浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

大川

2020-06-19 22:02:50 | 芥川
 学生時代東京に住んでいた。しかし東京都内のあちこちを訪ね歩くようなことはしなかった。用事があれば行ったが、そうでなければ大学とアパート、アルバイトを往復するような日々だった。

 故郷に帰ってきて、江戸・東京に関する本を読む度に、ここも行っていない、あそこも・・・・という後悔がでてきた。

 近代日本文学作品を読んでも、多くの作家は東京に住まいしている関係で、東京のあちこちの地名がでてくる。それを地図で確かめても、しかし行ったことも見たこともない。

 『芥川龍之介全集』を読みはじめた。ずっとまえに岩波書店から出版されたものだ。書庫の奥深くにしまってあったが、ついに読もうという気になった。この全集、作品は年代順に掲載されている。

 第一巻は、アナトール・フランスの「バルタザアル」の翻訳からである。芥川は翻訳物で出発したのだ。そして次が「大川の水」である。読んでいて「大川」が隅田川であることはわかったが、しかし隅田川も何度も訪れてはいない。イメージが湧かないのである。隅田川の周辺に生まれ育った芥川は、末尾に「大川の水の色、大川の水のひびきは、我愛する「東京」の色であり、声でなければならない。自分は大川あるが故に、「東京」を愛し、「東京」あるが故に、生活を愛するのである。」と書いている。

 川は、自らが生まれ育ったところを象徴する。私にとっては天竜川である。東方面から帰郷するとき、天竜川を渡りながら「帰ってきた」ことを実感する。子どもの頃、河川敷にあった湧き水がこんこんと湧き出るところで泳いだ経験、夏河川敷を歩いていると、おそらく巣があるのだろう、小鳥が警戒して飛びまわる姿、一級上の中学生が天竜川の本流を泳いでいたときに流されていった記憶、台風が襲来したときに、ほぼ1㎞の河川敷が荒れ狂う濁流で覆われていたこと、たくさんの記憶をもった川が天竜川である。

 伊藤野枝が、辻潤と別れて大杉と一緒になる頃、金の工面のために西下するとき、天竜川を渡りながら「いい月」を見た、という川(「転機」)。

 おそらく芥川にとっても、大川、すなわち隅田川がそういう川であったのだろう。
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【本】樋口陽一『リベラル・デモクラシーの現在』(岩波新書)

2020-06-19 21:19:12 | 
 これもいろいろ考えさせられる本である。副題に、「ネオ・リベラル」と「イリベラル」のはざまで、とある。

 イリベラルという語は聞き慣れないことばである。リベラルの否定語である。英語で書けば、illiberalである。もちろんこれは形容詞。「教養のない」、「偏狭な」、「心の狭い」、「自由を認めない」という意味である。

 illiberalityという名詞もあって、この訳は「狭量」、「卑劣」、「無教養」、「下品」となる。

 残念なことに、ネットでは、いや雑誌でも、本でも、「狭量」で「卑劣」な、そして「下品」な、およそ教養を感じないような言説が、他者を攻撃する目的をもって大量に流通している。

 イリベラルは、見られるとおり、気持ちの良いことばではない。樋口さんは、「リベラル」が、「ネオ・リベラル」と「イリベラル」によって挟撃されていると指摘している。「ネオ・リベラル」は、サッチャーやレーガンによって、福祉国家を破壊し、周知のように格差社会をつくりあげた思想である。「ネオ・リベラル」は主に経済的なレベルで使われるが、それだけではなく、文化や価値のレベルでも使われ、後者のレベルから、経済的支配層以外の人々の支持を得ることにつながっていく。

 そしてその「ネオ・リベラル」が「イリベラル」と結合する時代が、今という時代である。

 樋口さんは、以前から西欧から発した近代=「リベラル」の重要性を説いてきた。今回も、そういう趣旨であるが、「リベラル」の根本は、「権力からの自由」、「権力からの解放」であり、日本の憲法で言えば13条、すなわち「個人の尊厳」がその中核にあるとする。

 そのリベラルが、今、挟撃されているというのだ。それをどう打開していくか。経済的な面だけではなく、思想の面でも考究されなければならない。

 
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アベノマスクの受注企業の一つ 興和

2020-06-19 21:04:07 | 社会
 興和(薬品)は、731部隊の山内忠重が創設したという。だからか、こういう事件が起きている。

 キセナラミン事件
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日本の医療の現況

2020-06-19 20:46:20 | 政治

医者や看護師を「特攻隊」にした、この国の医療体制の貧弱さ
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渡辺考『戦場で書く 火野葦平のふたつの戦場』(朝日文庫)

2020-06-19 11:52:30 | 
 かつて火野葦平が1930年代、労働運動を行っていたことを某紙に書いたことがある。ペシャワール会の中村哲さんが殺されたことを書いたとき、中村さんの行動の中に、伯父である火野葦平の精神があった、というようなことを書いたのである。

 とはいえ、私は火野の作品を読んだことがない。しかし火野については強い関心を持っていた。この本が出版されることを知ってすぐに注文した。文庫本であるが、400ページ以上ある。書かれていることが重いので、読み、本を置いて心の整理をして、また読みはじめ・・・という時間を過ごした。今、読み終えた。

 火野の人生は、近代日本の庶民の精神史を象徴すると思った。庶民は生きていくことに熱心である。その庶民に沿い、庶民の心性に誠実に向き合い、その庶民と共に生きた。

 庶民は、沖仲仕であったり、兵隊であったり、農民であったり・・・それは、住む国が異なっても同じである。沖仲仕とともに労働運動を担い、兵隊として、あるいは作家として兵士に寄り添い、そしてあちらこちらの庶民に愛情を注ぐ。

 火野は、アジア太平洋戦争下、「大東亜共栄圏」のことばを信じた。それは火野だけではなく、その他の文化人も、庶民もである。そのためにフィリピンに行き、ビルマに行き、インドにも中国にも行った。

 しかし戦争は、1945年、日本の敗戦に終わった。庶民は生きるために、生き続けるために、戦時下の自分自身を振りかえり点検するなんてことはしなかった。庶民は、変わり身の早さを見せた。文化人の中にも、同じような人がいた。だが火野は違った。戦時下の自分自身の行動や思考を考えざるを得なかった。なぜなら、火野は「戦争犯罪者」として指弾されたからである。
 戦時下の自分自身を凝視した。しかし「戦後」という時代にさらっと乗っていくことはできなかった。時間がかかった。

 なぜ時間がかかったのか。火野は、おそらく自分自身だけを凝視したのではなかった。というのも、火野は、いつも庶民とともにあったからである。庶民を含めた自己の軌跡を整理することは、そんなに簡単なことではなかった。

 やっと整理が付いた頃、火野は健康な体を失っていた。そして1960年、「漠然とした不安」を示しながら、自らいのちを絶った。

 火野の人生を貫くものは、誠実さであったように思う。庶民に、軍隊に、軍の報道班の宣撫活動に、戦後の「批判」に・・・・すべてに誠実に、誠意を示しながら生きた。

 その火野葦平の姿が、本書で示された。

 この本は、NHKで放映された番組を、書籍化したものだ。もちろんテレビを見ない私は見ていない。

 その番組をつくるために、渡辺考は、火野葦平の行動の軌跡を追った。九州に、中国(各地)に、フィリピンに、ビルマに・・・・。

 私も、中国から出された軍事郵便、それを書いた兵士を追跡して、中国各地を調査してまわった。防衛省の図書館にも通った。ほとんど自費で行った。

 渡辺考は、NHKの潤沢な予算を背景に、贅沢な調査旅行を行って書いている。うらやましい限りだ。

 とてもよい本である。いろいろ考えさせられる。奥付の発行日は2020年6月30日。私は6月19日に読み終えた。
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