浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

田岡氏の分析

2017-04-11 20:58:03 | その他
 アサド政権は、化学兵器を使用したか?

http://diamond.jp/articles/-/124328
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「教育勅語」復活ーどう考えるべきか

2017-04-11 18:28:21 | その他
 各社の社説を読み比べてみたが、『信濃毎日新聞』の社説が、もっともよいと思う。



教育勅語 学ぶべきは決別の歴史


 戦後の教育は教育勅語と決別するところから再出発した。その歴史こそ学ばなければならない。道徳教育の教材に使うことは、もってのほかである。

 政府が、教育勅語を学校で教材として用いることを容認する答弁書を閣議決定した。菅義偉官房長官は、道徳の教材にすることも「否定できない」と述べている。

 かつて、戦時体制を支えた国民総動員のための思想統制に、教育は大きな役割を担った。その中核にあったのが教育勅語である。

 教育の根本として子どもたちに朗読させ、現在の道徳にあたる「修身」の柱にもなった。謄本(写し)が天皇の写真とともに「奉安殿」に置かれ、神聖視された。

 「危急の大事が起こったならば、一身を捧(ささ)げて皇室国家の為(ため)につくせ」(旧文部省の通釈)。勅語の核心はこの一文にある。戦争が起きたら天皇のために命を捧げよという意味だ。

 親に孝行せよ、夫婦は仲良く、といった徳目も書かれてはいる。ただ、それを含め勅語は、「臣民」に対する君主の教えとして、天皇中心の国家体制に国民を組み込む役割を果たした。

 戦後の現憲法は国民主権を掲げ、基本的人権を何よりも重んじている。勅語がそれと相反することは明らかだ。1948年に衆院、参院はそれぞれ、排除と失効確認の決議をしている。

 勅語の復活にお墨付きを与えかねない政府の姿勢は、戦後の原点にある国会決議をないがしろにする。受け入れるわけにいかない。

 教育勅語を肯定する声が政権内から公然と出ていることも見過ごせない。稲田朋美防衛相は「核の部分は取り戻すべきだ」と発言した。森友学園が幼稚園児に唱和させていたことが分かった際にも、明確な批判はなかった。

 安倍晋三首相自身、かつて「大変素晴らしい理念が書いてある」と述べたことがある。自民党の改憲草案にも通じる復古的な価値観、国家観がにじむ。

 道徳は2018年度以降順次、小中学校で教科になる。学習指導要領や教科書検定を通じて、教育への国の介入も強まっている。今回の閣議決定にも後押しされ、戦前に回帰するかの動きがなし崩しに進まないか心配になる。

 むしろ大事なのは、近現代史を学ぶ中で教育勅語について知ることだ。何が書かれ、どう扱われたのか。戦後なぜ強く否定されたのか―。歴史の重い教訓として子どもたちが学ぶ。そのことに教育現場は力を入れてほしい。

(4月6日)


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とにかく議員でいたい

2017-04-11 17:44:14 | その他
 議員になる人たちには、信念も何もない。ただ議員で居つづけたいという願望だけ。こういう人たちが政治に携わるのだから、政治が良くなるわけがない。同時に、そういう人々を選ぶ選挙民も、政治をよくしようという気がないのだ。

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/203276
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生きようとする人

2017-04-11 07:37:00 | その他
 昨日、従兄を病院に見舞った。迷路のような廊下を歩み、従兄の病室に至った。その間、看護師に車いすを押してもらっている患者その他にあった。多くは老人である。この世に誕生し、生き、そして歳を重ね、あの世に近づく。すべての人が歩む道でもある。

 行き会う患者さんたちの顔を見て、特徴があることがわかった。もう生きる希望を失っている顔、まだまだ生きるぞという意欲を持った顔。幸い私の従兄は、後者であった。

 生きる希望のあるなしは、もちろん家族や親戚、あるいは友人たちなどの存在に規定される側面が大きいことは当然であるが、社会のあり方にも大きく規定されるように思う。歳を重ねることを祝福する社会と、老人は早くいなくなれ、という社会と。

 最近の安倍政権の政策は、思い切り後者の道を歩んでいる。

 彼らは自分も老いることを知らない。

 安倍政権の政策は、木を見て森を見ないだけではなく、目の前のこととおのれの妄想だけに気をかけ、長い展望の中で日本をどのようにするのかという政策をもたない。

 その点では、トランプ政権と軌を一にする。

 共通していることは、彼らは考えない、ということだ。複雑な現実を無視して、みずからの妄想の実現や利益確保だけに邁進する。そういう政治家だけが幅をきかしている。

 彼らには、未来はない。未来なんかどうでも良いのだ。

 だが私たち庶民は、みずからの一生だけではなく、子や孫の未来をも透視する。そうすると、死ぬわけにはいかないと思う。生きる希望の有無ではなく、絶望に陥りたくないから生きなければならないと思うのだ。

 魯迅はこう記した。

希望とは、もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えぬ。
それは地上の道のようなものである。
地上にはもともと道はない。
歩く人が多くなれば、それが道となるのだ。


 希望=道は、つくるものなのだ。希望があるかどうかではない、希望をつくりだしていくかどうか、なのだ。

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