメリカにはそんなことをする資格も権利もない。国際的に、アメリカだけが「テロ国家」だと認定されているのだ。

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ユナイテッド航空の暴力

2017-04-12 12:43:59 | その他
 航空会社が、公然と暴力をふるうのだから、もう世も末だね。



http://buzzap.jp/news/20170411-united-3411/
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市政への無関心がもたらすもの

2017-04-12 08:50:28 | その他
 政府自治体のカネを山分けするのが、新自由主義の本質である。金持ちや大企業が、政府自治体からもその分配にあずかる。安倍の政治の私物化が自治体にも波及する。自民党なんかに投票するからでもある。愛媛県は、自民党王国。

http://tanakaryusaku.jp/2017/04/00015651
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想像力をもたない人々

2017-04-12 07:05:15 | その他
『毎日新聞』の記事(一部)。

文部科学省は11日、東京電力福島第1原発事故で福島県から避難した児童・生徒に対するいじめが今年3月までに199件あり、このうち東日本大震災や原発事故に関連するいじめは13件だったと発表した。

 このイジメの背景には、大人の世界のもつ冷酷さがある。大人の世界が、原発避難の人々に対する悪意を抱いているからだ。

 避難をした人々、福島県でふつうの日常生活を送っていた。自宅で生活し、庭には花壇もあれば菜園もある。子どもたちは近所の子どもたちと共に学校へ行く。近くには商店があり、そこで会話をしながら買い物をする。道ばたで会った隣人と会話をする。そうした日常が、あの原発事故ですべて奪い取られたのだ。

 農業をしていた人々は、先祖伝来の土地で作物をつくれなくなっただけではなく、そこから遠いところへ避難しなければならなくなった。


 そうした日常が一瞬に消された。日常を奪った者たちは一切責任を取らずに、安全なところにいる。今までの日常の延長線上に生きている。

 避難した人々は、全く新しい生活を始めなければならなくなった。新しい人間関係の構築も含めて。農業をしていた人々は、何もできなくなった。他人の土地を耕すわけにはいかない。いったい何をすれば良いのか。何もできない。何もできない時間を過ごさなければならない。それはある種の苦行である。

 私の日常に農作業がある。今は、寒さが去り雑草が一斉に畑を緑色に染める。雑草との闘いに決意を新たにする。しかしそのなかで、キャベツやブロッコリー、ダイコン、ほうれん草などの収穫がある。その歓び。
 避難した農業に携わっていた人々は、そうした歓びを奪われた。自分はいったい何をしていればいいんだ。生きているということは、何かをすることによって時間をつぶしていくことでもある。しかし、その「何か」がない。

 避難した人々に対して、加害者は何をすれば良いか。当然それは、生活できるだけの金員を支給しなければならない。交通事故で相手に被害を与えた場合に損害賠償をするように、生活費だけではなく、そうした金員も払わなければならない。
 だが、人間はカネだけで生きているのではない。人間には、生きがいが必要だ。自分自身の労働によって農作物が育つ、それを買ってくれる人の喜ぶ顔が見たい。他者の中に、自分自身の努力が表れる。生きているという実感。

 私は、原発事故に関して、政府や東電は、生活できるだけの金員だけではなく、避難した人々の生きがいにまで想像力を及ぼすべきだと思う。だが申し訳なかった、という気持ちすら、彼らは持っていないようだ。

 「復興」を仕事とする大臣が、安倍政権の考えを平然と語った。帰還しないのは、「本人の責任でしょう。本人の判断でしょう」と。

 帰還する人もいるだろう。しかし多くの人々は、帰還しない道を選んでいる。放射線量の高いところで生活したくはない。私も、おそらく帰還しない。事故の責任者は、そうした選択を尊重すべきである。それぞれの日常生活が奪われ、それぞれが別の土地で新しい日常生活を始めた、始めざるを得なかった。
 事故の責任者は、それぞれの日常生活に寄り添うべきなのだ。

 しかしあの大臣のことばのように、早急な帰還政策を推進する安倍政権には、そうしたことをするつもりはない。想像力を持たない人々。

 そうした政治の動きが、想像力をもたない、もてない人々の心情と共振するのだ。日々の生活を過ごすだけで精一杯の人々がたくさんいる。そうした人々にとって、避難者に一定の金員が支給されることは、羨望となる。そしてそれが、憎悪と化すこともある。

 貧しい政治により、人々が分断される。経済政策で追い詰められた人々と、原発事故で避難を余儀なくされた人々。

 想像力をもたない政権が、想像力を持てない人々と手を組む。

 私たちがすべきことは、ふつうのひとびと、ふつうに想像力を持っている人々に政治を担ってもらうことだ。


 

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