浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

COVID-19 の感染源は東京都にあり

2020-06-30 17:49:02 | コロナ
 東京都、今日は54人。感染経路が不明は5割を超えている。

相次ぐ教師の陽性…小池知事は市中感染拡大も見て見ぬふり

 COVID-19 は、東京から都外に運ばれている。東京を何とかしないと、パンデミックがひろがる!
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「二つの手紙」

2020-06-30 16:09:06 | 芥川
 芥川龍之介には病的なところがあるのではないか。
 この「二つの手紙」は、手紙を書いた大学の教員が、自分自身を見るのである。コンサートの休憩時間に、駿河台を友人と歩いているときに、自分自身を発見するのである。その自分自身は、妻と一緒にいるのである。
 彼は、妻を疑い、それが他人にもなぜか伝わっていく。彼はある種ノイローゼになっているようなのだ。

 しかし、正常な神経をもっている私は、こんな内容のフィクションを思いつく芥川龍之介は、ひょっとしたら病的なところ、もちろんそれは精神的なところでだが、あるのではないかと思ってしまう。

 これで第一巻は終わった。書庫から次を出してこなければならない。しかし今は雨が窓ガラスを叩いている。風の音も聞こえてくる。こんな日には出ない方がよい。
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偸盗(ちゅうとう)

2020-06-30 11:54:41 | 芥川
 五戒とは、「謂一不殺生二不偸盗三不邪婬四不妄語五不飲酒也」。

 京が荒れ果て、盗賊が跋扈する。その盗賊を活写した小説である。最初から最後まで読み手は緊張させられ、他方読み手の筋立ての予想を一切峻拒する話である。筋立ては完璧で、また描写もこれまた見事と言うしかない。筋立てと描写が絡まり合いながら、読み手を捕らえて放さない。
 
 決して楽しい話ではない。盗賊の集団は、五戒すべての破戒者であり、芥川には露悪趣味があるのではないかと思うほどに、リアルに破戒の「事実」を書いていく。

 沙金という女、その母・猪熊の婆、猪熊の婆の夫(沙金の父ではない)である猪熊の爺、太郎と次郎の兄弟、そして白痴の阿濃という女。これらが「偸盗」の主な人物である。あたかも心境小説のように、彼らの間の激しい葛藤、その葛藤についての心境がリアリティ豊かに語られる。

 その葛藤のなかでもっとも重要なのは、沙金をめぐる太郎と次郎の葛藤である。沙金は「醜い魂と美しい肉身」をもち、沙金の眼が男をみつめ虜にする奔放な女だ。破戒者である。

 最後、太郎・次郎は、盗みに入った館の侍たちとの壮絶な斬り合いのなかで、兄弟のつながりを確認し、兄弟間に亀裂をつくりだした沙金を殺害してしまう。

 芥川龍之介の小説をまじめに読んだことはなかったが、その筆力に圧倒される。しかし「偸盗」という小説、五戒の破戒者の「悪」をこれでもかこれでもかと描く芥川のその心には、おそらく鬱屈したなにものかが巣くっていたはずだ。

 こんな内容の小説は、みずからのいのちを縮めるに相違ない。
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東京都の無策が感染を拡大している

2020-06-30 08:33:43 | コロナ

東京からの感染拡大に懸念 “都内の会食自粛”呼びかけ

 東京都(知事)、なんとかせよ!
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神道

2020-06-30 07:37:54 | 社会
 香川県の金比羅宮が、神社本庁から離脱したという記事があった。

 神社本庁は公的な機関ではない。全国各地にある神社を包括する宗教法人である。
 本来神社というのは、個別的な存在であった。しかし近世になり吉田兼倶が創始した吉田神道が神職の任免権を得るなどして勢力を拡大したが、幕藩制国家とは直接的な関係はなかった。
 しかし維新後、天皇制国家の構築を図る維新の指導層は神道を国教化し、その結果国家神道が成立した。神職は公務員となった。そのため、日本の宗教は、神仏習合思想としてあったが、ここで断絶(神仏分離政策)し、神社は天皇と結びつけられた。神社は、いわば天皇教に改変されたのである。
 1945年の日本の敗戦により、国家神道は廃され、神社は神社本庁をつくり、多くの神社を包括することになった。神社本庁は今でも大日本帝国憲法下の国家神道の復活を狙っている。だから「日本会議」の有力なメンバーとなり、帝国日本の復活を望む活動を行っている。

 今、神道は日本の民俗的な信仰(自然崇拝など)とともにあったなどというが、しかしそれは戦後における神道の説明である。
 神社本庁は、国家神道の復活をねらいながら、他方で日本の伝統的な神仏習合の特徴(神でも仏でも、願い事をかなえてもらいたいという庶民の願望)に乗っかっているのである。

 『東京新聞』6月29日付に伊藤聡氏の「カミ信仰とホトケ」と題する文が載っていた。そこには「神仏習合の歴史 本来の姿 近代が否定」とあった。作為的な近代日本国家は、日本の歴史を大きく汚してきた。宗教意識についても、である。

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