「聖火リレー」なるもの、私は見る気もないが、ネットで高知県の人混みを見て驚いた。あんなにたくさん見たい人がいるのか、と。 しかし、そうなると、 COVID-19は大喜び。感染させる人間がうようよいるから、である。 為政者の神経は、いったいどうなっているのか。オリンピックは中止するしかない!!
心が痛むニュースが続く。
コロナ感染で自宅療養中の40代男性死亡 神戸市「何人亡くなられてもおかしくない状況」
大阪 医療ひっ迫 救急搬送に4時間 倒れても搬送されない場合も
大阪や兵庫は、すでに医療崩壊している。なぜこんな事態になるのか。私は、こういうニュースに接する度に、厚労省の医系技官や「感染症ムラ」の無為無策を思い、腹立たしくなる。
本来なら死ななくてもよかったいのち、殺されたようなものと言いたくなる。
今はもう亡くなっているが、劇作家の飯沢匡が書いた『武器としての笑い』(岩波新書)という本がある。そのなかに一休宗純について書いたものがある。
テレビ漫画の、あの一休さんのことであるが、本物の一休さんはなかなかの変わり者であったようだ。とはいえ、彼は後小松天皇の子、今で言えば「皇族」である。彼は、加藤周一から「『狂雲集』の一休禅師は悟道の高僧か,破戒の官能詩人か」などと言われている。
一休について、飯沢は「生まれながらにして差別(賤しいのだけが差別でなく貴いのも差別である)されたものの悲しみを我々は知らなくてはならぬ。」(154頁)と書く。天皇のこであるということで、一休は「差別」されるのである。
天皇(一族)は「身分」である。血統で決められるのであるから、「身分」というしかない。それに封建的とつけてもつけなくても「身分」であり、そのような「身分」が存在する限り、「平等」はない。
現在も天皇制という制度があり、その制度を担う一族である皇族は、ふつうの生活はできない。皇族はおそらく古代からの習俗と、近代の専制的な天皇制を構築したときに付加された天皇を装飾する儀式などに囲まれて、息苦しい日々を過ごしていると思われる。
さて、皇族のひとりの女性が、結婚したいと考えている。相手の男性もそのつもりである。日本国憲法は、その二人の合意があれば結婚できるとされている。しかしその男性にはいろいろな問題があり、それがメディアなどにより激しく報じられている。ふつうの人なら別にどんな男性と結婚しようが、あるいは離婚しようがそれは自由である。
ところが、皇族はそういうわけにはいかない。ふたりの結婚について、国民の多くは反対している。その理由は、女性が税金で生活してきて、また結婚すると皇籍を離脱するので高額のカネが支給されることになっている。そのカネが、「あの男」のものになる!ということに対する怒りのようだ。もしそのカネがなければ、人々が二人の結婚を批判することはまずないように思う。
私はこれに関しては、どうでもよい、とう意見である。婚姻の自由は憲法上の權利でもあり、婚姻は私的なことでもあるからだ。高額のカネといっても、アベノマスクに比べればたいしたカネではない。私は税金の使途という点から見れば、安倍晋三=自民党・公明党政権からスカ=自民党・公明党政権の浪費、じぶんの身内や支持者への湯水のように流された税金について怒るべきではないか、と思う。
また批判は、飯沢が言う「貴い差別」でもあるように思う。
私は、天皇制はなくすべきだとずっと思ってきた。天皇家のために、天皇家の人々を国民とすることにより(現在は、彼らは「象徴」という国家機関である)、彼らを解放してやるべきだと思っている。市井の人として生きていけばいいじゃないか。そのほうが幸せではないだろうか。そうすれば自由に結婚できるし・・・
どのような「差別」もあるべきではない、それが「貴い差別」であっても、である。
最も少ないのが、神奈川県、その後は、大阪府、東京都、埼玉県、兵庫県、千葉県、愛知県、福岡県・・・・と続く。感染者数が多い都府県が並んでいる。
保健師数(人口10万人当たり) の都道府県別ランキング!(詳細データ)
民営化後の日本郵政は、新たなもうけ口を得ようといろいろやっているがすべて失敗。民営化なんかしなければよかったのだ。小泉内閣の責任である。 他方で、高齢者をだましてカネ儲けにはしり、それが露呈して厳しい批判を浴びたばかりだ。
日本郵政、豪トール事業売却 特損674億円、郵便社長「重く受け止める」
企業のトップに権限が集中し、トップの暴走により損失を与える事例が増えている。 新自由主義の流れの中で、ありとあらゆるところで、自治体や学校でも、トップに権限を集めるという手法が押し付けられてきた。その結果、あちこちで弊害が出て来ている。 大学でも、である。
「学長暴走」容認システムをどう変えるか。国立大学法人化後「17年間で“150度”変わった」制度の歪み【国会審議中】
この記事。働き盛りの人々が感染して重症化している。国家的損失である。それでも、厚労省の医系技官や「感染症ムラ」の人々は、「モグラ叩き」しかしないのか。
変異株感染の20~40代肺炎発症 従来株の倍近く 和歌山県調査
議論をする中で、「私は実証主義だから」ということばを聞くことがある。それは、みずからの考えや思想を持っていないということを「自白」するものである。
学問というのは、批判の学である。批判するためには、みずからの思想を持たなければいけない。思想が、学問の拠って立つところだからである。
東島誠の『自由にしてケシカラン人々の世紀』(講談社選書メチエ)を読んでいたら、こういう個所にあった。
「「私は実証主義だから」というのは、通用しない。それは自分自身の認識の限界を他者に開示できない者の泣き言であり、・・・・「観点」「前提」をはっきりさせることは、まさに「致命的」に重要である」(143)
はっきりいえば、思想なき研究は全く面白くない。私自身の知性を震わせることがないからだ。思想のある研究に会うと、私は読みながら立ち止まり、また立ち止まり、その度に様々に思考を飛翔させる。思想のないものは、それがない。失礼ながら、成田龍一の文はまさにそれだ。そうした研究者はたくさんいる。増えているようにも思う。
古代史研究の先達である石母田正は、こう書いている。1946年の文である。
戦後の歴史学界には再び実証主義への復帰の強い傾向が見られる。戦時中極端な国家主義をとなえて、歴史学を台無しに壊してしまった学者が、今度は口を拭って自分たちは本来実証主義的歴史学者だったと言訳がましく弁解しているのである。いわゆる実証主義が戦犯的歴史家の避難所となりつつあるのは興味ある事実だ。
歴史における実証主義というのは、それほど深い根柢を持つものではない。普通には史料の丹念な蒐集とその批判的操作(それも精々ベルグハイム式の)に基づいて、歴史を客観的にあとづけるのが、実証主義的だと考えられているようである。これは確かに市民的歴史学が史学史上に果した大きな業績であって、近代の歴史学はこの意味でなら実証的でなければならないのは至極当然である。史料の蒐集とその客観的な分析というものに基礎をおく歴史記述というものは、いかなる傾向の歴史学にとっても当然の前提であってこの点で争おうとする歴史家は一人として存在する筈はないのである。
歴史学とはいうけれども、日本の歴史学は実は学問として最も水準の低い学問であった。これは全体として日本の学問のみじめさということを念頭においても、歴史学の全体的低さは話のほかなのである。学問という以上それは何よりもまず方法と体系を生命とするものであって、このような論理的なものを欠いた場合それは学問ではない。この近代の学問の本質は歴史学以外の部門でも勿論十分意識され実現されてはおらないとしても、しかし方法や体系のない学問というものは成立することはできない。
ところが歴史学は学という名称を僭称しながら、全くの無方法と無体系が一般的なのである。ある問題についての若干のあるいは沢山の資料を並べて、それを考証的に記述すれば、それは立派な歴史学の論文であり、かかる論文を若干書けば専門的な歴史家となれるのが歴史学界の現状である。しかもこのような学風は実証的であるという理由で許されるばかりでなく、堅実な学風とさえ見做される。
したがって歴史家には「考える」ということは必要な条件でないばかりでなくむしろ考える学者は異端視さえされる。このような伝統と環境の内に育った歴史家は思考力という点では殆ど零といってよいほどの不具な状態にあることはいうまでもない。
歴史学ほど包括的な思考力を必要とする学問がないにかかわらず、歴史家ほど対象について考えない人間はないということは、この学問の将来にとって最も憂慮すべき点であろうと思う。
いわゆる実証的研究は1月にとって欠くことのできない前提である。しかしそれは他方において、歴史学を絶えず後退させる傾向を内在している。実証主義のもつ無性格と無思想は歴史学の進歩を抑える何よりの強い原因となっている。歴史の客観的認識、純粋認識としての歴史学という言葉は、この無性格と無思想を粉飾する合言葉となっているが、しかし実際に両者がいかに関係のない二つのものであったかは戦時中の歴史学の動向を反省すれば十分である。実証主義的歴史家こそ専制主義の弁護に第一に立ち上り、客観的歴史学をはずかしめた最も軽薄な学者たちであった。
歴史学は史実によって科学的に構成されるべきものである。この構成するということの意味が理解されない限り学問としての歴史は存立することさえ出来ない。資料を蒐集し、対象と格闘するのも一つの建築物という全体をきずきあげるためである。この努力の中に、方法の錬磨、理論の鍛錬がはじめて生れる。箇々の煉瓦の属性を研究してもそれは建築とはならない。建築家は材料のすべての性質を知っておかねばならないが、建築は全体への構成力や構想力なくしては行い得ない。この構成力、構想力は決して個人的な素質や歴史家的センスやその他の主観的なものではなく、そこにこそ論理と思考力と方法が最も生きる学問の世界があるのである。対象の中に潜む内的な連関や法則は方法なくして発見されるものではないという学問の最も初歩的な考え方が、歴史学界においてはまだ市民権を得ておらない。実証主義者はこれを頑強に拒否し、それによって自己の怠慢を弁護しようとしているからである。このことを告白することは外部の人にははずかしいことだが、しかし偽りのない歴史学界の現状である。
(『石母田正著作集』第16巻、「実証主義への復帰」)
昨日、伊藤隆氏へのインタビュー記事を読んで、石母田正の「実証主義」の歴史家こそが専制主義の弁護者であったという文を思い起こした。まさに符合したという気持ちである。
近年は、実証主義といいながら、史料ではなく、文献を渉猟して、自らの問題意識に都合の良い文献を並べてこれが何々の歴史でございます、などというものが増えている。そのなかには、著者の「思い違い」を平気で書いている者もいる。
私たちは史実の確定にこだわる。幾つかの史料(資料)を比較検討して史実を確定し、ほんとうにひとつひとつレンガを積むように、確定した史実を積み重ねながら一定の歴史像を描いていくのである。近年の学者たちの、「思い違い」を平気で書く姿を見ると、おいおいそれでは歴史研究者としてはアウトだよと言いたくなる。だが、それでも通用するというのが現代である。その多くは「歴史社会学」という分野の研究者である。
そういう人たちには、史料をもとに史実を確定する作業をしたことがないようだし、また思想もない。石母田式に言うなら「無性格・無思想」である。したがって、その研究はきわめて平板で、「建築物」とはとうてい言えないようなものが多いのだ。
すでに亡くなられた多くの歴史家の文章から、精緻な研究とその背後にある思想を読むことができる。戦後歴史学を担った研究者の文献をきちんと読むことから、歴史研究は始められなければならないと思う。
うやむやのなかにあった「名前」に関する私の認識を、きちんと歴史学的に解明してくれた。感謝である。
1870年9月19日、新政府は「苗字自由令」を出した。
「江戸時代の庶民にとって、苗字は自らの人名を構成する必須要素ではない。それはいちいち使用するものではないが、古くから代々の苗字を設定しているのも普通だったし、所属する村社会での格付けや秩序とも密接な関係があった。江戸時代の公儀は村の慣習や独自の秩序はもちろん、苗字の私的場面での使用には原則介入しない。ただ奉行所などの役所で庶民が自ら苗字を公称することを、公儀や領主の許可を要する特別な格式として設定していた。ゆえに「苗字御免」と呼ばれる苗字公称許可が、個別な価値を有していたのであった。「上下の区別」を重視する近世社会において、苗字公称は社会的地位を判別する身分標識として必要な役割を果たしていた。ところが苗字自由令は、その特別な価値を、地方行政の現場に対して一切の説明なしに、突如撤回したのである。」(259)
近世では、庶民は苗字なんかいらなかった。また名前もしばしば変えていた。幼名があったり、成人したら名前を変え、さらに商売を継いだときに世襲の名前にしたり。そして苗字は名のっていなかった。明治になって、新政府は庶民に苗字を自由に名のってよいとしたが、近世のまま、庶民は苗字なんかつかわなかった。必要なかったからだ。しかしそれでは不都合がでてきた。徴兵のためであった。
1873年徴兵令が施行された。苗字がないと個人を特定することが難しいことがわかったからだ。
1875年2月、「苗字強制令」が出された。これにより日本人は、苗字と名をセットで名乗るようになった。
「「国家」にとっての「氏名」とは、「国民」管理のための道具でしかないのである。」(264)
尾脇氏が、様々な史料を駆使して、近世からの名乗り方、公家の場合、武士の場合、庶民の場合を説明し、最終的に管理のために「氏名」を強制するまでの道のりを丁寧に解き明かしてくれた。
国民管理としての氏名の強制という結論は、きわめて重い指摘である。
※また本を買ってしまった!
伊藤隆の本は、書庫に何冊かある。きちんと史料に基づいて書いてはいるが、その当時の本ですら反「左翼」というスタンスがあった。
今ではもっと反「左翼」になっているようだ。対談で語られている内容を見ると、まったく非学問的である。
政府や自治体がいうことは、会食や旅行を「控えろ」、飲食店は「時短せよ」などと、人々に我慢を強いるだけのことしか、この一年以上していない。
どこの国でも、広汎な検査を行って感染者をみつけだし隔離する、あるいは海外からの入国を制限して入国に際しては厳しい検査を行うなど、こうした感染症の蔓延を防ぐ方策を当然行っている。ニュージーランド、台湾、オーストラリアの島国はそれで成功している。
しかし日本にはそれがない。人々に我慢を強いるのみで、症状のある感染者が出たらその周辺を検査して感染者を発見するだけ。まさにモグラ叩き状態。もぐら(有症感染者)はどこからでてくるかわからないから、それまでは放任。これでは何もしていないと同じことだ。無為無策である。
そしてやることといったら、GO TO なんとか。ウィルスをまき散らすこと、そしてオリンピック。今度は世界各地からウィルスを集めようとしている。
そうした無能な政権に40%以上の支持が与えられる。
もう日本は終わった。私は、日本の支配層は日本そのものを畳もうとしているとしか考えられない。