学生時代東京に住んでいた。しかし東京都内のあちこちを訪ね歩くようなことはしなかった。用事があれば行ったが、そうでなければ大学とアパート、アルバイトを往復するような日々だった。
故郷に帰ってきて、江戸・東京に関する本を読む度に、ここも行っていない、あそこも・・・・という後悔がでてきた。
近代日本文学作品を読んでも、多くの作家は東京に住まいしている関係で、東京のあちこちの地名がでてくる。それを地図で確かめても、しかし行ったことも見たこともない。
『芥川龍之介全集』を読みはじめた。ずっとまえに岩波書店から出版されたものだ。書庫の奥深くにしまってあったが、ついに読もうという気になった。この全集、作品は年代順に掲載されている。
第一巻は、アナトール・フランスの「バルタザアル」の翻訳からである。芥川は翻訳物で出発したのだ。そして次が「大川の水」である。読んでいて「大川」が隅田川であることはわかったが、しかし隅田川も何度も訪れてはいない。イメージが湧かないのである。隅田川の周辺に生まれ育った芥川は、末尾に「大川の水の色、大川の水のひびきは、我愛する「東京」の色であり、声でなければならない。自分は大川あるが故に、「東京」を愛し、「東京」あるが故に、生活を愛するのである。」と書いている。
川は、自らが生まれ育ったところを象徴する。私にとっては天竜川である。東方面から帰郷するとき、天竜川を渡りながら「帰ってきた」ことを実感する。子どもの頃、河川敷にあった湧き水がこんこんと湧き出るところで泳いだ経験、夏河川敷を歩いていると、おそらく巣があるのだろう、小鳥が警戒して飛びまわる姿、一級上の中学生が天竜川の本流を泳いでいたときに流されていった記憶、台風が襲来したときに、ほぼ1㎞の河川敷が荒れ狂う濁流で覆われていたこと、たくさんの記憶をもった川が天竜川である。
伊藤野枝が、辻潤と別れて大杉と一緒になる頃、金の工面のために西下するとき、天竜川を渡りながら「いい月」を見た、という川(「転機」)。
おそらく芥川にとっても、大川、すなわち隅田川がそういう川であったのだろう。
故郷に帰ってきて、江戸・東京に関する本を読む度に、ここも行っていない、あそこも・・・・という後悔がでてきた。
近代日本文学作品を読んでも、多くの作家は東京に住まいしている関係で、東京のあちこちの地名がでてくる。それを地図で確かめても、しかし行ったことも見たこともない。
『芥川龍之介全集』を読みはじめた。ずっとまえに岩波書店から出版されたものだ。書庫の奥深くにしまってあったが、ついに読もうという気になった。この全集、作品は年代順に掲載されている。
第一巻は、アナトール・フランスの「バルタザアル」の翻訳からである。芥川は翻訳物で出発したのだ。そして次が「大川の水」である。読んでいて「大川」が隅田川であることはわかったが、しかし隅田川も何度も訪れてはいない。イメージが湧かないのである。隅田川の周辺に生まれ育った芥川は、末尾に「大川の水の色、大川の水のひびきは、我愛する「東京」の色であり、声でなければならない。自分は大川あるが故に、「東京」を愛し、「東京」あるが故に、生活を愛するのである。」と書いている。
川は、自らが生まれ育ったところを象徴する。私にとっては天竜川である。東方面から帰郷するとき、天竜川を渡りながら「帰ってきた」ことを実感する。子どもの頃、河川敷にあった湧き水がこんこんと湧き出るところで泳いだ経験、夏河川敷を歩いていると、おそらく巣があるのだろう、小鳥が警戒して飛びまわる姿、一級上の中学生が天竜川の本流を泳いでいたときに流されていった記憶、台風が襲来したときに、ほぼ1㎞の河川敷が荒れ狂う濁流で覆われていたこと、たくさんの記憶をもった川が天竜川である。
伊藤野枝が、辻潤と別れて大杉と一緒になる頃、金の工面のために西下するとき、天竜川を渡りながら「いい月」を見た、という川(「転機」)。
おそらく芥川にとっても、大川、すなわち隅田川がそういう川であったのだろう。