香川県の金比羅宮が、神社本庁から離脱したという記事があった。
神社本庁は公的な機関ではない。全国各地にある神社を包括する宗教法人である。
本来神社というのは、個別的な存在であった。しかし近世になり吉田兼倶が創始した吉田神道が神職の任免権を得るなどして勢力を拡大したが、幕藩制国家とは直接的な関係はなかった。
しかし維新後、天皇制国家の構築を図る維新の指導層は神道を国教化し、その結果国家神道が成立した。神職は公務員となった。そのため、日本の宗教は、神仏習合思想としてあったが、ここで断絶(神仏分離政策)し、神社は天皇と結びつけられた。神社は、いわば天皇教に改変されたのである。
1945年の日本の敗戦により、国家神道は廃され、神社は神社本庁をつくり、多くの神社を包括することになった。神社本庁は今でも大日本帝国憲法下の国家神道の復活を狙っている。だから「日本会議」の有力なメンバーとなり、帝国日本の復活を望む活動を行っている。
今、神道は日本の民俗的な信仰(自然崇拝など)とともにあったなどというが、しかしそれは戦後における神道の説明である。
神社本庁は、国家神道の復活をねらいながら、他方で日本の伝統的な神仏習合の特徴(神でも仏でも、願い事をかなえてもらいたいという庶民の願望)に乗っかっているのである。
『東京新聞』6月29日付に伊藤聡氏の「カミ信仰とホトケ」と題する文が載っていた。そこには「神仏習合の歴史 本来の姿 近代が否定」とあった。作為的な近代日本国家は、日本の歴史を大きく汚してきた。宗教意識についても、である。