芥川龍之介全集の第一巻を、少しずつ読み進めている。読んでいて思ったのは、この全集は私しか読めないな、ということである。旧字旧かな遣いである。ルビがあったりなかったり、となると私より若い人は読み進めることは難しい。
私が岩波文庫を読みはじめた高校生の頃、旧字旧かなだった。ただし漢字にはほとんどルビがあった。だから読んでいるうちに旧字を覚えていった。しかし読むことは出来るが、書くことは困難だ。
さて、「ひょつとこ」の主人公は山村平吉である。舞台はおそらく神田川。神田川を花見する舟、それに乗った、もちろん酒を飲んだり踊ったりする人々。それを橋の上から眺める人々。これを書いているのは、そのなかのひとりである。
平吉は日本橋の絵具屋。酔っ払って舟の上でバカ踊りをしているのだが、脳溢血で死んでしまうのである。
平吉は酒を飲む。飲まずにはいられない。
何故かと云うと、酒さえ飲めば気が大きくなって、何となく誰の前でも遠慮が入らないような心持ちになる。踊りたければ踊る。眠たければ眠る。誰もそれを咎める者はない。
ではしらふの時はどうかというと、「ふだんの平吉程、噓をつく人間は少ないかもしれない」と書かれるほど、噓をつくのだ。「第一彼は、殆、噓をついていると云う事を意識せずに、噓をついている」。
その平吉が突然亡くなったのだ。
平吉は、しらふのときは噓をつきまくり、酒を飲んだときには気を大きくして立ち回る。だとすると、ほんとうの平吉はどこにあるのか。
ないのだ。
芥川は山村平吉について書いたのだが、しかし山村平吉という人間を書いたのではない。山村平吉は虚構の人物であろう。その虚構の人物の虚構を、芥川は書いたのである。虚構の虚構。
ひょっとしたら、「ほんとうの人間」なんてないのかも知れない。
私が岩波文庫を読みはじめた高校生の頃、旧字旧かなだった。ただし漢字にはほとんどルビがあった。だから読んでいるうちに旧字を覚えていった。しかし読むことは出来るが、書くことは困難だ。
さて、「ひょつとこ」の主人公は山村平吉である。舞台はおそらく神田川。神田川を花見する舟、それに乗った、もちろん酒を飲んだり踊ったりする人々。それを橋の上から眺める人々。これを書いているのは、そのなかのひとりである。
平吉は日本橋の絵具屋。酔っ払って舟の上でバカ踊りをしているのだが、脳溢血で死んでしまうのである。
平吉は酒を飲む。飲まずにはいられない。
何故かと云うと、酒さえ飲めば気が大きくなって、何となく誰の前でも遠慮が入らないような心持ちになる。踊りたければ踊る。眠たければ眠る。誰もそれを咎める者はない。
ではしらふの時はどうかというと、「ふだんの平吉程、噓をつく人間は少ないかもしれない」と書かれるほど、噓をつくのだ。「第一彼は、殆、噓をついていると云う事を意識せずに、噓をついている」。
その平吉が突然亡くなったのだ。
平吉は、しらふのときは噓をつきまくり、酒を飲んだときには気を大きくして立ち回る。だとすると、ほんとうの平吉はどこにあるのか。
ないのだ。
芥川は山村平吉について書いたのだが、しかし山村平吉という人間を書いたのではない。山村平吉は虚構の人物であろう。その虚構の人物の虚構を、芥川は書いたのである。虚構の虚構。
ひょっとしたら、「ほんとうの人間」なんてないのかも知れない。